日本語 ハングル
2002.1.24

東名バスで英語の先生の隣に座った。 日本語が上手なので聞くと、バークレー校で日本語を習って、 「言文一致体」の研究に来たんだという。 漢文調と「てやんでい、べらぼうめ」の対比を、 ラテン語から各国語への移行になぞらえているようなので、 言文一致体には山の手と下町の対立もあるのだよというような話をした。 江戸屋敷を追い出された連中がどこへ行ったかというと、 下町の路地裏に住む元下男宅に転がり込むのだ。 鴎外の文が名文・美文だといっても、あれは西国の足軽の文であり、 彼等が「言文一致体」をやれば薩摩弁だの長州弁だのになってしまうわけで、 おおかたの日本人には何が書いてあるか、解らなかっただろう。

面白い本はないかというので、「戊辰物語」が文庫本になっているが、 と言ってから、確か円本にはルビを入れたのが多かったなと思い出して、教えてあげた。 円本というのは要するに100年ぐらい前の"Everyman's Library"であって、 古本屋に行けば2-300円で手に入るのだ。 そういえばJohn Raskin翁の隠居屋"Brantwood"のミュージアムショップには ラスキンの古本が並べてあって、つい買ってしまった。あれは良い手だ。

落語に出てくる「横丁の御隠居」と言う人物設定も、 御一新という時代を考えると理解しやすい。 おでこの青筋は新時代に圧殺されてしまった旗本の怒りなのだ。 刀刈りならずとも、うまいこと新政府の役人に取り立てられ、 あるいは浪速商人の手代みたいなことをしている息子に、 隠しもった大小を取り上げられてしまったじーさんに出来ることは、 こめかみに青筋をたてることのみ。

行政用語、あるいは都市計画コンサルタントなどがつい漏らしてしまう 「本郷弁」もそうした新政府の武家言葉だろう。 さらに悲しいのは沖縄の年寄りが喋る「日本語」なるものは 「ジブンハ佐川二等兵デアリマス」 式の兵隊言葉がベースになっているらしいこと。 近ごろの若者が同じ流れをくむ「自分は」という言い回しをするのは、 あれは一体何だろう。

円本というのも、ちょいと昔の日本人が読んでいたベストセラーなわけで、 結構面白い読み物がある。 広津柳浪の悲惨な裏長家の話も、武家屋敷から裏長家へと 追い落とされた人たちがいたから書かれたのであろう。 広津柳浪の悲惨さは徹底的に「成り行き」に流される人々を描いている点で、 「心中物」といっても覚悟の心中ではなく、成り行きから刀を抜いてしまうような話ばかりだ。 本人達は悲壮な覚悟なのだが、100年後の私などから見れば滑稽でもあり、 それが一層明治の悲惨さを浮き彫りにしている。 柳浪が筆を折ってしまったのも、そうした滑稽な悲惨さに本人も嫌気がさして、ということだろうか。

矢田挿雲の「澤村田之助」も店先に「一冊百円」で並べられていた円本で読んだ。 昭和3年/平凡社/現代大衆文学全集第10巻に「江戸から東京へ」というタイトルがあったので 買って来たものだ。「江戸から東京へ」はリプリントが文庫本になっているが、 そこから先は円本の世界だろう。「江戸から東京へ」とともに「澤村田之助」が収録されていたのを、 100円出して読まないのは勿体無いというケチ根性から目を落してみて、忽ち引きずり込まれてしまった。 「江戸から東京へ」の連載が震災で中断した後、 1年程報知新聞へ連載した小説で、一気読みをすると大歌舞伎の通し狂言みたいな味がある。 嘉永元年師走の初め、雪の越中立山の麓から筆をおろして明治11年7月に至る希代の「男地獄」の物語。

  • 東叡山寒松院の老師は男地獄にはまって破門。
  • 小静姉さんは妊娠した挙げ句、芸者が役者の子を孕んでどうするてんだ堕ろしちめえと罵られ発狂、牛の刻参りをするうち流産憤死。
  • 寒松院の小姓として山へ拾われた若侍粂之丞は、戊辰五月上野山で深手を負い宇都宮までは逃げおおすが、戸板に載せられて柳橋へ帰って落魄。
  • 千代吉ッちゃんは添われぬと分かって大川に身を投げ、結局は従兄弟の百松と両貰いの養子になり、 船宿阿波屋の跡目を継ぐが、御一新の流れで船宿も行き難く、利根川筋へ落ち延びて百姓となり幸せに暮らしましたとさ。
  • 間の手に入るのが当月の各芝居小屋の様子、猿若町なり金龍山なりの茶屋の情景。

何が面白いかといえば全編これ大川端の情景描写、 というか、小林清親が描く大川端の絵のキャプションにぴったりすぎるくらい。 次いで面白いのはストーリーのテンムポが全く以て歌舞伎的であること。 最近「踊るマハラジャ」というのがあって、 あれを見ると現在のインドでは、映画館が我が国明治期の芝居小屋と同様、 弁当持ちで出かけるところであることが分かり、 そうしたテムポが面白かったのだが、 カミサンは「スト−リ−が支離滅裂で劇中劇が多く、何がなんだか分からない。」 とハリウッド映画に脳みそまで侵されている。 劇中劇というのも結構面白い。台湾の「戯夢人生」という映画で、 途中いくつか使われており、 その一つに突然「南洋の島で、、、」みたいなステージ描写が出て来る所がある。 これが「弁天小僧」通しの一場に前後の脈絡と関係無く「頼朝が女護ケ島へ行って、、、」 とかいう話が出て来るのとそっくりだった。 矢田挿雲は震災で江戸が壊滅したことにショックを受け、 「江戸から東京へ」で並べた蘊蓄ではなく、 戯作者としての勤めを果たそうと考えたのではないだろうか。 「澤村田之助」には「江戸から東京へ」で集めたであろう素材が縦横に使われている感じがする

戊辰戦争と言えば、戊辰戦争の東北軍戦没者は「賊軍」なので靖国神社には祀られていない。 その代わりに大日本帝国成立前の、勤王の志士まで祀られているというのは、 チョット不公平な感じがする。統一国家として「国に殉じた」先人を慰霊するのであれば、 戊辰戦争までの戦没者を祀る「東北神社」というのがあって、靖国神社と同格に扱われても良いではないか。 さもなくば大日本帝国成立前の勤王の志士を分祀するかのいずれかだろう。 第二次世界大戦の戦犯合祀が問題になる割には、こっちは問題にならないというのもおかしな話だ。 で、8月15日に首相が靖国神社参拝を強行するのなら、 こちらは9月20日の終戦記念日を期して戊辰戦争賊軍の流れを汲む会津若松・仙台初め各市長を先頭に「東北神社」へ参拝するのだ。 県知事は新政府の官職だから呼ばなくて宜しい。
と言ったら、隣で飲んでいた出羽の人が「コヤマサン、「東北」はイカン。「奥羽」と言いたまえ。」