2006.5.26

  1. はじめに
  2. 水田稲作のもたらす自然観
  3. 日本人の自然観と感性
  4. 「鎖国」によって得たもの
  5. 近代化と日本人の自然観

はじめに

私の子供の頃、つまり昭和30年代には芳川村の田んぼの水路にはどじょうが群れていた。取って食うことも出来た。現在の県立森林公園のあたりは「松茸山」として有名であり、春になると出かけて松茸狩りが出来た。40年前には松茸はちょっと高級な、それでも日本人にとっては普通の食べ物だったのだ。その松茸が40年間で採れなくなってしまった道筋を考えてみよう。

昔々あるところにおじいさんとおばあさんがモモタロウという子供と住んでおった。大きくなったモモタロウが鬼が島へ行って鬼を退治し、鬼の宝物を持ち帰っておじいさんとおばあさんに上げたのは1895年であった。

「鬼は悪いやつかもしれないが、鬼の宝は全て村人から奪ったものではないかも知れない、先祖から伝わったものも、汗を流して自分で働いて手に入れたものもあるだろう。悪い鬼を退治して、宝を取られた村びとに返してやったなら、モモタロウは偉いやつだが、自分ちに持って帰っておじいさんとおばあさんに上げたのでは泥棒と同じだ。」と言ったのは福沢諭吉だった。

さて、モモタロウは心のやさしい子供だったので、1960年代になると、年老いたおじいさんが毎日山へ柴刈りに行くのを見て、まがった腰で柴刈りの苦労をしなくても良いように瞬間湯沸器を、おばあさんにはガスレンジを買ってあげた。おじいさんは苦労をしなくても蛇口をひねるだけで風呂に入れるようになり、大変喜んだ。そしてもう山へ柴刈りに行かなくなってしまった。

おじいさんが毎日柴刈りに行って、赤松の根元にたまった枯れ葉や柴をきれいに掃除していた裏山には次第に枯れ葉や小枝が溜っていった。枯れ葉や小枝はやがて腐ってゆく。こうした腐れに最も弱いのは何と松茸菌であった。松茸菌は地面が腐葉土におおわれるとやがて死滅して行った。そして代わりに生えてきたのが腐葉土の大好きなシダの類いであった。現在では我々が子供の頃、松茸狩りに出かけた山は殆どがシダ類のヤブになっている。

かっては人間の手が加わることで美しい姿を保っていた我が国の山野は近代化とともに急速にその姿を変えて来た。近代化の手本となった、西洋における自然との付き合い方と、それまで永年に渡って培われてきた日本人の自然との付き合い方の違いを考えてみよう。

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