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2003.10.25
Southern Man

沙翁の背中

数年前にニューヨークのセントラルパークへ行ったのはシェークスピアの背中を眺めるためだった。明治39年には27歳の荷風・永井壮吉青年がこの辺をうろついている。日露戦争講和会議の期間中やっていた、ワシントンでの大使館のアルバイトを終えて、ウォール街の横浜正金銀行に勤め始めたところだ。

七月廿一日

薄暮独り中央公園を歩む。六十六丁目の門より入りたる公園内の広き草原は折から曇れる空模様に突然北方の暗き大洋を望むごとき観あらしむ。余はいかなる故とも知らず無限の寂寞と悲愁に襲われ独りベンチに座して身の来し方行く末の事思巡らして夜の来るをも心付かざりき。

八月廿六日

終日中央公園の人なき緑陰にひそみて読書す。
「永井荷風全集 第4巻」岩波書店 1992 より

「文学はまかりならぬ。」という家書と、「永井くーん、同棲しよっ。」とワシントンDC.から追い掛けて来た飲み屋のおねーさんとの板挟みに合った永井くん(けっこう美男)が、鬱勃と読書に耽るのは沙翁の背中辺りがお似合いだと思う。第一次大戦の「食料増産」で中央公園に畑が作られたり、羊が放されたりするよりも前の話。樹々も今より若々しく、オルムステッドの描いた完成予想図から遠くはなかったろう。

1935年には Edward Hopper がこの沙翁の背中を描いている。


Shakespear at Dusk Lobell Family Collection

Edward Hopperの筆は沙翁の背中の向こうに「時代の空気」を描き出していて、見事だ。私がセントラルパークにシェークスピアの銅像があることを知り、背中を見てみたいと思うようになったのも、この絵によってだ。ウォール街での株価大暴落に端を発して世界中を巻き込んだ大恐慌は、「戦争やって儲けようぜ。」という「時代の空気」をつくり出し、「貧乏国の軍部をつついて手を上げさせ、一発やらせてから徹底的に叩く」という筋書き通りに進んで行った。今回のイラク戦争と全く同じだ。

2,700人(WTC)に対する2,400人(真珠湾)と人的被害規模もそっくりなのだが、WTCが崩壊して米国経済が麻痺したのは数日の事で、業者間の潰し合でいずれも倒産寸前だった航空会社以外、それほど困った様子も見えない。情報技術の変化で、WTCといった時代遅れの事務所ビルは。電話線に役目をゆずって邪魔者になったのだろう。スクラップの有効処分という点でも真珠湾攻撃とそっくりだ。

「敵航空艦隊を殲滅」に行った筈の大日本帝国連合艦隊であったが、夏まで日曜毎に真珠湾に帰投していた最新鋭航空艦隊は影も見えず、代わりに撃沈させられたのは戦歴30年余というスクラップの戦艦2隻、巡洋艦3隻その他である。謀略戦にまんまと乗せられた訳で、未だに「真珠湾攻撃は成功であった。」と思い込んでいる向きには首をかしげざるを得ない。

沙翁の銅像だけでなく、銅像の周りの樹木や街灯等にも、真珠湾攻撃の6年前と同じものがあるらしいのも面白い。

わたくし的にはこの景色に一番似合っているのは

AFTER THE GOLD RUSH
NEIL YOUNG
REPRISE RECORD
1970

「ニューヨークへ行ってみたい。」なんていう憧れを抱いていた年頃でもあるが、ヴェトナム戦争の真っ最中で、騒がしい時代でもあった。

日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦、あるいは今回のイラク戦争と同じように、「敵を殲滅」というお題目の元に、自国民に我慢をさせて人知れず富みを一部のものが私する、という多くの戦争同様、シェークスピア先生は、中央公園の一角に立ち尽くしてヴェトナム戦争を御覧になっていに違いない。

"AFTER THE GOLD RUSH" は1970年頃の「戦争は嫌だ」という時代の空気を良く表したアルバムなのだが、残念なことに今の米国には当時の様な「戦争は嫌だ」という空気は希薄なようで、戦争の果実を米国が一人占め出来ないのなら、世界を巻き込んでしまえ、となりかねない。4曲目の "SOUTHERN MAN" なんて、ブッシュ大統領にプレゼントするには良い曲なのだが、脳みその代わりに筋肉の詰まったシュワちゃんに良い曲というと、ちょっと思い浮かばない。