天使はブルースを歌う〜横浜アウトサイドストーリー 天使はブルースを歌う
Angle Sing the Blues
『天使はブルースを歌う』山崎洋子 書評:大森眸
 この本を手にした理由は、ゴールデン・カップスについて詳しく書いてあるからだった。だが、これは、ゴールデン・カップスのバイオグラフー本というわけではない。彼らと横浜で伝説化していた白塗りの街娼、横浜のメリーを二本の柱に戦後の横浜の裏面を追いかけた本なのだ。

 結婚してから横浜に住むようになって横浜をテーマにした著作も多い筆者に、平岡正明が「書くものにブルースが足りない」と評して、ある日エディ藩を紹介してくれた。この時点で筆者は、かつてのGS時代のゴールデンカップスの活躍をどうにか覚えている程度にすぎなかった。この日からエディ藩のライブやCDを聴きはじめ筆者の横浜のブルースへの旅は、はじまるのだ。

 その著者が、音楽以外に、ブルースを感じていたものが、戦後の混乱時代を生き残った亡霊のような白塗りの異色の街娼「ハマのメリー」だった。この二つが本書でつながるのは、エディ藩に、「根岸の外人墓地」に埋葬されてといわれる遺棄された、たくさんの混血の嬰児達の慰霊碑を建設するためチャリティで作るCDの曲の作詞をたのまれたからだ。

 数多くのメリーさんたちが産んだであろう幻の子供たち…エディ自身は、これらの嬰児と直接関係あるわけではない。しかし彼も筆者も、この世を見ることなく消されていった嬰児たちとほぼ同年代にあたるだけに他人事ではないという思いがあった。そして筆者は、ゴールデン・カップスのメンバーと共有しているのは、この同じ世代という一点からなんとか彼らを自分のほうへたぐりよせようとしている。こうして一見無関係な二つの出来事は、戦後のヨコハマをテーマにからみあってゆく。
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 かつてゴールデンカップスが全員ハーフや日系人だといって売り出されたのもこういう横浜の時代背景の産物に他ならない。タイガースは、京都出身、テンプターズは、埼玉出身だが、ゴールデンカップスほど出身地と切り離せないイメージをもったGSは、いなかった。それも彼らのイメージは横浜というより、第2次大戦後米軍が駐留したヨコハマそのものだったのだ。

 それは、彼らが、もともと本牧のクラブで、米兵相手にライブをやって腕をみがいてきたせいもあるだろう。そして、この本の中で加部正義は、外人相手の娼婦を母にもっていたという衝撃的な事実も明かされている。彼こそひとつ間違えばその、嬰児の仲間入りをしていたかもしれないのだ。

 だが、この慰霊碑も当局側は、あくまで根岸の外人墓地全体の慰霊碑として認めただけで、多数の嬰児が埋葬されている事自体を公式には、認めていない。前後のいきちがいもあり、建立までには、いろんな紆余曲折があった。慰霊碑を実現させるために奔走する一方で、筆者は、ゴールデンカップスの過去から現在までを追いかけ横浜の戦後の裏面史を読み取ろうとしている。この中で、メンバーの口からは、あまり語られてこなかったこともあかされているのは、非常に興味深い。

GOLDEN CUPS  にもかかわらずこの本に、今一つのめりこめないのは、作者の彼らの音楽に対する理解がいささか付け焼刃だからかもしれない。本来小説家として才能のある人なだけに、このようなドキュメンタリーでは、客観的な説得力に物足りなさが残る。それでもこのような形で、あの時代を生きたゴールデン・カップスの事がまとめられたのは、非常に貴重だと思う。カップスのファンだけでなく、GSに興味ある人には、ぜひ読んでほしい。

 カップス最大のヒットになった「長い髪の少女」のカバーの写真で他のGSのように、にっこり笑うこともなく、こちらを射すくめるかのように強いまなざしをむけている彼らが写真を撮った場所は、ほかならぬ外人墓地の十字架の下だった。
text by 大森眸aboutME!
私説:70年代ポストGSバンド列伝
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