2006.5.26

  1. はじめに
  2. 水田稲作のもたらす自然観
  3. 日本人の自然観と感性
  4. 「鎖国」によって得たもの
  5. 近代化と日本人の自然観

3.「鎖国」によって得たもの

江戸時代、250年以上にわたってわが国は鎖国政策をとってきた。限られた国土のなかで外から何も足さず、何も外に出さず、水田稲作を中心とし、自然環境を人間の活動のために、もっとも好ましい形で維持するための工夫を続けていた。

水田稲作文化がわが国に入ってきて2000年以上にわたり、農耕は「天下泰平・五穀豊穣」とイメージされるように、人間の社会活動を含み、大地のうえで動植物生態系・気圏・水圏が全体として不都合なく機能する系としてイメージされてきた。17世紀以降、限られた国土を最大限に利用する為、新田開発が盛んに行われたが、これも水害の予防という「治水」と、農業用水源の安定という「利水」の考えに基づいたものである。鎖国という限られた環境のなかでの開発は特定の機能に着目し、そのために他の部分で支障をきたすような開発は厳に慎まれるべきものだった。

例えば水田では主食となる穀物の生産だけでなく、水田における水利用を通して水害を防止し、同時に物資輸送路としても機能するよう水路が整備されてきた。最近の研究では、水田の機能としてこれ以外にも、気温調節・生物多様性の保全・水質浄化・教育レクリエーションなどさまざまな機能が再評価されている。

現在のわれわれが目にする森林の景観もまた、人間とのかかわりのない「生の自然」ではなく、長い時間をかけて人間の生活にとって望ましい姿に整えられてきた「歴史的な自然」の姿である。伝統的な日本の風景として、三保の松原越しに富士山を望む、という「白砂青松」の景観があげられるが、我が国の海岸線における潜在自然植生はシイ-タブ林・ブナ林・オオシラビソ林であることが知られており、黒松からなる「白砂青松」の海岸景観は人間の手の加わった「歴史的な自然」であることがわかる。

黒松は江戸時代以降、東海道等の幕府直轄道路の防災林として広く整備されたが、それ以外にも海岸防風林としても整備された。同時に「たたら製鉄」にもっとも適した木炭となることが知られており、燃料としての有用林種がそのまま防災林としても機能することが重視されたものと思われる。常緑樹の松は中国でも紀元前から長寿を表象する樹種と考えられており、こうしたことを背景に長い時間を経てつくり出されたのが海岸における「白砂青松」の景観だと思われる。

江戸時代にはまた建築用材としての林業も盛んになった。1602年に出羽国に封ぜられた佐竹義宣は 「国の宝は山であり、山の衰えは国衰である」として山林保護に力を入れ、現在見るような秋田杉の基礎を築いた。

天竜川流域、木曽三川などの幕府の直轄地でも、年貢の代わりに建築用材を納める「榑木成村」が指定され、松・杉とともに檜の生産も行われた。こうした地域で森林の環境維持・保全のために住民の生活が厳格に管理されていた様子は、幕府へ檜の御用材を納める木曽川筋で「檜一本首一つ、枝一本腕一本」といい伝えられていることからも想像される。

現在われわれが目にする豊かな森林の姿は、決して人間が手を加えないままに放置してできたものではなく、長い時間をかけて多大な労働力を投入して維持管理されてきたものである。これは単に材木生産のためだけにとどまらず、水源涵養・洪水防止といったさまざまな機能が全体として不都合なく働く系として考えられていたからこそ可能であったといえるだろう。森林の環境保全機能は河川の水質を通してだけでなく、魚付林などとしても下流の海にまで及び、漁業と深いかかわりをもつことも最近になって見直されている。

江戸時代、佃島など江戸の市街地に接した海岸集落が「御菜八ケ浦」として、将軍家へ魚を献上していた。人口100万人以上という当時の世界最大の都市であっても、明治以降、産業近代化とともに汚染が進んだ都心に隣接した海水の水質が、人間活動によって汚染されていなかったから、といえるだろう。

「江戸前の鯛」と「生け簀の鯛」と「伊豆の鯛」を較べると、「江戸前の鯛」がもっとも美味しい、という話も伝えられている。江戸の鯛は「人様の食い残した御馳走ばかり食べているので、 身が甘くて美味しい」、これに対して生け簀の鯛は「食べ物は同じだが、捕まってから幾日も生け簀に飼われ、「今日は殺されるか、明日は殺されるか、」と心配して気が病んでいつので、美味しくなく」、伊豆の鯛は「ろくに食べるのもがない田舎の海で粗食に耐えているので身が硬くてまずい」のだそうだ。

この話からは、江戸前の海が重金属等の特定物質による汚染だけでなく、窒素循環のうえからも健全な状態にあり、江戸時代の人々がなるべく身近な環境から美味しいものが手に入る方が好ましいこと、人間と魚の間の食物連鎖を「殺生」という考え方で意識していたことがうかがわれる。

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