【解説】
『ガッタ・トラベル・オン』に続く、カデット・レーベルでの第2作目。このアルバムによって、レイ・ブライアントの人気を決定づけたと言ってもいいだろう。レギュラー・トリオに加え、二人のベテラン・トランンペッターを加えた編成で、ブルース、ゴスペルに強く影響を受けた、グルーヴ溢れるアルバム。もうひとつのジャズの愉しみを教えてくれる1枚でもある。
-----レイ・ブライアントの微笑み-----
レイ・ブライアントというピアニストは、実に不思議な存在だ。
50年代には、NYでパーカーやマイルスと共演の機会を持つ、その後、カーメン・マクレーの歌伴をつとめ、59年にはロリンズとも行動を共にする。リーダー・アルバムには、名盤の誉れ高い『リトル・スージー』(コロムビア '59)や、幻の名盤としても有名な『プレイズ』(シグネチャア '59)等がある。
アート・テイタムやテディ・ウィルソンから影響を受けた、よくスィングするピアノ。ハードバップの嵐も難なく受け入れたグルーヴィーなタッチにも定評がある。
ジャズ・ピアノの本道をいくようなピアニスト、渋好みを唸らせるジャズメンなのだが、その反面、この『ロンサム・トラベラー』のような、キャッチーで親しみ易いアルバムも残している。(この事情(?)は、また後ほど書くと思うが)。
ジャズの愉しみ方は色々とあるが、理屈抜きでジャズの快楽的なリズムに酔いしれたいのなら、このアルバムはお奨めだ。レイ・ブライアントの人なつっこい笑顔。太い筆でぐいぐいと描き進むような豪快なタッチ。しばしの間、レイ・ブライアントなひとときを、
----- 暗闇のブライアント -----
またしても思い出話で恐縮だが、
名古屋にグッドマンというジャズ喫茶があった。地下鉄の伏見駅を降りて、少し歩くとグッドマンのある路地に出る。ここからが問題で、暗い湿ったような路地の奥にある店まで行き着くのは、ジャズという臭覚を抜きにしては無理な話だろう。
薄暗い店内、細長く鰻の寝床のような店内は、10人も座れば満員になるような狭さだった。入り口にコートをかける、相席は当たり前でともかく空いた場所に座る、この二つがグッドマンの掟でもあった。ジャズ喫茶にしてはスピーカーも小さく、流れる音量もそれほど大した事はなかったと記憶している。ブッカー・アーヴィンとエリック・ドルフィーがやけに似合う店だった。
真向かいに座った少女。肩までの髪の奥に見え隠れする表情は、幼さと倦怠を持ち備えていた。近づいてきたウエイターに小声で注文する。運ばれてきたのは珈琲とトースト。当時の金の無い僕らにとって、この組み合わせは一日の食費の大半を浪する贅沢だった。
ここまでは何の不思議も無い。それからの事に付いては、未だに夢なのか現実なのか見境がつかない。その少女は、珈琲に添えられたフレッシュ、金属製のピッチャーに入ったミルクを、丹念にトーストに垂らし始めた。それはまるで神聖な行為のように、丹念に行われていった。一面にミルクの塗られたトーストは、神に捧げられた訳ではなく、無事に彼女の口の中に運ばれたのだが、ジャズの鳴り響く薄暗い店内にぽつんと浮かび上がる真っ白なトースト、この光景は未だに記憶の底にしっかととどまっている。
その時に流れていたのがレイ・ブライアントの『ロンサム・トラベラー』だった。誰もいない列車の中にたたずむ妙齢の女性。この列車は到着したばかりなのだろうか、それとも今まさに走り出す瞬間なのだろうか。寂しげな視線の奥に、数々の物語を語りかけている、、、、。(この"フレッシュ付きのトースト"、勿論すぐさま真似をして食ってみた事は言うまでもない。はっきり忠告しておくと、味の無いミルクの染み込んだトーストなんか不味くて食えたもんじゃない(苦笑)。彼女の一連の行為は、単に栄養価を求めた結果だったのだろうか。)
1."Lonesome Traveller"
さて、アルバムの冒頭を飾るのは、ベースの印象的なリフに乗ってレイ・ブライアントのピアノが踊りまくる「Lonesome Traveller」。
"Lonesome Traveller"といえば、ジャック・ケルアックに同名の小説がある。何となくビートニックな雰囲気があるのは偶然だろうか。オリジナルは、、、、残念ながら誰なのか判らない。クレジットにはHaysとあるんだけど、さてこの人は誰? 知っていらっしゃる方がいたら是非教えて欲しい。キングストン・トリオにも同名の曲があるのだが、さて、謎は深まるばかり。
