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日本形染だったか、帝国製帽だったかが浜松に主力工場を置くことを決めた理由に 「気候温暖で労働争議など起きそうに無いから。」というのがあったそうです。

「十万石といっても、町の様子は八万石程度」とのんびりした宿場町であった浜松は、 急速に近代産業の波に飲み込まれて行きました。東海道鉄道の工場設置が議会に計られると、 「警官隊の取締を避け、近隣の駅から三々五々に分かれて汽車に乗り込んだ誓願隊」 が数百人規模で国会を取り巻いて気勢を揚げた。のだそうです。(誘致賛成の誓願です。)
工場が出来ると「彫りモンの一つも入っていねえ様じゃ職人とは言えねェ。」という、 江戸下町の職人衆が新橋工場などから大挙移って来ました。現在の浜松人の源流の一つはこの辺りでは無いでしょうか。