最近、宇多田ヒカルの大ヒットを説明する文章に辟易している。というのも、「彼女が本物である」ことを説明するために、今までの日本のポップスすべてを偽物だと繰り返し断定してしまった文章があまりにも多いから。あるものを誉めるために、なにか別のものをけなせばいいのなら、評論なんて、誰でも書ける落書きでしかない。
本当に「!」な音楽を、「聴いてみたい!」という衝動とともに紹介するなら。その答えのひとつが、BOOMの新譜の中の1曲、「敬称略」。
BOOMの音楽が好きなら、または、例えば「島唄は好きだった」とか「やのさんとデュエットしてたよね」とか思うくらいの縁の人でも、彼らがどんな音楽を好きなのかっていう話しには、きっと興味があるはず。
そして、彼らは、その曲の中で、延々と彼らの「!」を語るのだ。言葉少なく、ただの一言で。
『浜崎貴司は放課後の憂鬱が歌える唯一人の人物』
そんな言葉を聞けば、僕等は夕焼ける学校の教室でどこかいらついていた自分に重なる音楽を想像してしまう。
『そこが地球の上であるならば、チャンプルーズはどこでも演奏できる』
なにものにもしばられない音楽。日々、いろいろなものにしばられているだけに、そうじゃないものに憧れる僕等ならばこそ、聴いてみたいな、なんて気持ちにさせてくれる。
『一日のなかに夕焼けが必要なように、BEGINの歌がどうしても必要な時がある』
こんなにぴったりな、そして、賛辞である、彼らへの言葉ってあるんだろうか。
他にも、この歌の中には、ブルーハーツや、J(S)Wや、スカパラや、ソウルフラワーユニオンや、The Privatesや、チャカや・・・が次々と登場してゆく。
彼らについて、BOOMはなにも論評しない。ただただ、彼らが素敵だと思ういろんなアーティストを、一言添えながら紹介していくだけ。ただただ、そんな歌なのだ。
どちらかというと下世話なサウンドに載せて次々と目の前にあらわれる「こんな音楽もあるよ」という誘惑。あいつがいいって言うなら、きっと素敵なんだろう。多くの言葉で正確に解説されたレコード評からの出会いでは絶対に味わえない、すべての謎解きを自分でできる、「!」満載の音楽への出会いへの衝動を、リスナーは心に埋め込まれてしまう。解決方法は、その音楽に実際に触れてみることしかない。そして、レコードショップで、FMで、僕等は、きっと新しい「!」を手にすることになる。
この歌、なかなか、素敵な起爆装置だと思いませんか?
『』は、詞:宮沢和史 曲:鶴来正基&TheBoomの「敬称略」から |