と言うのは共通の土俵になりやすい訳です。感情的なものを前提にするにしても、
とにかく今までこうやってやって来たのだから、という事実の重みが有ります。
昔の写真の重みはそういうものだと思います。
口で言うのではなく、写真を集める、いきさつはどうあれ、こういう姿だたのだよ、
というわけで、現実の空間を話の土台に据えようと言う訳です。
説明も必要ですね。住んでいる人がどう言う都市生活を送って来たか。
行政が言った通りだったかも知れない、話が違っていたかも知れない、
それがちゃんと検証されなければ、市民と行政の相互信頼は生まれません。
これは行政側では出来ないことだと思います。
担当の人間が充分に説明出来なかったことも有るかもしれません。
建設省で考えていたことが、大筋では間違っていなかったにしても、
理解された上で実現された、ということばかりは無いと思います。
特に経済成長期にはイケイケの結果オ−ライでやっていたことが結構有るのではないでしょうか。
そうした経緯を関係者がきちんと把握して、納得しておかないと、
これまでは触らずに済ませて来たものが、これから先、遺恨の基となることも有るかもしれません。
そのためにも現在に到るまで街の姿をきちんと共有しておくことが必要だと思うのです。
これが出来るのは地域の建築士しか居ない訳です。東京のコンサルタントがこういうことを出来るか、
というと出来ないと思います。皮膚感覚が無いと、市民として呼吸して来た人間で無いと、
これは出来ない訳です。例えば新幹線であるとか、
何であるとかの計画立案に携わったからできるかと言うとダメです。
確かに計画はしたかも知れない。計画の基となるデ−タは豊富に持って事に当たったかも知れない。
しかしそれはデ−タとして地元に提供してくれさえすれば済むことです。
都市を評価するという時、数量的なデ−タ処理は誰でも出来ます。
しかし現実のその都市で生活して来たもの、その空間で人生を送って来たものが、
皮膚から吸収したものが無ければ、都市を評価する、なんて事は出来ないのでは無いでしょうか。
住民からヒアリングをして、本郷周辺でそれを取りまとめる、と言うことが良く行われる訳ですが、
決定的に欠落してしまう部分が有る訳です。で、そうやって作られたものは、
市民にとって「我がもの」と感じられない訳です。「あ、東大の偉い先生が言ってるのね。」でオシマイ。
ますます行政が信頼されないタネを作るだけです。
世田ヶ谷と杉並のまちづくりが先進例として良く取り上げられますが、
あれもこのことの裏返し、と言っても良いと思います。
「東大の偉い先生」と「建設省のえらい人」が御町内の住人だからうまく行く、
という部分が必ずあるわけです。「東大の偉い先生」だけでは何処かの人ですが、
それが変な時間に3つ目の角から出て来て、駅まで歩いて行くのを見かける近所の人であれば、
同じ町に住んでいる、ということで信頼できる訳です。
毎週決まった日にゴミ袋を提げていたりすれば、これはもう申し分ありません。
世田ヶ谷と杉並の例をそのまま田舎に持って来ることは出来ません。
街並の景観の一つ一つの要素である建物を、地元に住んで、設計し、
その中で暮らして来た建築士会の先輩がどう考えておられるか、
現在の我々にとってどうだろうか、ということが住民、
あるいは市民にとって一番理解しやすい手掛かりになるのではないかと思うのです。
遠くの親戚より近くの他人、他人どころでは無い、地元の専門家がやらなくては、なりません。
仕事に結び付けるのは当然です。記録を採る、と言うこと自体が営業だと考えられます。
そうした時にも「ここから先はお金を頂きます。」という土俵の上で事にあたった方が、
住民にとっても信頼出来る、ものが言いやすいのでは無いでしょうか。「ため」が出たら碌なことは無いと。
先輩の仕事をちゃんと評価して、その上で設計をするというのも訓練になる訳です。
建て替える、というケ−スだけでは無いと思います。
ここできちんと金を掛ければ50年前の建物が生き返ることだってあるかもしれません。
「街並を考える」という土俵の上では、
隣の敷地の建物を設計している人とのコラボレ−ションなんていうことも出て来るのでは無いかと、
そういうことは東京の設計事務所ではなかなか出来ないのじゃないかとも思います。
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