私説:70年代ポストGSバンド列伝
チャコとヘルスエンジェル

私説:70年代ポストGSバンド列伝
Jポップの歴史に埋もれた彼ら
BAR
 GSは、再発が進み、マニアや新しくファンになった若い子も多いが、70年代のアイドルバンドについては、ほとんど語られることがない。

列伝 その2
チャコとヘルスエンジェルvs.レイジー

 今回のテーマは、チャコとヘルスエンジェルVSレイジーだが、彼らは、活動時期がちがい実際には、ライバルだったわけではない。だが同じRCAレーベルに所属し、同じ作曲家が書いた曲も多いなど比較できるところも多い。

 チャコとヘルスエンジェル(通称:チャコヘル)は、73年9月デビュー。チャコこと田中まさゆきと天本健のツイン・ボーカルが売り物だった。甘ったるい声が特徴だったチャコは、気まぐれなところも目元がシャープなルックスもどこか猫を思わせる少年だった。プレスリーのファンだったという天本健は、正統派のシンガー。ドラムスの牧ツトムは、GSサマーズ、後期のジャガーズのメンバー。元オックスのメンバーが作ったピープルにも参加していた。リードギターの浅野孝己は、後にゴダイゴで有名になるが、ニューロック期伝説のバンド、エムのメンバーで、アマチュア時代には、ジュニア・テンプターズ、ジュニア・モップスのメンバーだったこともあり人脈的にもGSの流れを汲んだバンドだといえる。またベースの塩川銀次が片目にアイパッチをしているのもユニークだった。

 ファーストアルバム「ヤング・アイドル!チャコ」(しかし今では考えられないベタなタイトル!)は、GSブルーシャルムのメンバーでもあった作曲家、馬飼野康二が曲、アレンジを担当、サウンドはかなり歌謡曲っぽい。セカンド・アルバムでは、「好きさ好きさ好きさ」「花の首飾り」「夕陽が泣いている」「君に会いたい」「神様お願い」「いつまでもいつまでも」とアルバムの半数が、GSの定番曲のカヴァー。残りの曲は、前作と同じく馬飼野が書いているが、「君のそばにいたい」は、初期レイジーに通じるポップナンバー。そのほかオリジナルではチャコのセリフ入りで、GSサウンド直系の「かわいい悪魔」に注目。天本が歌った「みずうみの神話」もオックスの「ガールフレンド」とタイガースの「花の首飾り」をミックスさせたようなGSっぽい哀愁とメルヘンが感じられ、GSファンにはぜひ聴いてほしい1曲だ。

 75年にリリースされたサードアルバムは、日本のロックシーンの変化を受けてそれまでの歌謡ロック的サウンドから1歩ロック側へ踏み出している。浅野の話では、レコーディングでは、彼のギター以外は、スタジオ・ミュージシャンが起用されていたそうだ。このアルバムでは、井上忠夫、すぎやまこういち、かまやつひろし、水谷公生といった元GSメンバーによるオリジナル曲に注目。浅野自身も「ロックン・ロール・プリンス」「みじゅく」(ギターがヤードバーズのフォー・ユア・ラブっぽい)の2曲を作曲している。

 GSファンにおすすめは、橋本淳・すぎやまこういちという黄金コンビによる「花の首飾り」へのオマージュともいえる「嘆きの指輪」。水谷作曲の「甘い休日」もこのまま埋もれさせておくには、もったいない佳曲。全体的なサウンドは、懐古的な60年代サウンドというより浅野のギターを中心に、70年代ロック的だが、GSファンだったらニヤッとできるような仕掛けがまぶされている。

 だが、75年は、それまでライブ中心に地道に活動してきた日本のロックバンドがどんどんレコードを出した時期にあたり、こういう芸能界的バンドというのは、もはや古臭い感じになっていたのも否めない。この後、チャコの失踪事件などもあり、チャコヘルは、めざましい記録を残すことなく解散している。

