【解説】
この「One More Time」を、ただ「One More Time」というとどうも落ち着きません。 で、私はこれを「BASIE One More Time」といっています。
「BASIE One More Time」は、もちろんカウント・ベイシー・オーケストラの作品としても素晴らしいんですが、同時に、クインシー・ジョーンズの作品としても本当に素晴らしい。御存知のようにクインシー・ジョーンズはその後(というのはいまということですが)スーパースターなってしまうわけですが、その前のいわば「ジャズの時代」の集大成といってもいい作品、それがこの「BASIE One More Time」です。
-----クインシー・ジョーンズ-----
クインシー・ジョーンズの名を私たちはいつどこでどうして知ったんでしょう。
ディジー・ガレスピー・オーケストラでのトランペット・セクションの一員としてである。いや、ライオネル・ハンプトン・オーケストラでのそれである。いやいや、もう少し前、確かレイ・チャールスとのセッションがあった。等々、いろいろありそうですが、しかし、1950年代のはじめということではみな一致しています。
「BASIE One More Time」録音のころ、クインシーは26才。ハンプトン・オーケストラに在籍しヨーロッパ・ツアーに出かけたのが53年、まだ20才のときです。この5、6年間のクインシーを推理する、というのが今回のテーマでもあります。
これは大分前の話になりますが、新宿の紀伊国屋の隣りにマルミという洋品店があって、その一隅でどういうわけか洋盤を扱っていた。そこの偏屈(しかし親切)な親父が、「こんなのもあるよ」と聴かせてくれたのが「私の考えているジャズ」だった。これを聴かなかったなら私とクインシー・ジョーンズの出会いもなかったかも知れない。
「私の考えているジャズ」はクインシー・ジョーンズの処女作といっていい作品で、というのは、実はこれより前に「GO WEST MAN」という作品があることはあるんですが、これが不思議なレコードで、なにが不思議かというと、ここではクインシーは作曲も編曲もまったくしていない。アレンジャーとして名が知られるようなっていたこの時期、これはちょっと不思議です。
内容はタイトルが示すとおり、ジミー・ジュフリー等、ウエストコーストミュージシャンの作品集で、クインシーはただジャケットに写っているだけ。これが実は私のクインシー像といったものに大いに関係あるんですが、それはまた後で話すことにして、それ以前のクインシーといえば、プレステイジで出た「クリフォード・ブラウン・メモリアル」への作編曲、スエーデンのハリー・アーノルド・オーケストラへの作編曲(このふたつはハンプトン・オーケストラのヨーロッパ・ツアーのときに吹きこまれたものでしょう)、等がありますが、どちらもクインシーの名を冠したものではありません。
「私の考えているジャズ」の中の一曲にはクリフォード・ブラウンのソロをアレンジしてある個所があって、その元は「クリフォード・ブラウン・メモリアル」の中の演奏なんですが、いま、このレコードを眺めてみると、当時、ハンプトン・オーケストラには、クリフォード・ブラウンの他にアート・ファーマーもいた。なんとも豪華なトランペット・セクションです。ちなみに、このレコードではこのふたり以外は全部スエーデンのミュージシャンです。
お好きな方が多いあのクリフォード・ブラウンとヘレン・メリルの作品にもクインシーのアレンジが何曲かあります。しかし「私の考えているジャズ」にブラウニーは既にいない。これは53年から56年の間、「私の考えているジャズ」より何年か前の録音でしょう。
えっと、なにしろ資料を見ながら書いているわけじゃないんで、もしかしたらめちゃくちゃを書いているかも知れない。あまり信用しないように(笑)。
「私の考えているジャズ」から「BASIE One More Time」まで、その前後も含めて、クインシーはどんなミュージシャンと仕事をしてきたのか。ソニー・スティット、ジェームス・ムーディー、ミルト・ジャクソン、ビリー・テイラー、レイ・チャールス、ダイナ・ワシントン、サラ・ボーン、ペギー・リー。
「BASIE One More Time」の前後は特に忙しかったようで、ベイシーとまた何枚か作り、フランク・シナトラ、ビリー・エクスタイン、レイ・チャールス…等々。さらには念願の自分のオーケストラでのニューポート・ジャズ・フェスティバルのライブ盤。インパルスからリーダー・アルバム。そしてマーキュリーから「Birth Of The Band」をはじめ様々な作品が作られていくわけです。
このころの作品はどれも素晴らしいものですが、その頂点が「BASIE OneMore Time」であることに私は疑いを持っていません。
