Cross Review
[ ハリーとマック を語るクロス・レビュー編 ]

Harry&Mac

世紀末のの青春残酷物語/小川真一

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 「あたしのセイシュン返して!」
 と問い詰められた。三ヶ月間だけつき合った29歳の女に。
 返す言葉で、
 「キミの青春はたった90日なのかね?」
 口の端から出そうになった言葉を無理矢理飲み込んだ。その痛みを思い出そうにもまるで覚えてはいない。

 『ハリー&マック』のこのアルバムを聴いて、「オレっちの青春を返してくれよ〜」と涙ぐんだ親父達が何人いるだろうか。かくいう僕も『サンディ&サンセッツ/ヒートウェイヴ』の発売直後にもみあげを切り落とし、ワークブーツをヨーロピアン・スタイルのカジュアル・シューズに履き替えた。

 セイシュンが軽率なのは誰もが認める事だろう。ほんの些細な出来事に柳のように揺れ動いてこそ青春に価値があるのだ。何故に方向転換を強いられたのか。まるでポケモンの新作を買い漁るがごとく、時代の波動に翻弄されていった。その強迫観念が美しいとは言わないが、風が耳元をビュンと通し抜けていく音が気持ちよかった。真新しい制服で転入先の校門をくぐるように、テンコーしていったのだ。そのハメルンの笛を吹いた張本人が、久保田真琴であり細野晴臣だ。

 二十数年間がまるで無かったような顔をして舞い戻った二人を、暖かく迎え入れるだけの器量があるのか。先に答えを書けば「イエス」なのだ。なに青春なんてぇものはごみ箱にほおり込んで消去ボタンを押せば跡形も無くなってしまう。そんなものだ。ぽいっ。

 だが嫌らしいほどに経験値だけは沈殿しているのが、オヤヂの性癖なのだ。騙すふりも騙されたふりも、表情ひとつ変えずに躊躇無く出来てしまう。例えルイジアナの湿地地帯の風が、電気仕掛けの張りボテだったとしても。巧妙にイミテートされた手作りであっても、じゅうぶん暖かさを感じてしまう。勿論そのどれもが"ふり"なのだが。

 どの曲も素晴らしくあざとい。ミエミエの回路組織で琴線を強制振動させる。鈍りきった身体には、このくらいの刺激が一番心地よい。癒されるのではなく、慰められる。目眩とともに"あの頃"に引き戻される。

 古い本の間から出てきた新札の千円紙幣。誰もが思わず満身の微笑みを浮かべてしまだろう。物価がどれだけ変わろうが、それは当時の1000円の価値がある。悲しくもそういうものなのだ。


小川真一
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