ジャズ・ピックアップ
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『Quiet Kenny』
ケニー・ドーハム『静かなるケニー』
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Kenny Dorham 『Quiet Kenny』   New Jazz 8225
Recording Data:November 13,1959

Personnel :Kenny Dorham(trumpet)
Tommy Flanagan(piano)
Paul Chambers(bass)
Art Taylor(drums)
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Tunes Side A:
Lotus Blossom(4:40)
My Ideal(5:10)
Blue Friday(8:50)
Alone Together(3:10)
Side B:
Blue Spring Shuffle(7:43)
I Had The Craziest Dream(4:40)
Old Folks(5:16)
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【解説】

-----「無冠の帝王」-----

「無冠の帝王」という言葉があります。バップの初期からソニー・スティット、ファッツ・ナヴァロらと活躍を始め、チャーリー・パーカーやセロニアス・モンクとも共演、初代ジャズ・メッセンジャーズのトランペッターでもあった。クリフォード・ブラウン亡き後はマックス・ローチ・クインテットに参加、とジャズの第一線を歩みながら、マイルスやブラウニーの影にかくれた存在で、ドーハムはそれほど華々しい注目を浴びる事はなかった。実力がありながら、それにふさわしい評価をうけることのなかった存在として、かつてケニー・ドーハムには、この「無冠の帝王」という形容がよく使われました。

60年代初頭ころからジャズを聴き始めたぼくにとっても、ドーハムはそれほど気になる存在ではなく、当時先端のファンキーなトランペッターなら後輩のリー・モーガンが大人気、マイルスやコルトレーンがモード演奏を始め、日本にも新しいジャズの波が押し寄せ、活気を見せていた時代でした。

そんな時代、ぼくもジャズ喫茶に通い、コルトレーンやエリック・ドルフィなどの壮絶な演奏を夢中で聴いていましたが、ある日、ピアノのトミー・フラナガンが端正なタッチに、いつになく気合の入った切れ込みを見せている演奏に気がつきました。見ると、そこで何度かは聴いた事のある「クワイエット・ケニー」。ぼくがこのアルバムに最初に注目したキッカケは、やはりドーハムではなかったのです(^-^;;。

それからは店に行くと、リクエストをして聴くようになりました。でも不思議だ、ドーハムや各メンバーのプレイも、圧巻というほど目立ってスゴイ演奏ではない。それなのにこんなに聴いていて「しっくり」くる演奏はない。淡々とした演奏の中にメンバーの血が通いあった空気を感じる。

すっかり気に入って、人に話しても「あんまり迫力ない演奏だな」などと相手にしてくれない。ただ一人、そのジャズ喫茶「マイルス」のマスターが「この渋さが分かれば一人前だよ」といつになく誉めたような口調。

そのうち、このアルバムがどうしても手元に欲しくなり、懸命に探したけど見つからず、結局、幸運にも、ジャズ評論家の故油井正一先生から見本盤をいただくことができたのですが、その経過は、先月(98年6月)にジャズ・フォーラム(FJAZZ)4番会議室の#3838に書いたばかりなので省略させていただきます。

で、ぼくの持っているアルバムは、いまだにそのジャケットもレーベルも真っ白の見本盤。昔の安物のポータブル・プレイヤーで繰り返し聴いたので、ノイズも激しく、それでもCDも買い直していない。最近CDばかりでLPを聴いていなかったけど、また聴き直してみることにしましょう。

1."蓮の花"

一曲目は、Lotus Blossom 蓮の花。アート・テイラーのラテン風のシンパリングに合わせてポール・チェンバース、トミー・フラナガンによるリズム・パターン。イントロやテーマの頭の部分はマイナー・モード風、モードといってもそんな大袈裟なもんじゃないけど、この辺が当時のジャズとしては一寸新しく、蓮の花という、東洋風の曲名になったのでしょう。

