愛知の産業遺産を歩く 25
犬山市の郊外にある博物館明治村は、1965(昭和40)年3月に開館、今日では老舗の部類に入る野外博物館です。風光明媚な入鹿池に面し、自然の美しい丘陵地約百万平方メートルの広大な敷地に明治期の建築物を多数移築復元して展示しています。瀟洒な、あるいは華麗な多くの欧風建築物は豊かな緑に囲まれ、四季折々に樹木は装いを変えて訪れる人々の目を楽しませてくれます。
さて、明治村は、教会、県庁舎、病院、ホテル、文豪夏目漱石の住まいなど建築物の博物館ですが、中には産業遺産と呼ぶことのできる展示物も少なくありません。例えば、名鉄岩倉変電所、工部省品川硝子製造所、菊の世酒造、蒸気機関車、京都市電の車輌、六郷川鉄橋などがあります。今回は、その中でも特に注目してほしい機械館を紹介しましょう。
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機械館の鋳鉄柱 「明治一五年東京銕道局鋳造」の銘 |
機械館内部には、紡績機械、工作機械、印刷機械水車発電機など多数の明治期の機械類が展示されています。それらを丹念に見ていきますと、多くは外国製のものであることに気づきます。この明治時代は、そうした鉄製の大形の機械を自製することはまだできなかったのです。まず、輸入し、機械の使い方やその修理に習熟したのです。
輸入技術が隆盛する中で、一方では国産技術が芽生えつつありました。その証がこの平削り盤という機械です。平削り盤は文字通り金属を平らに削る機械で、機械のベッドなどの比較的大きな平面を加工します。
展示の平削り盤のベッドの側面には、「明治一二年 工部省工作分局 東京赤羽」との銘があります。この銘が示す赤羽(現在の東京都港区芝赤羽、旧久留米藩邸跡)にあった工作分局は明治政府工部省の直轄工場で、殖産興業政策を推進するために造られた機械工場でした。機械上部の横はり(トップビーム)に菊の紋章が三つ掲げられているのは、明治政府が造った機械という意味です。この平削り盤は、1879(明治12)年に岩手県盛岡市が設置した船舶修理工場に工作局から払い下げられた機械のひとつです。工場はその後岩手県立実業学校(現在の盛岡工業高校)に引き継がれて実習工場となり、戦後もその機械設備は教育用として大切にされてきたのです。
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国産の機械をもうひとつ紹介しましょう。写真の渦巻きポンプは、東京帝国大学教授井口在屋の理論を実用化した揚水ポンプです。井口在屋は、1905(明治38)
年に「渦巻ポンプの研究」として羽根車の作用とポンプの損失を明らかにした理論を発表しました。わが国の機械工学が黎明期であったこの時代、独創的な研究が少なかった中で井口在屋の理論は画期的なものでした。イギリスのエンジニア誌に紹介されるなど世界から称賛される理論であったのです。
井口在屋は、畠山一清と共同で流体機械の改良に関する特許を1914(大正3) 年に取り、この実用化のために畠山一清は、井口機械事務所(現在の荏原製作所)を設立、ゐのくち式渦巻ポンプを製作するようになり、わが国の機械技術がこの分野では世界的な水準となったのです。
展示の渦巻きポンプは、千葉県香取郡東庄町の桁沼揚水機場で使用していたもので、国友機械製作所が1912(明治45)年に製作、現存最古のゐのくち式渦巻ポンプです。
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平削り盤の大きさは、工作物を載せるテーブルの大きさで表す。展示の平削り盤のテーブルの大きさは、長さ2060mm、幅1165mmである。
石川県金沢市出身、1882年に工部大学校機械科を首席で卒業、工部大学校教授補となり、後に教授となる。流体機械の研究とその理論は著名であるが、大学では応用力学、水力学を40年間に渡り講じて後進を育成するなど、工学教育にも大きな貢献をしている。
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