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図1:大日本帝國陸地測量部二万分一地形図「濱松」より

1890年、陸軍参謀本部による地形図が作成されています。 20世紀の浜松、というか近代の浜松は前年の東海道鉄道開通から、といっても良いでしょう。 濱松宿から濱松町になったこの時の人口は1万5千人程、これに対して駿府城下は慶喜公に従う旗本で人口4万5千人を越えていました。 浜松への人口集中が激しくなるのは1912年、国鉄濱松工場の創業あたりからです。

この地図の面白い所は鉄道が引かれてはいるものの、江戸時代そのままの地形が読み取れる所です。 例えば田圃と畑を塗り別けてみると現在の中心市街地を、 網の目の様な天竜川の旧河道の一つが走っていることが解ります。家康公の浜松入城とともに行なわれた、 東海道の整備と元目口下の米倉が田圃を埋め立てたものであろうことも見て取れます。 大日本帝國陸地測量部二万分一地形図「濱松」から水田を拾う。