この図で注意したいのは「用水堀」だ。
関東大震災の頃から、各地で農業近代化が急速に進んだ。特に力が入れられたのは農業用給排水路の整備だ。浅田村でも1925年から1943年に掛けて耕地整理事業が行われ、給排水路も整備された。
浅田付近で道路幅が狭く、自動車のすれ違いが困難なのは、この時の道路幅の規格が2間=3.6mだった事も関係しているだろう。まだ「自家用車」など普通の人が夢に見る事も無い時代だ。
道路も整備されたが、事業の主眼は農業用給排水路だった。現在でも道路と道路の中間に農業用水が残されている。
日本の様に降水量の多い国で、急速な都市化が進むと、都市型洪水の危険が大きくなる。東京都心の目黒川、神田川でも度々被害が出ている。バンコクでは大規模浸水のために、大きな被害が出た。
浅田周辺は元々「水はけの悪い所」であったが、そのために大変な労力を費やして、農業用給排水路が整備された。その用水堀が、現在では都市型洪水の防止に大きな役割りを果たしている。
市街地に近い田んぼも同じ様に豪雨の際に都市型洪水を防ぐ働きをする。市街地がアスファルトで覆われてしまうと、空地は降水量の数倍の高さまで浸水するが、田んぼがあればそこに水が流れ込んで、浸水高を低くする役割りを果たす。千葉県市川市などでは市街地に隣接する田んぼに、そのための奨励金を出している。
迫り来る都市型洪水
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