ムーンライダーズの鈴木慶一のソロ・ユニット。 suzuki k1>>7.5cc名義としては、94年の『Satellite Serenade』に続く2作目となる。
ソロ(単独)でありながら、ユニットと呼ぶのもおかしな話だが、ミュージシャン鈴木慶一のAnothersideともいえる形態をとっているのが、 この[ suzuki k1>>7.5cc ]なのだ。全編打ち込みとサンプリング、プログラマ(マニュピュレイタ)以外は全て鈴木慶一の手による作品だ。
95年前後から制作を始め、一時はマスター・テープが行方不明になったともいわれる音源だ。モチーフとなっているのはジャパネスク。慶一と縁の深い山形県の民謡がベースメントに横たわっている。この山形大江町への取材旅行の際に、武川雅寛のハイ・ジャック事件が起こったといういわく付きのアルバムでもある(この取材の模様の一部はTVで放映された)。クレジットには[ No thanks to Hijacker]と記されている。
大江町左沢(あてらざわ)といえば、「最上川舟唄」発祥の地としても知られている。この大江町長の挨拶のサンプリングで始まる「Mogami river boat song」。徹底した改題がほどこされており、痛快なまでに民謡の長閑さは粉砕されている。この解体作業は、91年のソロ・アルバム『鈴木白書』に収められた「JAPANESE一次好 SONG」とも通底している。遙か過去の残映、微かなる記憶を都会の雑踏の中、例えば土曜日の深夜に人混みで溢れたクラブでふと想い出したのなら、このような風景が展開していくのだろう。
過去の記憶、それは絵に描いたような予定調和の景色ではなく、まるでフラッシュバックのように、唐突に曖昧に蘇るものだ。戻れない過去、それは未来の思い出にも通じている。地面の落ちた渋柿の朱色のように、たわいもない鮮明さこそが記憶の中に埋もれた過去なのだ。そして、いつしかその場所に導かれていく。
その道程が「Yes,Paradise,Yes」だ。線香の煙のようにゆったりと漂ってくる旋律、奈落のような深みに落ちていく太鼓の音(ね)、夢見ごこちに聞いた遠くの音色が心の奥底から這い出してくる。"あの世"という未来へ続いていく長い道。 「この一生は〜、、、次の一生は〜、、、」。あらためて聴き直すと、このアルバムは鈴木慶一による地獄巡りの絵図のように見えてくる。未来への恐怖、穏やかなる終末。なにが見えた、永遠が? 二千年代の初頭に送られてきた『Yes,Paradise,Yes | M.R.B.S.』の中から、ほんのりとした天国が見えた。
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