1."For Lena And Lennie"
レナ・ホーンとその御主人 Lennie (レニー・なんだっけか)に捧げられた一曲。
短いピアノのピックアップからはじまる美しいテーマ。この一曲だけでもこのレコードを聴く価値があります。インパルス盤「QUINTESSENCE」の同曲も悪くはないけれど、なんといってもこのベイシー盤に止めを刺します。サックスとトロンボーンが織りなすサウンドの豊穣。その合間に聴こえてくるベイシーのピアノの気持ちいいこと! ジョー・ニューマン(tp)のソロも素晴しい。
クインシーは本当に嬉しかったんだと思う。念願のベイシー・オーケストラと仕事ができる喜び、それを自分ができるすべてを以て応えている。この幸せな出会いを喜ばない人はひねくれている、と思う(笑)。
クインシーの作編曲の良さはそのフレーズにあります。非常にメロディックであるんだけれどそれがまた非常にジャズ的である。例えばこの「For Lena And Lennie」のジュー・ニューマンのソロのバックを聴いてごらんなさい。ここにクインシーの最良のセンスがある。もちろんジュー・ニューマンのソロも素晴らしいんだけれど、聴いている中にいま自分はどちらを聴いているんだかわからなくなります。
この「BASIE One More Time」にはそういう宝石が星の数ほどあって、これを聴いていて退屈するということは考えられません。
2."Rat Race"
カウント・ベイシー・オーケストラの魅力を意識して作られた一曲。一気呵成、最後まで息をもつかせず、って感じ。
このころのベイシー・オーケストラのメンバーというのはどうもなんとも豪勢で、リズムセクションが素晴らしい上に、フランク・ウエス(as)、フランク・フォスター(ts)、また、リードを吹かしたらこれ以上の人はいないというマーシャル・ロイヤル(as)、その他、アル・グレイ(tb)、ビリー・ミッチェル(ts)、サッド・ジョーンズ(tp)、ジョー・ニューマン、と、書いていて切りがない。
で、この「Rat Race」。
リズムセクションにはじまり、クインシーらしいスイングするテーマにつづいて、フランク・フォスターとビリー・ミッチェルのバトル。そのバトルもいいんだけれど、その次のアンサンブルが素晴らしい。クインシーの魅力はこういうところでもよくわかるんだけれども、そのフレーズが他のアレンジャーとまったく違う。
例えば、前に書いた「クリフォード・ブラウン・メモリアル」というレコードの片面はタッド・ダメロンのオーケストラ(フィーチャーリング・クリフォード・ブラウンっていうわけ)なんだけれど、クインシーが編曲している片面とくらべれば、構成とか楽器がよく鳴っているとかそういう技術的な面ではタッド・ダメロンの方が優れているかも知れないけれど、そのフレーズの魅力という点では断然クインシーだ。
ところで、この「クリフォード・ブラウン・メモリアル」の頃のクインシーはアレンジャーとしてはまだ未完成である(そりゃそうでしょう、なにしろまだ20才だ)。ほとんどアレンジらしいアレンジをしていないといっていい。そこが素晴らしいのだ。つまり、つまらないアレンジを施すくらいならなにもしない方がいい、そうクインシーはいっているのだ。いや、そんなことはいってないけど(笑)。
で、すぐに思い出すのは、ギル・エバンスがクロード・ソーンヒル・オーケストラ時代に書いた編曲で、このころのギルもまたなにも書いていない。いや、ほとんど書いていないといった方が正確か。
これで決まった。いいアレンジャーはなにも書かない(笑)。じゃなくて、もともとこういう人たちはそういうことがよくわかっている。だから、後に素晴らしいアレンジができるようにもなるわけなんでしょう。
3."Quince"
ルーストから発売されたソニー・スティット(as)のアルバムにも収録されていた曲。
この「Quince」とB面(CDにはB面ってないか)の「Jessica's Day」、この2曲にはクインシーの秘密が隠されています。秘密は大袈裟かな(笑)。その秘密がまたクインシーの魅力にもなっているわけですが、実は、ここであの不思議な「GO WEST MAN」というレコードが意味を持ってくるのです。
その前に、一体クインシーの音楽とはどういうものだったか。ごく簡単にいえば、ソフィスケイテッドされた黒人音楽、つまり、話を当時に戻してしまえば、クインシーにとってそれはジャズであった。ここから何行かは想像です。
