2006.5.26
 

  1. はじめに
  2. 水田稲作のもたらす自然観
  3. 日本人の自然観と感性
  4. 「鎖国」によって得たもの
  5. 近代化と日本人の自然観

4.近代化と日本人の自然観

明治維新以降、西洋近代で発達した、ものごとをさまざまな要素に分解しそれぞれに解を与えてからこれらを統合する、という近代的な考え方が取り入れられるようになった。鎖国下の日本という限られた環境のなかで、常にそれぞれの地域ごとに自然と人間が好ましい関係を保ち、地域全体を視野に置いたうえで、部分的な問題の解決を考える、という方法とは違う方法である。

自然と対面する場合にも、それまでは水には水の神様である「水神様」、風には風の神様である「風神様」があって、人間の考えの及ばないところがあるから、配慮を怠ると「罰があたる」として、思考を停止していた様々なものごとの部分に解決が与えられるようになった。

こうした近代的思考法は、産業・経済といった分野ではうまく機能し、わが国は急速に産業近代化を果たすことが出来た。それまで地域ごとの自然環境のうえに組み立てられていた、自給自足的色彩の濃い、地域ごとに自然環境を含んで完結していた地域経営のうえに、年貢を通して統合されていた国内経済は、鉄道等の近代的な物流設備の整備が進むと共に、急速に解体され、近代的により統合された日本経済として整備された。

これに併ってそれまで閉鎖系のなかで完結していた鎖国下ではみられなかった、様々な新しい課題が発生した。例えば経済活動と環境の切り離しである。

森林についてみれば、それまで長い時間をかけて、地域経済その他、さまざまな人間活動全体と地域ごとに統合され、地域ごとの環境をなしていた森林は、そのさまざまな公共機能と切り離し、木材生産としての経済的な機能についてのみ考える、というやり方で扱われることになった。それまでに蓄積された環境資産としての意味合いは十分に振り返られることなく、それぞれの土地所有者に維持管理が委ねられた。土地所有者以外にとって、環境の維持管理は切実な問題ではなくなり、あたかも人間が手を加えなくても、そこにその姿のままであり続けるものとして知覚されるまでになってしまった。

これについで工業化が進むにつれ、国際経済体制のなかで林業もまた、環境その他の経済外機能を考慮しない、経済的な国際競争力という尺度で評価されることとなった。先進諸国が世界規模で行ってきた木材生産には、経済外機能を考慮しないものもあり、そのようにして生産された木材に比較すれば経済的な競争力は劣るのが当然であり、国内林業は見放されていく。

経済的な価値がなければ、放置して「自然」に戻せばよい、という発想があったことは否めない。ここで問題なのはわれわれにとって「自然」が人間の手の入らない「自然」なのか、時間をかけて人間が働きかけた結果としてでき上がった「自然」なのかだった。長い間人間の手をかけてもっとも望ましい形として保たれてきた森林から、人間が手を引いて「自然」のままに放置した場合、どうなるかという研究が近年になって進んでいる。

人為的な二次林が潜在自然植生に遷移するまでには数百年にわたる時間が必要で、その間の経済的な損失ははかりしれない。近年、木材価格低下とともに管理が不十分になった人工林で土砂災害が頻発しているのはその一例である。

このようにしてみてみると、人間がそこにいる限り、森と人間は別々に存在することはできず、また経済外機能を考慮しなかったこれまでの近代的な経済活動の対象と考えるのでもなく、鎖国下の日本という閉じた環境のなかで貯えられたような、常に全体を視野に置いたうえで、問題の解決を考える、というかたちで「つきあう」のが、日本人の持っている自然への優れた態度であろう。

「地域環境計画」
阿蘇裕矢 編
日本福祉大学通信教育部 刊
2004

に加筆

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