『最後の晩餐』ムーン・ライダース
<オードブル>
1[Who's gonna cry?]

荘厳なストリングスに乗って、メンバーが揃って盛装で出迎えてくれているような曲。この丁重さが、まるで或る一日だけ主従が逆転してしまう『今宵限りは』(監督ダニエル・シュミット)の世界に連れ込まれてしまいそうな感覚。「ようこそ、いらっしゃいませ」と椅子を引いてはくれるが、座るのはメンバー達なのか? シミひとつない真っ白なテーブルクロスの上に流れるのは、涙か、血か、それとも、、、、、、、、、、、

アンディ・パートリッジの、すっとんきょうな呼び声にのって紹介されるライダーズの面々(バックのオルガンの音がまた、チープでたまんない)。

2[WHO'S GONNA DIE FIRST?]

てんなり白井良明のギターが唸りまくってる。ぶよんぶよんのベース、無機的な硬質のパーカッション。唐突にインサートされるノイズ。イントロの緊張感のテンションの高さは異常。これが、ライダーズ・ハウス。崩れ落ちていく高層ビルのような埃っぽい言葉の群れ。「ドン・トラ」の延長線にあるような家庭崩壊がテーマ。平均年齢40歳前後のライダーズ、誰がこのリアルと対峙していても不思議はない。でもあるのは愛。バックのコーラスがサージェントの頃のビートルズのように甘く切ない。後半の鈴木慶一のボーカリストとしての立場を忘れてしまいそうに感情移入したシャウト。誰が、、最初に?

3[涙は悲しさだけで、出来ているんじゃない]

マイケル・ナイマンが作曲した『コックと泥棒、その妻と愛人』(監督ピーター・グリーナウェイ)を、思われるようなストリングスのリズム。そう云えばジャケットのAD(特に赤の使い方)は、どことなく『コックと・・・』を思わせる。今回のアルバムは、さすがに60数曲集まった中から選りすぐった曲だけあって、珠玉のメロディを持った曲が多い。中でも最初に、膝から崩れそうな衝撃を受けたのがこの曲。見返りを求めない愛。未だ見ぬ子供の為に? 離れていった家族の為に? 去っていった時代の為に?泣きはらした後のすがすがしさ、あけっぴろげの悲しさ、最初に泣くのは誰?トリフォーの『華氏451』じゃないけれど、もしもラブソング禁止令が出たとしたら、僕はこっそりこの曲を抱きかかえてシェルターに閉じ込もるだろう。

<サラド>
4[COME STA TOKYO?]

ひょいと首を伸ばして辺りを見回したように、くっきりと景色の見えてくる曲。視点は動いてないのに、移動感のある、ロード・ムービィーならにロード・ソング。間奏のトランペットの乾いた音が妙に切ない。60年代フォーク・ロックの甘酸っぱい匂い。筆のこもった私小説を読むような肌触り。これからも白井良明の代表作になるだろう、佳曲。このアルバムの中で一番明るく聞ける曲かもしれない。

5[犬の帰宅]

食卓テーブルのあるロック、とでも言おうか。トイレットペーパーの買い置き、縛ったまま廊下に放置された新聞の束、押入の中のむっとする湿気。リアルな家庭、しかし主はいない。「WHO'S GONNA DIE FIRST?」とは、また違った静かな崩壊。流しに溜まったインスタント食品のゴミ、見る手もないまま付けられたTV。宗教的な敬虔さすら感じる慶一の絶唱。救いはあるのか?イントロ部分で聞こえてくる、無表情にニュースについて会話しているような声、「・・・イスラエルが・・・」とも聞こえてくるのだが、、

<メイン・ディッシュ>
6「幸せな野獣]