若きクインシーがまず惹かれたもの、それはウエストコーストジャズであった。もう少し厳密にいえば、そのアレンジメントされたサウンド、例えば、ジェリー・マリガンのそれでありショーティー・ロジャースのそれであり、これはウエストコーストジャズではないけれど、あのマイルス・デイヴィスの9重奏団もまたそうであったに違いない。「GO WEST MAN」はクインシーのそういう音楽(サウンド)に対する敬意であったのです。
そういうウエストコースト的サウンドの「色彩」が色濃く残っているのが「Quince」であり「Jessica's Day」であるわけですが、それは、ウエストコースト的サウンドといっても、大編成(ビッグバンド)のそれではなく、もっと小編成(中編成といったらいいのか)のそれであったというところが面白いところで、実際、この「Quince」を聴いてみると、ここにはいわゆるビックバンド的なものがほとんどない。いや、ほんとは後半にそういうところがあるんだけれども、それさえ、ベイシー・オーケストラのために書き加えたという感が強い。
そう考えると、「私の考えているジャズ」(This is how I feel about Jazz)とは素直なタイトルだった。中編成と大編成が交互に出てくるあの作品はクインシーの「惹かれたもの」そのままだったわけで、それはこの「BAISE One More Time」まで変わっていないのです。
これはキクリンさんに教えてもらって思い出したんですが(キクリンさんありがとう)、ビリー・テイラー(p)のアルバムでは、ビリー・テイラー・トリオにジェリー・マリガン他の管楽器を配し、サウンドはもっと直接的にウエストコースト的サウンドになっています。
しかし、クインシーが、例えばデーブ・ペル・オクテットなりレニー・ニーハウスなどを聴いていたなんて想像するとなんか愉快になってきます。
4."Meet B B"
フルートとミュートトランペットで演奏されるテーマが素敵。
フルートの多用がこのレコードの特色でもあるんですが、で、思い出すのは63年にベイシー・オーケストラが来日したときに演奏されたフルート3本によるブルース。なんていったっけな、「なんとか・シェファード・ブルース」。そうそう、「The Swingin' Shepherd Blues」でした。
フルートとミュートトランペットがユニゾンでメロディーをやるっていう曲は他にたくさん聴いたように思うんですが、フルートだけでっていうのはこの曲くらいだったかなぁ、憶えているのは。
これを聴いたときにはその新鮮さに目を見張りました。なにしろ、ステージの前に、フランク・ウエス、フランク・フォスター、エリック・ディクソンの3人が列ぶんですから壮観です。
いまここに63年のベイシー・オーケストラ、「li'l ol'groovemaker...basie」というレコードがあるんですが、このレコードも全曲クインシーの作編曲なんですが、しかしこの中にはそのブルースは入っていない。ということは、この前に出たリプリーズ盤にでも入っているんでしょう。
この「li'l ol'groovemaker...basie」ではクインシー作曲の「PLEASINGLY PLUMP」という曲が面白い。この曲は62年くらいにマーキュリーから出たクインシー名義のレコードの一曲目に入っていて、軽くてしかしちょっとファンキーな、いかにもクインシーの才気を感じる曲で、この曲、私大好きなんです。
クインシーとマーキュリーレコードの関係。といってもよくわからないんですが(笑)。ダイナ・ワシントン(vo)はマーキュリー(エマーシーだったかな)からレコードがたくさん出ていますが、その中にはクインシーが編曲したレコードも何枚かあって、それがかなり早い時期からで、クインシーとマーキュリーの関係がかなり古くからだったということがわかります。そういえばあのヘレン・メリル、クリフォード・ブラウンのレコードもエマーシーだったっけ。マーキュリーとエマーシーの関係。これもよくわからない。
5."The Big Walk"
題名そのままって感じの作品。小品といった方がいいのかも知れない。管楽器のアンサンブルとベイシーのピアノだけで構成されていて(もちろんリズムセクションはいる)ベイシーのピアノが堪能できます。
しかしベイシーのピアノって気持ちがいい。ピアノだけの問題じゃないのかも知れないけれど、ベース、ドラムス、ギターが一体になって聴こえてくるこの感じをどういったらいいのか。
誰が発見したか発明したかわからないけれど、ベースが二つか四つに弾いてそこにシンバルが鳴って、えっと、ギターもいるんだけど、たったそれだけのことでどうしてこんなに気持ちいいんだろう。そう思いませんか?それは上手だからである、ということはあっても、そういうことを考えに入れなくてもやっぱり気持ちいいんだと思う。
ビッグバンドらしいという点では、「Rat Race」とこの「The Big Walk」、後は「A Square At The oundtable」「Muttnik」辺りがそういう感じ。
