40年前には湊口から北を見ると、大型の遠洋漁船がぎっしりと並んでいて、どうやって出入りするのか、不思議だった。それが今ではがらんとしている。他国の海でマグロが100本上がると、1本は飛行機で成田から高級料亭へ、9本は同じく成田からSEIYUとAEONへ、残りの90本は現地でキャットフードなど、という時代だろう。
都知事が築地市場の移転は安全を確認してからと言うが、圏央道の厚木か筑波に市場を移しても扱い高は減るばかり、塩鮭の時代でもあるまいに、都心の魚市場など観光施設に過ぎない。それを騒ぐのはテレビ向けのネタだ。なぜ肝心なことを言わないのか。
湊口には船玉浦神社というのがある。全国津々浦々にあるのと同じ、漁師の信仰を寄せるお宮だ。
御宝前の鰐口の重りがすごい。
猨田彦まで祀られている。
浜通りを少し南へ下ったところに「贈従四位小泉八雲先生風詠之地」という石碑が建っている。魚屋山口乙吉の家は筋向かいだそうな。黒石川から北を見ると浜当目の虚空蔵山が見える。
重量物の運搬を河川舟運に頼っていた頃には、使いやすい川だっただろうが、後背地の農村の冠水との間に緊迫した場面もあっただろう。
店の奥が加工場、倉庫、その奥が自家用船着場、という仕掛けだったのではないだろうか。
通りを歩くとあちこちから魚の匂いがしてくる。生魚の匂いではなく、加工品のうまそうな匂いだ。マグロの塊を茹でているので聞くと「佃煮」という答えだった、
看板から匂いがするわけではないだろうが、写真を見ていると美味そうな匂いがする。
浜通りに鰹節をやっているうちはないのか聞いたら、排水処理施設が大がかりなものになってきて、敷地がないので鰹節屋はインターの近くなどに転出したとのこと。

ここの家には箱の長さ10cmX幅3cmほど、刃の幅2cmほどの鰹節削りが置いてあったので、聞いたら、イリコ削りとのこと。実用品というより刃物屋の遊びという感じだ。寿司の終着駅が一握りにコハダの新子を20匹乗せるのと同様、江戸文化のミニチチュア振りは根が深い。
鰯ヶ島の南端には青峰山がある。遠州舞阪港の船は新造下ろしというと「伊勢参り」に行くのだが、伊勢神社は付けたりで青峰山の旗を貰うのが主目的だ。ここはその末寺なのだね。

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