中高層住居専用地域

浜松市内の住宅地のうち、かなりの部分が第一種中高層住居専用地域に指定されています。マンションが建てられる、ということで周辺住民がびっくりするのも、この中高層住居専用地域です。というわけで中高層住居専用地域とは何なのか、考えてみました。上記の60/200というのは建ぺい率60%、容積率200%というわけで、中高層住居専用地域にかぎらず、広い地域で建物を建てる場合の密度の基準となっています。先ずは先進地首都圏の様子を見物してみましょう。



左の図は東京都北区滝野川3丁目付近です。図中央にある公団住宅の屋上から地図の左下、高速環状線方向を眺めてみました。板橋駅前には近藤勇の墓碑があるくらいで、このあたり江戸時代とは言わないまでも、典型的な「20世紀の下町」でびっしりと家が建ち並んでいます。

高速環状線の近くの商業地域(80/600)には高層ビルが見えますが、手前の第一種中高層住居専用地域(60/200)、住居地域(60/200)、近隣商業地域(80/300)に高層マンションがあまり目立たないのは、何世代にも渡って店子ー大家の関係が複雑に重なった下町では、「てやんでい、べらぼうめ。」というわけで地上げが思う様に出来ないためでしょうか。この風景が究極の(60/200)という密度だと思われます。
グーグルマップではこう見えます。

失礼になるかもしれませんが、江戸時代の熊さん八つぁんの裏長屋が3-4階建てになった、という印象を受けます。先年この辺りを歩いてみました。



こちら住宅都市整備公団が誇る多摩ニュータウンの高層住宅群です。これがまあ、きちんと計画をした場合の60/200的風景、ということになるのではないでしょうか。いかにも日本的近代都市の風景ですが、複合日影ということを考えると、ちょっとねー。



理想の未来都市

その昔建築科の授業で「高層アパート」というと、下のような風景を想像していたものでした。これはカナダ、バンクーバー郊外バーナビーの住宅地。公園に接した手前が「低層住居専用地域」、奥に見えるのが「高層住居専用地域」だと思われますが、この「高層住居専用地域」では建ぺい率数%、容積率20-30%以下ではないかと思われます。どうも教科書というのは外国事例の受け売りばかりで、 我が国の実情に合っていないことが多い典型例だと思います。

こちらは米国シアトル近郊のウェストシアトルの海岸です。敷地に対する密度は40/200程度ではないでしょうか。高級住宅街というわけではなく、工業地域に近いため、若者が多い感じがします。かっては手つかずだった海沿いの敷地が、近年になって開発される様になった様です。この辺りの開発基準が我が国の築計画でもお手本になっている様です。

海岸沿いの敷地内密度が高い代わりに、少し昔の「上の町」と海沿いは急な崖で隔てられています。日本の様に崖を開発して「斜面型マンション」を建てる、というのが無い分、緑が残されていて、地域全体の建築密度はそれほど高くはなっていません。

熊さん八つぁんの都市景観



目を再び海外から熊さん八つぁん方面へ転じてみましょう。図は明治17年の神田練塀町付近です。中程に「九尺二間の裏長屋、嬉し恥ずかし新所帯」らしきものも見えますが、商家を除いて二階建ての珍しかったこの時代、通り沿いが80/100、路地裏は40/50と言った密度ではないでしょうか。

これが20世紀の人口集中によってじわじわと建て埋まり、その過程で、まあ60/200あれば困らないだろう、という現代日本人の建築密度に対する認識が、作り上げられて来たのではないでしょうか。



こちらは英國公使館裏手の麹町上二番町付近でござる。あまり二階建ても見かけぬ故、敷地内密度の平均は10/10と言ったところでござろうか。畑等も混じっておるので総体の密度は数%でござる。武士は喰わねど高楊枝なので、裏庭に桑と茶を植えて食いつないでおるところでござる。

という風景が初代英国公使をして「世界の大都市の中で最も緑が多い。」とi言わしめた江戸の風景でした。

こうして振り返ってみると、各地でマンション反対運動を引き起こしている、中高層住居専用地域の問題は高さもさることながら、現代の日本人が常識と考えて来た、60/200という敷地内密度にも深く関わるものだと思われます。

試みに江戸時代の住宅地と現代の住宅地の日照を比べてみました。一番下にアニメーションが有りますのでご覧下さい。 「猫の蚤を取るの権利」