7."I Needs To Be Bee'd With"
一曲飛ばして「I Needs To Be Bee'd With」。ブルース。ブルースらしいブルースとでもいったらいいんでしょうか。アル・グレイのトロンボーンがフィーチャーされています。ベイシー、フレディ・グリーン、エディ・ジョーンズ、ソニー・ペインのリズムセクションが気持ちいい。
そのアル・グレイのソロのバックが「私の考えているジャズ」のころから何回も聴いたことがあるフレーズ。そのどれもが同じようでいて少しずつ違うんですが、この「BASIE One More Time」では完成の域に達している、というか、隙がまったくなくなっている。クインシー・ジョーンズの充実を物語るものです。
2小節の短いイントロダクションも面白い。つづいて演奏されるテーマ(というほどのものではないんだけれど)と調子が違います。だから聴いていて、おっとっと、ってな感じになる。この2小節の短いフレーズも姿形を変えて何回も使われるフレーズ。かなりファンキーな感じがします。
8."Jessica's Day"
このアルバムのために書かれた曲かどうかは知らないけれど、ともかく、このレコードを聴く前にこの曲を聴いたことがない。この曲を聴いたときは感激した。いま聴いてみてもそのサウンドの美しさに変わりはない。こういうのが好きだ。
「私の考えているジャズ」では小編成と大編成の演奏が交互に出てきたわけだけれど、ここではその両方が一度に聴ける。一曲の中でそういう対比が行われているというわけです。フルート、ミュートしたトランペットとトロンボーン、サックス。この7、8人で演奏されるテーマがとてもかわいい。なんでも Jessica というのは誰かの小さなお嬢ちゃんの名前であるらしい。
ソロはジョー・ニューマン(tp)。このバックのアンサンブルがまた素晴らしい。マーシャル・ロイヤル(as)の歌ごころはジョニー・ホッジスのそれに匹敵する。
この曲を聴いていると、これはもうウエストコーストジャズ的サウンドといったものではなく、クインシー独自のサウンド、クインシーサウンドとでもいった方が話が早い。たったの5、6年で人はこうも変わるものか。
話が飛躍するけれど、「私は死にたくない」という映画の音楽はジョニー・マンデルがやっていた。そのサントラ盤の解説の中でジョニー・マンデルは「クインシー・ジョーンズ等の若手作編曲家にもっとチャンスを与えて欲しい」といっている。
ジョニー・マンデルはただ「ウエストコーストジャズの作編曲家」というのではなく、もう少し幅広い活動をした人だけれども、そのジョニー・マンデルがクインシーをそう見ていたというのが面白い。
勝手な想像をします。ウエストコーストジャズとハリウッド映画。ハリウッド映画というかハリウッド映画的音楽。私の中ではウエストコーストジャズ的なサウンドというのはハリウッド映画的音楽と同じです。ということは、クインシーもまたそういう音楽に興味を持っていたということである。すごい三段論法(笑)。この話は時間があったらまたすることにして、要するになにがいいたいかというと、クインシーはいろんなことに興味があったということをいいたいわけだ。「Jessica's Day」。ベイシーはこの曲が大好きだったそうです。
9."The Midnight Sun Never Sets"
クインシー、初期の名曲。スエーデンの有名なビッグバンド(って、これしか知らない)ハリー・アーノルド・オーケストラも演奏していたと思うんだけれどどうだったろう。だとすれば、53年、クインシーがライオネル・ハンプトン・オーケストラでヨーロッパツアーに行ったときに作ったに違いない。
マーシャル・ロイヤル(as)がフィーチャーされています。すごいね、この人は。クインシーのオーケストラではフィル・ウッズかジェローム・リチャードソンがリード(サックスの)を吹くことが多かったように憶えていて、もちろんこの両者もいいんだけれど、うーん、ことリードということに関してはこの人にかなわない。音色が柔らかくて包み込まれるような感じ。いいなぁ。
この曲を日本人が演奏しているのを聴いたことがあります。菅野邦彦(p)。こういう曲を取りあげる菅野邦彦はロマンチストなんだと思う。菅野邦彦、どうしているんだろう。
この曲は確かクインシーのオーケストラでも演奏していた。歌っているのを聴いたような記憶もある。誰だったか忘れたけれど。
歌といえば、クインシーは60年前後はずいぶんいろんな歌手と仕事をしていた。思い出しただけで、サラ・ボーンと2枚、ペギー・リーと2枚、ビリー・エクスタイン、シナトラ、ダイナ・ワシントン(これは少し前か)、レイ・チャールス。あと誰がいたっけ。
