小林よしのりさん、はっきり言って「太平洋戦争肯定論」ですね。どこにでもいるもんです。 都合の悪いことは頬かむりをして胸を張ってみせる人。 天皇を戦争犯罪人にしてしまったのは東京裁判では無く、 「上官の命令は朕の命令だと思え。」 と言った人達だと思うのですが、 こういうひとは都合が悪くなると首をすくめて出てきません。あとは「忘れた。」ということで、、、 彼の場合は最初からそうでした。

「東大一直線」

学問は真理探究の為にあるのでは無く、権力獲得の為のものだ、勝つか負けるか、という発想。 言い負かした方が勝ち。で、 口数が多い訳です。

読むものに考える暇を与えない。
それから絵がキタナイ。

「戦争論」というのもパラパラやって、相変わらず絵がキタナイのでそれ以上読んでいません。 読んでいないので、たいしたことは言えないのですが、「ゴーマンかましてよかですか」と、 全体構造が「甘え」の中にあることを宣言している訳ですから、茶番でしょう。
誰もやらない、ということで「オウム真理教」にチャチャを入れてみたら時流に乗ったので、 今度はやはり戦後50年間、小数の人が踏み絵に使ったほかは国民の多くがまたいで来た「戦争」にチャチャを入れてみよう、 というぐらいのものでしょうか。
ま、虚を突かれたことで、今まで戦争を考えずに来たことを反省する良いチャンスです。

スウェーデンは「自由主義」の国なので、都合の悪いことは頬かむりをして胸を張ってみせる人、 ネオナチがデモをやったそうです。「自由主義」の国なので、デモは禁止出来ない。 で、国民の非難は文部省に集まったとか。 「歴史教育がなっとらんから、ああいう馬鹿者が時代錯誤なことをやる。」 と言う訳です。日本は逆ですね。文部省が頬かむりの親玉みたいなものですから。

日本に個人主義はありません。
何せ小学校1年生から義務教育9年間も掛けて
「自分で考えてはいけない。」と言う教育をしていますから。
「先生の言うことを聞いて、そのとおりにしなさい。」
「偉い人の言うことは良く聞きなさい。」
「大人の言うことに逆らってはいけません。」
  …
「お金をくれた人の言うことは聞きなさい」
と、売春高校生をつくり出している様なモンです。

自分で考えて、行動するので無く、それが流行りなら下着みたいなファッションに皆が走ります。 そういう若者にとってはTVは神様になってしまう。TVは恐いです。 ま、自分で考えない、という点では大人も同じことしてますからねぇ。
「公務員倫理法」という話があった時にも「高校の校則みたいだ。」と言う感想がありましたね。 徹底的に自分で善悪判断を出来ない人間を造り出しているのですね。 私から見るとこっちの方が日本を滅ぼす元凶になりそうです。

「個人主義」を考える上で、実は我が国における「公」は、権力を持つもの、 上のものにとっての「私」だった、という見方をすると理解しやしすい事柄が多々ありますね。

現在の公共事業の絶望的な膨らみ方もそうですが、太平洋戦争当時の軍幹部の有り様も似た様なものだったことが、

田中隆吉少将の

日本軍閥暗鬪史
昭和23年11月1日
静和堂書店

からも伺えます。

この人は東京裁判で検察側証人に立った人ですが、 昭和23年のこの本は帝国陸軍が小数の幹部によって「私」されていた様子を生々しく描き出しています。 もちろん田中少将は「謀略」方面の人なので、本に書いてあることを鵜呑みにすることは無いのですが、

実は先日、航空自衛隊のエアショ−と言うのを見てきました。 市中の飲み屋で司令とお話をし、「とにかく見て下さい。」と言われた約束を果たした訳です。 佐官というと、戦前であれば私の様な一般人が直接話をできる相手では無いのですが、 「現場の人間は平和主義車です。」とおっしゃっていたのが印象的でした。
南基地の片隅に「資料館」があり、旧軍関係の資料が展示してありましたが、 建物自体が古く、まるで「おばけ屋敷」の様な姿をしていました。そこで初めて知ったことに、 硫黄島への最後の渡洋爆撃が浜松基地から行われたということがあります。
積めるだけの爆弾を積み込んで、ギリギリの燃料しか無い帰路、渥美半島の山に墜落した機もあったそうですが、 最後にはそれさえ爆弾に代えた片道行となった、とのことでした。

そうした「凛とした精神」と、終戦に至るまで「前線では毎日何万人もの兵隊が死んでいるのに、 相も変わらず頭の取り合いに明け暮れていた市ヶ谷の幹部連」は対照的に見えます。