 チャコヘルがデビューした年に大阪で、中学生が友達同士でロックバンドをはじめた。それがレイジーだった。その後メンバーチェンジし77年にアマチュアバンドとして地元のテレビへ出演したときに、かまやつひろしにスカウトされたのが、彼らのデビューのきっかけだった。そんないきさつもあり、レイジーは、事務所、レコード会社のスタッフが元GS関係者が多いところへ所属することになった。元々彼らは、ディープ・パープルが大好きなハードロックバンドだったが、77年にデビューしたときは、おそろいの衣装を着せられ、和製ベイ・シティ・ローラズ又は、70年代版GSといった感じに演出されていた。

 リリースした曲も本来の自分たちの志向とは、ちがうポップなものだった。だが、彼らは、自分たちに与えられた役わりを一生懸命こなし女の子の心をつかんだ。チャコヘルがフロントにたつボーカルの二人は、若かったとはいえバックは、結構大人だったのにひきかえ、全員ティーンエージャーだったレイジーの若さは、まぶしいほどに魅力的だった。(その反面このアイドル的売り方が男性ファンを遠ざけることになった)なにしろ彼らは「日本一若いロックバンド」だったのだから。メンバーは、今やアニメのプリンス、パワフルなボーカルで定評の景山ヒロノブ(影山浩宣)、ラウドネスで世界へ進出する高崎晃、樋口宗孝、そして井上俊次、田中宏幸だったが、本名でなく、ミッシェル、スージー、デイビー、ポッキー、ファニーとカタカナの愛称で呼ばれていたところもGS度が高い。

 ファーストアルバムや初期シングルでは、馬飼野康二の曲も多く、チャコヘルとのサウンド的なつながりも大きい。この時期のレイジーには、都倉俊一も曲を多く書いていてメロディでは、ピンクレディに近いところもある。そしてセカンドとして発売されたライブ「レイジーを追いかけろ」(BMG BVCK-38032)では、与えられたアイドルポップスと自分たちのやりたかったハードロックとのせめぎあいが、おもしろい効果を生んでいる。こういうやりたいことと、やらされていることとの綱引きの中でいかに自分を表現するかという秘めたパワーは、GSファンだったらきっとわかるはずだ。

 このアルバムでは、洋楽カヴァーも多いが、自分たちで選曲したにちがいないUFOの「トライ・ミー」の他は、60年代の曲ばかりカヴァーしている。だが、アレンジは、あくまで70年代のハードロックサウンドにこだわっていて高崎のドライブするギターを中心にヘヴィーな音を聴かせている。このアルバムでは、クック・ニック・チャッキーが歌って和製R&Bの元祖と呼ばれた「可愛いひとよ」なんてマニア泣かせの曲もカヴァーしている。

 レイジーは、所属事務所が、元アウトキャストの藤田浩一が社長だったせいか水谷公生、かまやつひろしが作った曲があるのでこれもGSファンには、目が離せない。この二人は、チャコヘルにも曲を書いているので、聴き較べてそれぞれの持ち味を較べるのもおもしろいと思う。

 その後のレイジーは、少しずつ自己主張して本来目指した路線へと踏み出してゆくのだが、それはトータルイメージなラストアルバム「宇宙船地球号」に結実している。が彼らは、この後 方向性のちがいを理由に解散してしまった。98年になってレイジーは、オリジナルメンバーで復活し、不規則にだが、活動をはじめた。17年間のそれぞれの活動を反映しよりパワフルになった彼らの今後にも注目したい。

 レイジーとチャコヘルの共通点は、もうひとつある。それは、TBSが夕方放送していたティーンエージャー向けの番組「銀座ナウ」の定連だったことだ。女子中・高校生をターゲットにかつてのGSブームと同じようなアイドルバンドの位置をねらっていたのだ。だが、この銀座ナウは、ローカルな番組で、関東地区限定でしか見られなかったが、生演奏を聴く事ができる点で貴重だった。ともあれミーハー相手と偏見をもたずに彼らのサウンドを楽しんでほしい。

 幸いにしてレイジーは、3枚のアルバムがCDとして再発されている。だが、3rdの「Dream a Dream」4th「ロック・ダイアモンド」そしてラストの「燃え尽きた青春」(二枚組ライブ)はまだCD化されていない。同じく未CD化のチャコとヘルスエンジェルの各アルバムもCD化してほしいので、興味の有る方は、ぜひRCA名盤クラブへリクエストしてください!
text by 招き猫aboutME!
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