サラ・ボーンのは、1枚はストリングスにブラスセクション、木管等が入った大大編成。もう一枚は「サラ・ボーンとヴァイオリン」というタイトルのバラード集(ジャケットが美しい)。ペギー・リーのは、「BLUES CROSS COUNTRY」というビッグバンドのと「IF YOU GO」というこれはストリングス中心のバラード集。ダイナ・ワシントンのはビッグバンドで、全部クインシーのアレンジではなくてベニー・ゴルソンなんかも参加している。ビリー・エクスタインのはクインシー・オーケストラとのライブ盤(これはめちゃスイングしている)。といった具合。
クインシーがはじめて来日したのは63年。テレビの番組(残念ながら日本のではなかったらしい)の仕事で、と聞いているけれど、そのときはシャープ&フラッツかニュー・ハードのどちらかがいっしょに仕事をしたらしい。どんな番組だったんだろう。
さて、レコードの方は後一曲。だんだん疲れてきたぞ。早く楽になりたい(笑)。
10."Muttnik"
「Rat Race」「The Big Walk」「A Square At The Roundtable」と同じようなビッグバンドらしい感じのする一曲。中でもこの Muttnik が一番そういう感じがする。
ここでもジョー・ニューマンとアル・グレイのソロのバックが際立っている。テーマよりいいね(笑)。どちらかといえば落ち着いた演奏。これをアルバムの最後にもってきたのはよかった。
クインシーの作編曲(特に編曲)には素晴らしいフレーズがたくさん出てくるんだけれども、そのどれもが非常にジャズ的に聴こえる。ギル・エバンスのそれもジャズ的には聴こえるけれど、そのジャズ的がクインシーのような普遍的なそれではない。これがカーラ・ブレイになるとジャズ的なフレーズは皆無だ。というような意味で非常にジャズ的である。当たり前のことかも知れない。誰も「ベイシーをギルのアレンジで一枚」などとは考えないだろうから。
そのジャズ的なところがクインシーの武器で、しかしこれをどうやって身につけたか、などと考えるのは余計な詮索であって、その優れているのが優れているとわかることが音楽を聴くということであれば、いまは余計なことをしている(笑)。余計ついでにいえば、クインシーのストリングスのアレンジというのがまた素晴らしいのだ。「サラ・ボーンとヴァイオリン」にしても、ペギー・リーの「IF YOU GO」にしても、どうして、っていうくらい美しい。
困ったことに、では、その編曲の中に出てくるフレーズがジャズ的かというとそうでもない。しかしこれがまたジャズに聴こえる、というのが音楽の不思議で、大体私はいいと感じることをジャズといっているくらいだから、こういうことになってくるともうとても嬉しくなってしまう。
「BASIE One More Time」についてはこれでおしまい。まだ時間があるんで、余計なことなど(笑)お話ししましょう。
-----「GO WEST MAN」-----
ひさしぶりにレコード屋を覗いたらなんと「GO WEST MAN」が置いてあった。97年2月発売とある。よくこんなものを出したねぇ、と暫く手にとって眺めていた。さて、買おうかどうしようか。悩むようなことじゃない、とは思うんだけれど、いまさらこれを聴いてどうってことないのもまたわかっている(だってクインシーが編曲していないんですから)。結局、購入せず。なんてケチなんだろ(笑)。
もう一枚なにかあったんだけれど、こちらは眺めている時間が短かったからもう持っているレコードだったらしい。なんだったかな、「Birth Of The Band」だったかも知れない。当時のクインシーの再評価なんてことが行われているんだろうか。そうだったら嬉しい。
----- おわりに -----
調べて見たら、65年以降のクインシー・ジョーンズのレコードは一枚も持っていなかった。レコードを集めるのにもだんだん積極的でなくなっていた。どうしてだろう。クインシーの音楽が変わってきたからか、あるいはこちらの興味が他のことに移ったからか、20年も昔のこととなるとその辺りの事情はもうわからない。
いや、待て。新しいのを一枚持っていた。マイルスとギルの作品をクインシー指揮のオーケストラが演奏したもの。なんとも豪華である。とはいえ、そういう企画自体は面白いとしても、それはそこでなにかが生れるといった種類のものではない。
最近のクインシーについては、フュージョン・フォーラム(FFUSION)の方で話が展開されるのかも知れない。しかしぼくにとってのクインシーはいつもこの時代のクインシーであり、そしてそれを愛するのだ。というわけで、「BASIE One More Time」はこれでおしまい。 |