2008.8.2








明け方目が覚めると土砂降りだった。すでに洗濯物は全滅状態。それにしても実感としては時間雨量50mm以上という感じ。

雨自体は小一時間程で納まった。全国版の衛星写真には現れず,地方版のレーダー画像でかろうじてわかる局所的な雨だ。

このところ雨の降り方も昔に比べて乱暴になって来た印象があるのは、地球温暖化の影響なのか知らんと、素人なりに考える。先日は神戸市で都市型洪水により死者が出たということで、人々が川遊びをする親水施設に1m余の濁流が襲いかかる映像がテレビで紹介されたのは衝撃的だった。





同じことは浜松市でも起こりうる訳で,近所の下池川橋を見に行った。下池周辺は幕藩時代以来、外堀の格で豪雨の度に悩まされたところだ。近年では七夕豪雨で浸水している。

いつもはほとんど水のない川に泥水があふれ,堤頂まで2m程に迫っていた。それが見ているうちに雨が小振りになったかと思ったら、15分程で水位も30cm以上下がった。この分では洗濯物を取り込んでいる頃には写真より更に水かさが増していたこともあり得る。

地面のうちかっては雨を吸い込んでいた土などに代わり、道路などがコンクリート・アスファルトで固められ、不浸透面積が増えたのが原因、とされるが、住宅地でも庭を造る余裕が無くなり、建ぺい率ぎりぎりまで建物が建てられ,残りの面積が駐車スペースとして手入れの要らない素材に変えられたのも大きいだろう。








こちらは神田川

8時過ぎにはほぼ平常時の水位に戻っていた。「全ての河川は排水路であり、降った雨はなるべく速やかに排水する。」という近代的水防技術の成果だ。「100年に一度の豪雨にも耐える」河川とする為、これまでに莫大な税金が投入されて来た。しかし都市化の進展と気候変動で、100年に一度の豪雨が10年に一度となり、さらには毎年、となりかねない勢いなのだ。

更に恐ろしいのは都市下水との複合災害だ。下池周辺は地盤が低いため、七夕豪雨の後で左の駐車場脇の写真の様に堰堤のかさ上げを行っている。地盤が低いことはまた雨水の放流先がないということでもあるため、左の写真に見る様に雨水を都市下水に落とし込んで排水している。ところが神田川など東京都心で発生する洪水被害では、都市下水の処理能力を集中豪雨が上回ってしまうというのだ。

気候変動と都市化にともなう不浸透面の増加によって、東京都心でも集中豪雨の度に都市下水が容量オーバーを引き起こし,処理能力を超える雨水は汚水とともに河川へ戻されてしまうのだそうだ。豪雨の度に川をウンコがプカプカやっているのはどうも文明国とは言いがたい光景だ。

たしかに地球温暖化にともなう気候変動にも原因があるだろう。2001年のドナウ側流域の洪水では、流域の広い範囲で半年に渡って冠水が続いていたそうな。

しかしもうひとつの大きな背景には「文明開化のツケが回った」という面があるのではないか。報道によれば2001年のドナウ側流域の豪雨の際,「降水量は2週間で200mmに達した。」のだそうだ。

200mmといえば、我が国では24時間雨量であれば被害が出るかもしれないが、2週間で200mmといえば、全国大方の地域で毎年普通に経験している降雨だろう。そうした気象条件の違いを措いて、 それまでの「古い、遅れた、劣ったもの」を欧米の「新しい、進んだ、優れた技術」で近代化する。という「文明開化思想」は、実は未だにこの国に経深くはびこっている。



治水の始祖は紀元前2,200年頃の禹であるというのが話半分としても、地震で有名になった四川省都江堰が出来たのは、ローマ時代ということで、今で言う「欧米先進国」など形も無かった頃だ。

水田稲作とともに東アジアの治水技術は古くに高度な技術レヴェルに達していたのだ。近代化以前の浜松の面影にも様々な「水に親しむ」文化が残されていた。現在も市内の市街地のあちこちに点在する田んぼは、実は洪水を防ぐ調整池としても重要な役割を担っている。19世紀の戦争が領土戦争、20世紀の戦争が石油戦争であるのに対し,21世紀の戦争は水戦争だ,と言われる折、東アジアの多雨地帯に蓄えられた知恵には大きなものがあろう。