入居から60年余を経て、周辺の都市密度は当時に比べるとはるかに高密度化している。そして人々が惜しげもなく手放してしまったのが「緑」だった。
建物が新しいうちは建物だけで綺麗なのだが、都市的な「砂漠化」がどんどん進んでいく。真向坂アパートに見るような「緑」が、未来の豊かさでは無いだろうか。
近くには鹿谷アパートもある。
真向坂アパートの前には空き地が囲まれているが、どんな利用が計画されているのだろう。
建設会社の売り上げに貢献するだけの、高密度開発は都市を荒廃させるだけではないだろうか。
これまで真向坂アパートの緑を守ってきたのは斜面だろう。全国で市街地の斜面緑地が年環境を守る有力な手立てであることが論じられてきた。バブル期には建築基準法の穴を突くような「斜面型マンション」なるキワモノも現れた。
真向坂アパートの周辺にも、人々が斜面と格闘した跡が残されている。危険そうに見える古い石垣が残されているのは、その時代の工夫があったのだろう。
古来日本の住居は「山裾」というのが多かった。平地は田んぼに使い、米と里山の恵みで自給自足するための工夫だっただろう。浜松も洪積台地のヘリに発達してきた街なので、坂はつきものだ。
退去前の松城アパートの入居されていた方に聞いたら、富塚の集合住宅へ引っ越して、一番楽になったのは「近くで買い物が出来ること。買い物のたびに坂を上り下りしなくて済むようになったこと。」だそうだ。
それが自動車の発達とともに崩れてきた。自家用車が坂を物ともせず、坂の下と坂の上を行き来するようになった。
やがて斜面は「力ずく」のコンクリート擁壁となる。擁壁といいその上のマンションといい、新しいうちは綺麗だがあまり「豊かな都市生活」とは見えない。
不思議なものもある。石垣の中に丁寧な作りで。階段のようなものが刻んである。階段といっても踏み幅は30cmほどだ。そして下部は道路から1m弱で途切れている。いったいこれは何だろう。
静大の東側には古い借家も残っている。静大が浜松連隊だった頃の、将校用の借家かもしれない。それが今は草むしている。軒燈の白いガラスの傘が大正な感じだ。
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