日本に個人主義が無いのと同時に「国防」に関する国民的なコンセンサスが無い、 というのも実は恐ろしいことに思えます。
我々に至るまで、憲法9条を輸出する努力をせず、 「免罪符」のごとく「持っているだけで救われる」と考えていたのは、 国際常識から考えればナイーブといわれても仕方ないでしょう。
例えばAWACSに反対するにせよ、賛成するにせよ、 それが浜松市民にとって分相応な負担かどうかという議論なしに「守も攻めるも」をやっている様な気がします。


日本人は戦争がヘタ。
というイメージがあります。あんなもんはオサムライサンがやるもので、おらっち百姓には関係ネー。 というわけで、自分の田畑で戦が始まろうとすると、コエタゴからひしゃくでコエを汲んで「あっちでやれー。」 と言うのが戦国時代の百姓の姿だそうで、戦後50年間、戦争とは関係なしにのんびり暮らしていた、 日本国民のコンセンサスもそんな所にあるのでしょう。

明治以降、「制度」としての近代国家は出来たけれども、国民皆兵を担うための教育制度は出来たけれども、 「近代国家」が国民とはカンケイナイところで作られてしまった。といううらみがあるのでは無いでしょうか。
で、戦争についても国民感情としてはカンケイナイと、 航空士官のようなプロフェッショナルを別にすれば「国民の義務」などと言われても、 江戸時代の年貢と同じ様に「災難だ、」位にしか考えていなかった様な面は無いのでしょうか。 ニュ−ギニア戦線の死者のうち、戦闘中の戦死・戦傷によるものが3%で、 後は腹が減って死んだ、といわれると、どうもそんな気がします。

で、本職の方はどうだったか、と言うと、こちらも相当にオサムライサンだったのではないでしょうか。 大日本帝国軍の「行軍」も江戸時代の参勤交代の続きのような気分があったようで、 上にいく程酒臭かった様子が大岡昇平さんの「レイテ戦記」からも伺えます。 第一次大戦のときに「前線では兵隊さんが一生懸命戦っているのに、」 と禁酒法を作ってしまった米国などとは勝手がちがうようです。

「参勤交代」では、各地の大名が「東北地方討伐軍前線総司令部」に交代で勤務するため、 軍装でぞろぞろと何ヶ月もかけて江戸まで行軍するわけです。 ところが天下太平の世が続くため、行軍する部隊は完全にボケているわけですね。 夜毎酒を浴びては道中の宿舎に「従軍慰安婦ノヨウナモノ」を引き込んでは狼藉をするわけです。
例えば亨保十六年、尾張中納言徳川宗春御国入りの際はというと、

「宗春自身の出で立ちは金襴の着物に鼈甲で作った唐人笠を冠り、笠の上には大鳥毛を立て、 金覆鱗の飾り馬に乗り、これに従う八百余名の侍達は一人残らず華美なみなりに花笠を冠って、、、」 宿場につくと「土地を賑やかしてやれ、遊楽勝手たるべし、、、」

というものだったようです。オサムライサンは気持ちが良かったかも知れませんが、年貢が続くはずもありません。 遠国の外様大名の力を削ぐために始めた「戦争ごっこ」が幕府の財政を圧迫した訳です。
ところが「近代国家」というと、そうは行かない。年貢だけでは無く、命まで出さなくては許してもらえませんでした。 戦後五十年間の日本国民は「平和憲法を守ってきた」と言うよりは「おらっち百姓には関係ネー。」と 「洞が峠」を決め込んでいた、と言った方が近いのではないでしょうか。
第二次世界大戦が終わって日本国民が「民主主義」を貰ってマゴマゴしていた間、 韓国と朝鮮民主主義人民共和国は戦争を貰って同族相喰んでいましたし、台湾には亡命政権がやってきました。

「近代国家と言っても、所詮は戦争しかしなかったじゃないか。」
というわけで、ヨーロッパでは「国家」の姿が21世紀に向けて変わろうと言う時に、 日本国民は相変わらず、「おらっち百姓には関係ネー。御政道はお上のなさるこって。」と無関心で来ました。


建築士の隣接領域から行けば、AWACS運用によって騒音がどうなるのか、 「市民の側から」シミュレ−ションを行うということも考えられるはずです。 「お上」の環境アセスメントが環境「アワセメント」のなっている現在、 議論を始める絶好のスタ−トラインになるはずだと思われます。

エアショ−でもうひとつ実感したことに、
「ヘリポートはごめんだ。」
ということがありました。とにかくうるさい。
デシベルから行けばF15よりも下なのでしょうが、 あっちは一瞬であるのに対して、ヘリの騒音はしつこいのですね。
ジェット戦闘機が騎士の一騎討ちのなごりを感じさせるとすれば、 ヘリの騒音は「無辜」を「なぶり殺し」という感じがしました。沖縄の人々がいやがるのも無理は無いと思います。 これも現場を見なければ気がつかなかったことかも知れません。