2008.3.4

3月です。多くの人にとって恐怖のシーズンです。上の写真は二俣椎ケ脇神社境内から天竜川を眺めたものですが、この時期、大陸からの黄砂が飛んでくることもあり、天候によっては空が黄色く見える事もあります。世の中から何とか「花粉症」なるものを無くすことが出来ないか、と考えて気付いたことがありました。

それは「花粉症」という言葉を無くすことです。

なーんだ、と笑わないでちょっと考えてほしいのです。40年前、私の小学校の頃にも天竜の川筋は、春になると空が杉の花粉で黄色くなっていたはずです。しかしその頃には「花粉症」という言葉を聞いたことはありませんでした。天竜の川筋で杉の植林が始まったのが元禄年間と言いますから、既に400年が経ちます。しかし「花粉症」という言葉が広く知られる様になったのは、この20年程ではないでしょうか。世界的に見てもこの病気は先進工業国に限られたものだそうです。

この40年は我が国で暮らしの様子が急激に変化した時代です。40年前には住宅の工事現場には材木しか無く、大工が柱の長さと同じ長さの鉋屑を出して仕事をしていました。現在の住宅工事は、殆どが工業製品か機械加工品を組み立てるだけ、となって「手作り」の住宅というものを見かけることはありません。そして「新建材」と呼ばれるこれらの工業製品には、大量の添加物が含まれています。

食べ物も同じ様に、40年前にはほとんど自然の食材を調理していたものが、グルタミン酸ナトリウム、イノシン酸ナトリウムに始まる化合物を、食べ物に入れることが急速に進み、あまりの種類の多さに現在では「タンパク加水分解物」などと総称される膨大な種類の化合物が、食べ物の味を作り出しているのだそうです。こうした生活の変化が「花粉症」を生み出している、とは考えられないでしょうか。

口に入る食べ物以外の,例えば建材の世界では遥かに多くの化合物が使われています。世界中で一年に新たに作り出される化合物は20万種類以上、と言われています。そして化合物が使われる際、目的となっている働き以外の副作用、予想されなかった化合物と化合物同士の化合・複合については、野放しで調査も殆どされていない様です。特にppbで表示される、10億分の1単位の微量成分については、工業的分析法すら確立されていないそうです。

この40年間で我々の生活に入り込んでくる化合物の多さ、複雑さは激増しました。そしてそうした化合物によって徹底的に痛めつけられた我々の身体が、最初に反応するのが杉の花粉、というのが「花粉症」のメカニズム、ということのようです。

マスクに始まり、果ては花粉の少ない杉の品種改良、という「杉対策」は、対症療法にはなっても、「花粉症」の原因を取り除くことにはならないのですね。この世から杉を無くせば、人体は次の引き金物質に反応することでしょう。「花粉症」という言葉は「花粉症」の原因を覆い隠す危険に満ちています。本気で「花粉症」を無くそうと思ったら、「花粉症」という言葉を使うのを止めて、「化合物症」あるいは「石油症」という言葉に置き換えるのが第一歩ではないでしょうか。