この「Lonesome Traveller」には、二人のフリューゲルホルン奏者が参加した、ピアノ・トリオ+2管のセクステットの演奏形態をとっている。がしかし、クラーク・テリー、スヌーキー・ヤングという強者を配しながら、ソロを取らせるわけでもなく、この二人をホーン・セクションとして使っている。この思い切りの良さに吃驚させられる(笑)。
ソロ+リズム隊+ホーン・セクションとは、まさにR&B的な発想。このアルバムの随所に現れる、従来のジャズとは異なったテイストはまさに、このR&Bへのアプローチじゃないだろうか。
R&B的な発想によるファンキー・ジャズでは、初期のラムゼイ・ルイス・トリオが有名だ。かの「ジ・イン・クラウド」のヒットが1965年。レイ・ブライアントが、この影響を受けた事は十分に考えれる。ラムゼイ・ルイス・トリオから分家した、ヤング=ホルト・リミッテッド(ブレイク・ビーツ、バックトラックのネタ元としてもDJ諸氏にはお馴染みか)のファンクなインストは、ジャズのテイストを残しながら心地よいサウンドを醸し出していた。
話をレイ・ブライアントに戻して、R&B的なるアプローチと、レイ・ブライアントのゴスペルを思わせるような力強いタッチは絶妙にマッチする。リリカルなテディ・ウィルソン風の軽やかさもブライアントだが、このアルバムにみらせるグルーヴは、今聴きなおしても新鮮だ。
「ジャズは歌の無いR&Bだ」という暴言をはいた評論家氏がいるが(笑)、僕はこの台詞を案外気に入っている。これは心地よさに機縁する。ジャズがジャズでしか出せない心地よさ(グルーヴ感と置き換えてもいいが)、これさえあればやはりその音楽はジャズなのだ。
2."'Round Midnight"
レイ・ブライアントは、ジャズの超有名曲をなんの衒いも無く自分のアルバムによく入れる。スタンダード集ともいえる『レイ・ブライアント・プレイズ』は例外としても、他のアルバムにもよく登場する。
「テーマは単なる素材だよ」と嘯くそぶりもなく、オリジナルと拮抗しようという野心もなく、「いや、オレこの曲好きなんだよ」とばかりに、気軽にレパートリーに入れているように思われる。
この「'Round Midnight」も、そんな曲のひとつなのだろう。独創的なバースから、鍵盤を叩きつけるような強靱なタッチ、壮大なテーマの歌わせ方、セロニアス・モンクにも通じる荒削りなリリカルさを感じさせる。と、思わせて、軽快なボッサのリズムに展開していくあたりに、レイ・ブライアントのお茶目さが伺える。
テーマを聴き損なったら、何の曲か判らないほどの大胆なアレンジ(笑)。楽曲を自分の袂に引きずり込む力は、よくも悪くも強引だ。「真夜中にひと暴れ」という邦題を付けたくなるほど。
中でも左手のダイナミックさは特筆ものだ。この変幻のさせ具合は、ブギウギ・ピアノのイデオムに近い。どんな曲でもブギーに仕立ててしまった往年のブギウギ・ピアニスト達の亡霊にとり憑かれてしまったようなミラクルな世界だ。
3."ブーツは歩く為に作られた"
このアルバム『ロンサム・トラベラー』の3曲目に収められているのが、「These Boots Where Made for Walkin'」。
この曲は、フランク・シナトラの娘、ナンシー・シナトラがプロデュサーで作曲家のリー・ヘイゼルウッドと組んで1966年にヒットさせた曲。邦題は『にくい貴方』。
高音部からグリッサンドで下がってくるベース・ラインが非常に印象的な曲だ。レイ・ブライアント版も、このアレンジを忠実に再現している。1曲目の「Lonesome Traveller」もそうなのだが、ベース・ランではなく特定のフレーズを繰り返す、ベース・ラインをアレンジの基調にしている。この事も、オウト・オブ・ジャズな要素だ。
逆に言えば、こんなアレンジでも、ジャズのグルーヴを生かしたまま素敵な演奏だ出来るのだ、というレイ・ブライアントの主張なのかもしれない。考えてみれば、ブギウギのベースラインも定まったルールがあり、この定型詩の中で、いかに楽曲を自由に踊り立たせるかが、プレイヤーの技量にもなっていた。
