静岡県建築士会浜松支部機関誌「支部だより」9906原稿案

主人公のいない祭り

3月後半に浜松市の中心市街地で行われた「トランジットモール」に顔を出してみて、 まちづくりに関していろいろと考えさせられました。週末は雨、という天候も災いしてか、 さっぱり気勢が上がらなかったのですが、 その大きな原因はイベントの主体となる主人公の姿が見えなかったことではないでしょうか。

実施の実務は浜松市都市計画課の担当ということでした。 「市民のため」「浜松市周辺の広域交通をより良くし、 中心市街地に人が集まりやすくするため」という目的で行われた訳です。

「ため」と「うけ」が出たら要注意、とは天竜市美術館の設計をした東大のF森教授の言ですが、 「トランジットモール」についてもしかりで、 「中心市街地の交通」を考える「ため」10年近くも委員会・審議会の類いを重ねての実施であるというものの、 「市民のため」が市民のもの、という実感がさっぱり湧いて来ませんでした。

これと対照的なのが「浜松まつり」です。 「浜松市中心市街地交通管理計画」が検討されている間に「夜の練りには提灯が必要です」 というのが浜松市民の常識になってしまいました。

「浜松まつり」では、各町内の凧を揚げる人々、と主人公がはっきりしています。 道端に「夜の練りには提灯が必要です」という看板が出ていても、 誰に提灯の話をすれば良いかは良く解ります。提灯が必要だというのも、 はっきり言われなくても大方の内容は想像が着きます。 主体がはっきりしていて、内容が簡単で解りやすい事柄についてさえ、 市内のどこを走っても、「夜の練りには提灯が必要です」という看板が数分毎に目に入る仕掛けになって、 それで始めて市民の常識になったのです。

祭りの提灯に比べて「トランジットモール」は可哀相でした。 「ため」を受けるはずの市民になかなか情報が伝わって来ませんでした。 「広報はままつ」記載の記事は全ての市民に共有されている、 というのがこれまでのやり方であるならば、もう少し祭りの提灯を見習うのも、 行政に対する信頼感を増すための方策となるでしょう。

委員会の審議内容を市民が共有することが出来れば、 「市民の手でまちづくり」をしていることが実感できます。 事業化が決まり、内容が決まってから「このようにお願いします。」と言われても、 「オレが決めたんじゃ無いから、あんたがたおやりなさい。」というのが人情です。

北米における都市計画行政業務の大半は、 例えばシアトル広域都市圏(人口約200万)の2020年に向けての、 マスタ−プランの事業費は総額80億円の2/3が広報費だった、というように、市民向けの広報だそうです。

しかし、形だけ真似して、内容の伴わないものであれば、 相変わらず市民は「オラ知らんモンネ」となるのでは無いでしょうか。 先日も東街区に造られると言う「まちづくりセンタ−」の為のシンポジウムが有ったのですが、 当初パネルディスカッションだけで質議も無し、の予定だったものを、 設立準備委員で当日のパネラーであった延藤安弘さんが強硬に主張して、 会場からの発言を求めることにしたそうです。 「市民参加の為の施設設立を考えるシンポジウムにおいてさえ」という訳です。 しかし我々、地域の建築士に行政の「上意下達ではまちづくり等出来ない。」 などと説教を垂れる資格が有るでしょうか、もう一度振り返ってみます。

「粋な黒塀、三階松に、徒な姿のお富さん」
という歌の文句の情景では、お富さん同様、三階松も黒塀からちらりと見えているだけです。 「塀の中はオレの土地で、何をしようがこちらの勝手、 その代わり塀の外はお上のなさるこって、こちとらは知ったこっちゃアござんせん。」 という「粋な黒塀主義」がまちづくりの最大の難関でしょう。 昔と違って焼き杉の黒塀で隠れずに「オレの土地にオレが何を建てようが、、、」 と言う建物がむき出しになって、通り沿い景観を造り出すのではたまったものではありません。

北米の街並がきれいなのは、住民が「通り沿い景観」を優れたものにすれば、 それが土地価格に直接結びつく。と心得ているからなのです。 隣家と意地の張り合いをしないで、街並をきれいにすれば資産価値が上がります。 まちづくりは実益を伴ってもいるのです。 隣がスペイン風ならこちらは数寄屋造りだッ、という意地の張り合いをやって、 おもちゃばこをひっくり返した様になるのは良く有ることですが、 あれで中心市街地が出来たら、と考えるとトホホなものがあります。

では塀のこちら側、天下の大通りはどうなのでしょう。 塀を境に「護るも攻めるも」をやった挙げ句、 「そんなら勝手にそっちでやりゃあがれ、天下のご政道なんざ、こちとらは知ったこっちゃアござんせん。」 とでもいうのがどこかの再開発地区に漂う雰囲気に思えて仕方がありません。

粋な黒塀は実は外から庭を覗き込まれるのを防ぐためだけで無く、 縁側から通りの景色を隠す目隠しでも有ったのです。それが無くなった現在、 建物の内部にいくらコストを掛けても、大きなガラス窓から見える外の街並が美しくなければ、 近代建築は活きて来ません。トランジットモールも同様で、

家を出る時「車に乗るか」「自転車にするか」「バスに乗るか」 「歩くか」を考えるところから、まちづくりが始まる。
という物語が、誰にでも解る様になることがこれからの事業の成否をきめることでしょう。