フランク王国

2014.10.23

農業と牧畜業
ローマ帝国
半僧坊とインド洋
茶室の源流
信仰と国家
フランク王国

繁栄を極めたローマ国も、3Kは奴隷にやらせよう、などと言っているうちに朽木が倒れるように自然崩壊してしまった。

かてて加えて東方からはフン族、北方からはノルマンがローマの辺境をグチャグチャにしてしまった。ハンガリーはフン族の末裔で、東方系ということで日本にも親しみがあるようだ。


図は
The Penguin Atlas of World History/1974
世界史概観/H.G.Wells/長谷部文雄・阿部知二訳/岩波新書1966

9世紀、日本で言えば平安時代になると現在のフランス・ドイツのあたりにフランク王国が立った。シャルルマーニュ(教科書p106)というのがキリスト教に帰依して、異教徒を打ち負かしたのだ。シャルルというのはフランス読みで、
英語:Charles チャールズ
仏語:Charles シャルル
独語:Karl カール
西語:Carlos カルロス
となるので、お間違いなきよう。 シャルルマーニュはシャルル大帝で、
英語:Charles the Great
独語:Karl der Grosse
伊語:Carlo Magno
なんである。スキーで使うのがストック、ドラマーがスティック、じじいがステッキというのも同じだ。



最近ではフランスのシャルル・エブドという漫画雑誌がムハンマドをおちょくった漫画を表紙にしたということで、過激派の襲撃を受けた。

これには「表現の自由」ということで猛反発が起きたが、その時の「Je suis Charlie=私もシャルル」というのは西洋キリスト教徒の心情だろう。

チャップリンもフランス風に読めばシャルル・シャプランとなるし、スヌーピーに出てくるのもシャルリだ。しばらく前にはシャルル・ドゴールという乱暴者もいた。シャルル大帝がローマ帝国亡き後の西洋キリスト教徒の家元・ヒーローなのだろう。

フランク王国のころから建築には二つの特徴が現れる。「古代ローマ帝国のような立派な建物」という考え方と「田舎の建物であっても立派に作れる」という考え方だ。

ロマネスク=Romanesqueは「古代ローマ帝国のような」を意味している。同じような例には
アラベスクArabesqueアラビア風
グロテスクGrotesque洞窟風
ピクチャレスクPicturesque絵風
などがある。”-sque”がついていれば「〜風」と考えれば良い。

「古代ローマ帝国のような立派な建物」が永遠に保つためには、建物は石造でなければならないとなる。石造で大空間を作るためには垂直力を伝えるために曲線が使われることとなる。

2次元ではアーチ、2次元ではヴォールト、3次元ではドームということになる。ビザンチウムのアヤ・ソフィアのドームは558以来幾たびも地震で崩壊しているが、その度に研究が重ねられて現在に至っている。 これを支えている数学は、キリスト教圏ではなく、天文学から数学を発達させたイスラム圏であるが、その成果がビザンチン帝国にも、もたらされていたのだろう。(教科書p106−)

ビザンチン帝国は1453年にトルコに滅ぼされるが、なだれ込んできたイスラム教徒はバルカン半島の各地に定住し、信仰を保っている。

当然キリスト教徒と恋に落ちて教えを捨てる若者もいるだろうから、日常生活はごたまぜだろう。そこに住む若者が「イスラム国」のような集団ヒステリーに騙されて「戦士」になってしまう、という紅衛兵みたいなことが、今も続いている。

あの辺りがサッカーを見ても「戦士の本場」なのは、結構根が深い。ヴォイヴォディナに至っては人口200万の国で26の公用語の他に10の言語が使われているそうだ。

概ね単一民族のようなもので、互いに殺し合いをしない仏教徒の多い日本は、その点では恵まれている。

これに対するコシック建築は田舎風、というのは「ローマ」に対比した言い方で、現在の西ヨーロッパの元となる「ゴート族」の文化を指す。 ”-sque”と同じように、名詞に”-ic”を付ければ「〜式」といった形容詞になる。ゴート族の建築が、つまりゴシック建築だ。

もともと木造文化圏で東ヨーロッパでは現在も木造建築が主流だ。「神は森にあり」という発想からか、森の中の木の間から天上の光が差し込むような建築を発達させた。各地のゴシック建築を見ると「石ノ森」のような印象を受ける。パリのノートルダム大聖堂も、前からでなく後ろから見ると立派な「石ノ森」だ。後には北方だけでなく、イタリアでも行われ、ミラノ大聖堂なども石ノ森建築だ。(教科書p112−)

フランク王国の頃、ピレネー山脈の向こうはイスラム圏となっていた。そのイスラム教徒に奪われ「失われた領土」を取り戻そう。という運動が盛んになった。

フランク王国の東の外れ、ライン川流域などから、フランスを横切り、イスラム教徒の目を避けてイベリア半島北岸の「山陰の地」であり、農地が乏しく、住民の自衛力が強かったバスク地方を横切り、サンチャゴーデーコンポステーラを目指すものだ。

昔は戦仕度の命懸けだったものが、今では夏休みの中学生・高校生のトレイルになっているようだ。フランスの各地、この巡礼コースの各地に、大規模な大聖堂が競って建てられた。なにせ「石ノ森」建築なので、高い方が勝ちとなる。(教科書p116)

ついでに言えばバスク地方はマドリッドの言いなりかというに、言う事は聞かず、ゴリゴリの軍人フランコ将軍が1937年、ヒトラーに泣きついて爆撃してもらったことがある。これにびっくりしてピカソが描いたのが「ゲルニカ」だ。今もバスク独立党強硬派はマドリッドに刺客を放って要人暗殺をしたりする。

スペインは未だに国内で戦国時代をやっているわけで、人を殺すのもナンだ、というわけではやっているのがリーガ・エスパニョーラだ。「バルサはサッカーチームではない。カタロニア独立運動である。」というわけだ。

1926年アントニオ・ガウディ(教科書p158)が路面電車に轢かれて死んだのは、カタロニア語しかしゃべれないので、警官がコジキと間違えて、病院に運ばなかったからだそうだ。

4月23日は「サンジョルディの日」であるが「恋人に本を送ろう。」というのは本屋のでっち上げで、「恋人にカタラン語の本を送ろう。」というのが本格だ。サンジョルディはカタロニアの守護聖人であって、ガウディのカサバトリヨのバルコニーの手すりは、サンジョルディが倒した龍の顎と言われている。

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