信仰と国家

2014.10.23

農業と牧畜業
ローマ帝国
半僧坊とインド洋
茶室の源流
信仰と国家
フランク王国

ヘブライ教・キリスト教・イスラム教の西洋三教は同じ聖書に基づいている。それが「出エジプト記」から始まるのは、古代にエジプト王の圧政を逃れた人々の記憶によるものだろう。紀元前6世紀にイスラエルがバビロニアに滅ぼされ、奴隷となった時「このままではヘブライ教徒は消えてしまう。」という危機感から、文字を発明し、聖書を作ったそうだ。エジプトに始まる先祖崇拝が主体だ。

ローマ時代にはキリストが出て、ローマ帝国の平民の信心を集め、キリスト教が出来た。牧畜業の暮らしに基づく部分が大きいので、「そこの子羊ちゃんはあの子羊くんにまたがってもらいなさい。」という家畜の繁殖管理を信徒に応用している。

7世紀にはアラビア半島にムハンマドが出てその予言に沿って、イスラム教が起こった。アラビア語で書かれているムハンマドの予言に忠実に従う。のちにインド洋から世界に広がった。

西洋三教は「宇宙のすべては創造主が作った。」という一神教だが、インドから東方では多神教を信じている。

日本の神道は太陽・食べ物・水・風・岩・木など、自然物に神性を見出す多神教で、今風に言えばエコロジーだろう。のちにはこれに偉人が加えられた。

仏教は紀元前5世紀にインドで釈迦が始めた。「宇宙のすべては創造主が作った」のではなく「遠い昔から自然の営みを繰り返してきた。」ので「自業自得」つまり自分が受け取るものは、自分がしてきたことの成果だという「輪廻」を説く。

キリスト教の結婚式は家畜の繁殖管理の技術を応用したものだ。平民の場合は指輪ぐらいで事足りるが、王侯貴族の結婚式は領土の統廃合となるので大変だ。祝宴の後で新郎新婦が初夜を迎える時、両親とローマ法王の使者が同席して「何回結婚したか」ローマまで早馬で知らせたという情景が

チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷
塩野 七生
新潮文庫 2013年2月
に描かれている。

信仰は自分に発して自分に終わるものなのだが、これを国家と結び付けたりすると、ろくなことはない。「ジハード」というのも、「自分を律する」というのが原型だそうだ。

新しいローマ法王は「10番」と書かれたアルゼンチンのサッカーユニフォームをもらって、喜んでおられる。

ローマ法王がヨーロッパ以外の場所から選ばれたのは2,000年来初めてのことだが、新しいローマ法王が「フランチェスコ」と名乗られたのも、画期的なことだ。

「フランチェスコ」は米国西海岸の都市の名前にもなっている「アッシジの聖フランチェスコ」から来ている。

呉服屋の若旦那で、遊び好きだったジョバンニ君は、24歳の時から、手柄を立てようと戦争に出かけるが、そこで彼は「聞くのと大違いの地獄」という戦争を見て「神の声」を聞いてしまう。

彼は富を捨てて出家するとフランチェスコと名乗り、ボロをまとって托鉢の暮らしを始める。彼を慕う人が増え「兄弟」と呼び合うようになる。「フランチェスコの兄弟」は、町外れの掘建て小屋に住み、石造の建物に住むことなどもっての他である。

托鉢からアッシジに帰り、アッシジ市が寄贈した石造の建物が建てられているのを見ると、フランチェスコは屋根に上って瓦を剥がし始めた。

それを止めさせるためには、アッシジ市の役人が「その建物は寄進したものではなく貸与したものであり、所有権はアッシジ市にあるので壊さないでくれ」と説得するしか無かった。(Wikipedia)

信仰に生きる人々とは対照的に、国家を夢見る人々は、自分の権威のために信仰を利用したように、建築もまた君主につかえるもの、と考えていた。

ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパ各地で受け入れられたキリスト教の歴史は、信仰と国家の間の苦悩の歴史でもある。 修道院(教科書p107)の中で信仰に生きるうちはいいのだが、「聖フランチェスコ」はじめ多くの人が「信仰は自分の事。」と声をあげ続けたにもかかわらず、少しでも油断をすると、互いに相手を利用しようというものが出てくる。

15世紀まで、ヨーロッパには「建築家」というものはおらず、教会のお坊さんが神の導くところに従って、建物のあり方を決めていた。そしてそれを実際に施工する職人がすべての建物を作り上げていた。

ローマ時代の建物は「国家建築」であり、奴隷を使って遠くの山から巨大な石を切り出して作られた。それに対してゴシックの教会建築は信者の小額の寄進を集めて作られるので、巨大な石は使えない。またアルプスの北側ではイタリアのように豊富な大理石が手に入らなかった。そして聖堂は「永遠」でなければならない。ゴシック建築はこうして比較的細かな石を積み上げて、裏側に水で溶いた石灰石を流し込んで全体を固める、トイう技術を完成させた。こうして「石ノ森」の様な巨大な聖堂を作り上げる技能は専門の設計者ではなく、職人である石工(メイソン)が持っていた。

腕の立つ石工は見ず知らずの土地へ行っても、石工仲間に受け入れられ、どこでも仕事をすることができた。こうして旅の石工(フリーメイソン)は、ヨーロッパ各地にゴシック独自の石造の技能を広めることとなった。

ガウディ(教科書p158,159)によるサグラダ・ファミリアは、その雄大な構造が建築史では取り上げられるが、精神史からも近代の特徴を強く持っている。

それまで王侯貴族の庇護下で作られた宗教建築は、偉人・聖人の奇跡譚をモチーフとしたものが多かった。教会の権威の元に安住し、平民とはかけ離れた生活をする王侯貴族にとっては、奇跡譚は自己の権威を補強するものだった。

サグラダ・ファミリアの設計では、ガウディはそうした奇跡譚をモチーフに使わず、その代わりに「万物は創造主が作った」という聖書の教えそのもので教会を飾ることとした。

同じように教会の権威の元に安住し、平民とはかけ離れた生活をする聖職者を、次々と導こうとするフランチェスコ法王を、頼もしく思う信者も多いはずだ。

これとは対照的に純粋で経験の少ない若者を煽り立てて、天下取りの道具に使う、というものもいるので、気をつけなければなrない。

最近はイスラム国が暴れているが、あれもサダム・フセインの時の秘密警察のボスが仕切っているそうだ。まあ信仰というより広域暴力団のようなものだ。煽られた若者たちは「ジハード」本来の意味とは逆のことをやっているのに気づかないのだろう。

数千万人を殺す手伝いをしたのは、毛沢東に煽られた紅衛兵諸君。「永遠のゼロ」などと、嘘っぱちを並べた映画を作る連中も似たようなものだろう。

「永遠のゼロ」の時代に、本職の飛行機乗りがなにをしていたかは、航空自衛隊浜松基地の教育資料館で、硫黄島夜間渡洋爆撃をした、村山隊その他所隊の遺品を見ればよくわかる。見学には一週間前に申し込みが必要。信仰が国家と結びつくとロクなことはない。

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