共通の土俵が無い

「まちづくり」と言っても、今の所とんと手がかりが無い、という感じがします。 地権者にも各町内の共有できるイメ−ジがありません。 これまで、戦災復興都市計画までは良かった訳です。 ある意味では戦前の都市計画の上に、緊急避難的に事業を展開すれば良かったのですから。 心情的にも「仕方が無い」で済まされた訳です。とにかく戦災復興ですから。 その後の経済成長期にも、経済成長が為に不満はそれほどありませんでした。 それぞれの未来像を描いて、それぞれに敷地の中でやって来ることで済ませていた部分が有ります。 東街区で一気に噴出した問題は、今まで数十年掛かって溜め込んでいたものです。 「誰も街のことを考えていない」と。

共通の土台が無いから、いきなり隣の人と「勝つか負けるか」になってしまう訳です。 いっしょに街を作ろう、と言う雰囲気ではありません。 このまま放っておいても前には進めないでしょう。 土俵の無いところで行政が行司に入ろうとしてもうまく行くはずもありません。

市町村マスタ−プランがなかなか出来ないのも、共有できるイメ−ジが無い、 という同じ理由によるように思えます。主務課が起草しようにも、 手許に暖められた市民と共有できるタネが無いのですね。 各課の調整が付かないのも市役所として、部課を越えて共有できる「浜松市のイメ−ジ」というのがむつかしい。 これを庁内で纏めろ、というのも酷な話だと思います。 結局は主務課が憎まれ役になる。 憎まれ役になるだけなら良いが、担当した個人個人の評価に簡単に結び付いてしまいます。 で、コンサルタントを呼ぶのですが、立派なペーパーは出来ても、使い物にはなりません。 「あれは都市計でやってることだから。」でオシマイ。

市民がやれば庁内調整はいらない訳です。 「あれは市民が言っていることだから、」で済んでしまいます。 使いやすい時にだけ、各課の都合で「市民の為」といって使ってもらえば良いのです。

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