今回のワールドカップで一番の見物は何といってもジタンの頭突きだったのではないだろうか。 相手のアホなイタ公はきょとんとしていたが、あれには全ヨーロッパの有色人種を代表する、紀元前71年以来、2,077年間の積り重なった恨みがこもっていたのだ。

ローマ帝国の市民は愛国心などという無益なものは持たず、兵士などという割にあわない職業に付く気もさらさら無かったので、ローマ軍の兵士はアフリカあたりの貧乏人のガキをさらって来た傭兵であったという。 ところが貧乏人のガキにも自分の頭で考える能力を持つものがいるので、その中でも反抗心の強いやつがローマ軍の急所だった。

危険の目は小さなうちに摘み取れ、という訳で、反抗的な目つきをしたやつは隊列から摘まみ上げてコロシアムに送り、互いに殺し合をさせたのだ。 そうしたローマ軍なので、スパルタカスと共に脱走した80人はあっという間に数万人の大軍に膨れ上がり、戦闘力で数段落ちるローマ正規軍を相手に2年間持ちこたえ、もう少しのところでローマ帝国を滅ぼすことが出来なかったのは残念であった。

さて、ワールドカップでも身体能力ではアフリカ、南米といった有色人種が圧倒的に強く、フランス初め白人国の選手でもめぼしいところは、アルジェリアなどから流れて来た有色人種である。 彼等の親族が二流市民として白人の嫌がる底辺労働で暮しを支えていることは4月のパリ郊外の暴動でも良く解る。

ジタンもまたアルジェリア移民の子供として育ち、サッカー選手にでもならなければ、二流市民としての一生を終えるところであったようだ。 そうした彼が引退試合として選んだのが今回のワールドカップであり、頭突きの相手は正にローマ軍の跡目を引く白人イタリア選手であった。

FIFAの調査が目指すところは明白であるが、ひとつ間違えばヨーロッパその他の白人社会を大混乱に巻き込む可能性もあるのだ。

さてテレビでは中田英寿がインタビューを受けていて、こちらも面白かった。 今回のナショナルチームには「自分の頭で考える能力が欠けていた。」というのが彼の結論であったようだ。

ヨーロッパの感覚からいえばこれはローマ帝国の傭兵部隊に相当するのであろう。 傭兵が「自分の頭で考える能力」など身に付けた日には、スパルタカスの反乱を再現することは目に見えており、どうしても避けねばならないことだ。

今回のナショナルチームの若者達を見るに、子供の頃から母親の運転する自家用車でサッカークラブへ送り迎え、という姿が目に浮かぶ。 飢餓線上のスラム街でボールを蹴っていたら、人さらいにさらわれて、という欧州・南米の選手とはえらい違いである。

そうした正規軍が傭兵部隊同様「自分の頭で考える能力」を持っていないというのは、白人社会からすると想像を絶した世界だろう。 テレビの解説者はどこでも「モティヴェーション」をキーワードとして連発していたが、どこまでその意味を解ってしゃべっていたのだろうか、怪しいものだ。 「モティヴェーション」の無さを言うならば、今回のナショナルチームは大日本帝国陸軍の伝統を受け継いでいた、とも言えるだろう。

その昔、ものの本にあった「革命軍は植民地土民軍を恐れない。」というのは実にこのことであり、恐れる必要の無いのは「オラシランモンネ」という「自分の頭で考える能力」を剥ぎ取られた「言われたことしかしない」軍隊だからだ。

トルシエとジーコの違いもここにあったようだ。 中東・中国などへ最新技術と偽ってセコハンの技術製品を平気で売り付け、「いやー、あそこの国では難しすぎる機械は無理なんじゃ。」などと平気でおっしゃるフランスから来た、トルシエの指導は「考えなくても良いから、言われた通りにやれ。」であったのに対し、ブラジル出身のジーコは正規軍たるナショナルチームを、そうした植民地土民軍にだけはしたくなかったのではなかろうか。

今回のナショナルチームの若者達が、植民地土民軍ならぬ正真正銘の正規軍であるにも関わらず、「自分の頭で考える能力」を待たなかったことは、進学塾大盛況の日本の姿を写す鏡であり、東海村臨界事故・高松塚壁画剥落事件と同じ根を持つこの国の病理だ。