跳ね上がるようなリズムとルシアン・メロディがとてつもなくファニーなブレンドをみせている。歌詞とメロディとが実に怪しく赤裸々に絡み合って、日本語の歌詞の制約をストイックに職人的な手際で乗り越えていく鈴木博文のソングライティング。ゆっくりと放物線を描くような愛、折れ線グラフのような男の本音。クジラ(武川雅寛)のヴァイオリンが艶めかしく大活躍(まるで「イスタンブール・マンボ」の頃を彷彿とさせる)。唐突にぶった切るようなエンディングは、JLゴダールの『男と女のいる舗道』を思い出した。

7[ガラスの虹]

今回のこのアルバムは白井良明の作品が目を引く。良明のソロ・アルバムは、実のところ血中ライダーズ度が低くあまり熱心に聞いてなかった(最近になって聞き直したら逆に半歩進んだライダーズが良明だった)。イントロのエスニカルなバイオリン、よく締まったスネアの音色、伸びやかなギターのサウンド、懐かしいものがまとめて戻ってきたような、それでいて食べた事の無い不思議な酸味を帯びた果物のような。ライダーズにしては、とてつもなく素直な歌詞。17回聴いて虹の意味がうっすら判った。しかし書かない。書けば虹は消える。

8[プラトーの日々]

30代のロマンティシズムと40代のそれとは違う。失う物の質量とリプレイ出来ない悔しさが。登りきった小高い丘。息ははずんでるけど、少しも苦しくはない。今までの道のりも見える、これから先も見渡せる(森に隠れ垂直に切り立った崖を除けば)。かしぶち哲朗の作品なのだが、ライダーズの4作目の『NOUVELESVAGUES』に収められた「いとこ同士」「スタジオ・ミュージシャン」のメロディの断片が出てくる。排気管の中をはいずるようなボーカル・サウンドから、ぬけるように伸びやかなサビに移る瞬間は何度聴いても、言いようもないような解放感がある。

<デザート>
9[HIGHLAND]

このイントロたまんなく懐かしい(なんだったっけ?)高原2部作とでも言おうか「プラトーの日々」と対をなす曲。ドアを開けると部屋いっぱいのミニチュアの高原。同世代(30後半から40代)の視点で書かれた歌詞が多い中で、唯いつノスタルジックな子供の目を感じさせる。

10[はい!はい!はい!はい!]

この曲を初めて聞いたときに、三木鶏朗の「これが自由というものか?」と、クレージー・キャッツの「あっと驚く為五郎」を思い出して、、そして笑いだしてしまった。「はい」の4回連呼(実際の唄の中では12回)は、強い。鈴木慶一の中年のアンニュさがよく出た頼りなげボーカル。これでなかったら、このアイロニカルは伝わらない、が、やはり笑えてくる。冒頭の暗号めいたフレーズ(バナナの、、、)、英訳すると答が見えてくるのかな?

11[10時間]

4分31秒の慶一クロニクル。高橋幸宏とのビートニクスの2ndアルバムに入っていた名曲「COMMON MAN」をさらに発展させたようなヒストリー・オブ・慶一。はやり1969年は特別な年で、コンピュータも、恋愛も、酒も、歴史なのだ。強引かもしれないが、サビの「君のキー」「電子」と云ったタームがパソコン通信を連想させる。『アマチュア・アカデミー』の中の「30(30AGE)」についてのコメントで、「40になったら・・」との発言があったが、この公約がこの曲、いや、アルバム全体に散りばめられたメッセージかもしれない。

12[Christ、Who's gonna die and cry?]

久々にドラスムのカウント入りの曲を聞いたような気がする。マンドリン、アコースティック・ピアノ、生ギター、ほとんど一発録り。ビートルズがライブ・リハビリテーションの為に屋上に駆け上がったように、何かの始まり。全てをさらけ出して、笑顔がひきつっていようと、食事の途中でも、ともかく全員をフィナーレーの舞台にあげてしまう、まるでフェリーニの映画のエンディング。

そして、蝋燭の炎が消えるような、唐突なエンディング、、、、、、


91/04/28 *久田 頼


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