ジャズとブルースと、それに連なるR&Bやロックンロールの分水嶺が何処にあるのか判らないが、黒人音楽の資産を暴き出せばば、やはりそこには、ゴスペルという暗流が見え隠れしてくる。
同世代のピアニストでいえば、ホレス・シルヴァーが浮かび上がってくる。彼の場合、いかにゴスペルをジャズに組み入れようかとあがいていたが、その片方のシーソーに座って、にんまりと佇んでいたのがレイ・ブライアントかもしれない。
4."柳よ泣いておくれ"
僕が、レイ・ブライアントとウェス・モンゴメリーに共通する資質を感じるのは、共にこの「Willow Weep for Me(柳よ泣いておくれ)」を取り上げているからだけでは無いはずだ。
このセンチメンタルな佳曲を、どう切りさばくかはジャズメンにとって腕の見せ処でもある。感情に溺れず、かといって乾ききった演奏にもならず瑞々しい叙情感をたたえながらのプレイは、さすがレイ・ブライアント。
コマーシャルな(シャリコマ)、という言葉はやはりジャズでは嫌われる形容詞だろう。テーマの旋律の美しさ、楽曲の楽しさを純化させていくとある意味は、この領域に近づいていく。レイ・ブライアントの姿勢がシャリコマとは言わないが、メロディを奏でる喜びに魅入られた一人だとは言っておきたい。そう、ウェス・モンゴメリー同じように。
-----B面のレイ・ブライアント-----
B面の1曲目「The Blue Scimitar」、「蒼い三日月刀」とは何ともイマジネーションを刺激されるタイトルだ。ラテン・ビートを取り入れた、変形ブルースになるこの曲も、実にレイ・ブライアントらしさに溢れている。
この演奏を聴いていると、のちのジャズ・ロックの萌芽すら感じる。これはB面に収められた3曲のレイ・ブライアントのオリジナル曲にも共通している。逆の見方をすると、このアルバム全体に通底するブラックネスは押しつけられたものではなく、レイ・ブライアントが自らの手で選択したものだという事がよく判る。
映画音楽の巨匠・ディミトリ・ティオムキンによるバラッドを挟んで、「Cubano Chant」「Brother This'n'Sister That」に続く流れは、実にスリリングだ。中でも、「Brother This'n'Sister That」の剛健なタッチにとてつもなく心地いい。
どうもデ・ジャブを感じると思ったら、このサウンドはニューオリンズR&Bのピアニスト、Dr.ジョンに非常に近いのに気が付いた。気っぷの良さ、明解なライン、人なつっこいメロディ・ラインと、どこをとってもまるで兄弟のように似ている。ジャズの狭いフィールドに押し留めておくのが残念に思ってしまう程だ。
よくジャケット写真を見たら、レイ・ブライアントの顔がファッツ・ドミノに似ている事を発見した(笑)。
-----続・レイ・ブライアントの微笑み-----
上のほうで「この事情(?)は、また後ほど書くと思うが」、、、という謎めいた言葉を残してしまったが、これはレイ・ブライアントが、CBSコロムビアから、本作のカデット・レーベルに移る前に、SUEというマイナーなレーベルに籍を置いていた事に機縁する。
人によっては、このマイナー・レベル時代に(考えてみればカデットもそれほど大きな会社では無いが)、俗っぽくなってしまった、と腐す事もある。こんなジャズ教条主義は笑い飛ばすに限る。むしろ、このSUEレーベル時代に、自分の一番やりたかった音楽と出逢ったと見るのはどうだろうか。逆に言えば、レイ・ブライアントをジャズという鋳型に押し込めた結果が、70年代の生彩の無い、まるでセルフ・コピーに終始するような彼の姿を作り出したのでは無いだろうか。
ジャズという牢獄、これ以上不自由な世界は無い。こんな自分の行く末を、寂しい旅人になぞらえた、、、これは考えすぎだろうが、そう思って聴くと、やけに切なく響いてくる。
----- Lonesome Travellers -----
さて、御同乗の皆さま、列車はまもなく終着駅に着きます。お荷物など、お忘れにならないようお気をつけ下さい。
タイトル通り、たった一人の旅になりそうだった今回のPickUp!も、会議室では途中から沢山の方に同乗され、無事に旅を終える事になりました。
…… Last Train to The Jazzland
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