ドーハムは2年前にもアーニー・ヘンリー(as)らとピアノレスの2管編成でこの曲を取り上げており(Two Horns Two Rhythm Riverside Nov.1957)それはもっと速いテンポで実験風でした。そういえば、ソニー・ロリンズがブルー・ノートのアルバムNewk's The Time(BN sep.1958)で、この曲がAsiatic Raesという曲名で取り上げられていたけど、僕なんかには、そんなにアジア風には感じられず、そういう感じ方の違いが面白い、もっとも、テーマAの後半部やサビは、パップそのもの。

ドーハムは、まさに伸びやかに唄っており、続くトミフラも快調、そしてドラムのアート・テイラーも、バックで気持ちのいい突っ込みを見せ、最後のリフとの掛け合いで締まったソロを聴かせる。テイラーはプレスティッジ〜ニュー・ジャズのハウス・ドラマーといわれ、50年代後半にはレコーディングも実に多いのだけれど、大半は堅実なリズム・キーパーとしての役割に徹しており、こういう元気なテイラーのプレイを聴くとそれだけで嬉しくなってしまう。

それと、このトミフラ、チェンバース、テイラー3人のリズムセクションは、この年の5月のジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」と全く同じで、テナーとトランペットの違いはあるが、やはりカルテット編成・・・なんか、そんな感じがしないんだけど・・・。実は一年前ドーハムはコルトレーンに、なんと前衛ピアニスト、セシル・テイラーを加えたアルバム(Coltrane Time UA OCT.1958)を吹き込んでいます、 後にコルトレーン名義になったアルバムではありますが、このメンバーに呼びかけ集めたのはドーハムということだから、ベテランに関わらず進取の気性の人であったと思われます。

50年代半ばにも、J.R.モンテローズと新しいグループを作ったり60年代には、ハービー・ハンコック、アンソニー・ウィリアムスなどの若手を起用して8ビートジャズいわゆるジャズ・ロックの先鞭をつけたりしていますが、いずれの試みも、主流や代表選手にはならなかったというのが、この人らしい。

このアルバムはドーハムがそんな活躍の谷間に素顔のくつろぎを見せており、当代一流のリズム・セクションの名手たちが、そんなドーハムを信頼し、ドーハムもそれに応え、身を任せて、心の通い合う雰囲気が満ちています。

--------ドーハムのヴォーカル--------

ドーハムは「静かなる」の前年、リバーサイドにThis Is The Momentというボーカルがメインのアルバムがあり、多分チェット・ベイカーの向こうを張った企画だったろうけど、本人は大真面目に唄っています。ジャケットも摩天楼の夜景をバックにボギー風にキメた美女と一緒のドーハム。

本人が粋なつもりで気取って大真面目に唄えば唄うほど、聴いてるほうは笑いが込み上げてきて押さえられない。枯れ葉なんか、抱腹絶倒もんです。

これ一枚あれば、人生の悩みやウサなどふっ飛んでしまうこと請け合いの得難いアルバムなんです・・・少なくとも、ぼくには(^^;)

2."マイ・アイデアル"

いかにも古きよき時代のという感じの小唄。リー・ワイリー(vo)姉御の「しっとり」しながら「堂々とした」?名唱(West of the Moon RCA 1956)を思い出す。器楽ではベン・ウェブスターとアートティタムのアルバムも有名、チェット・ベイカーも唄っていた。

アイデアルといわれると、つい「ナンである」といいそうになってしまいそうなんだけど(^^;)、「Ideal=理想」はアイディールと表記すべき、慣用ではアイデアルとなっていますね。

そういえば60年代、秋吉敏子さんがSJ誌で「ドーハムというのは変、ダーラムとすべき」といっていましたが。これも慣用。秋吉敏子さんとドーハムの共演盤あり Toshiko At Top of the Gate 1968

この曲「マイ・アイデアル」でのドーハムのプレイ。美しい音色のシンプルなテーマのあと、たどたどしくさえ聴こえるソロ。人生を悟りきったような境地のなかに人間を信じる滋味があり、しみじみと漂う雰囲気が心地いい。

これを聴いていると、彼の性格のよさが「にじみ出ている」と感じられますが、ぼくがこのアルバムを聴く以前、ドーハムについて知っていたのは、借金をしておきながら「とぼけて知らぬ顔をする」バード(チャーリー・パーカー)に、「貸した金を返せ」とカミソリを構えて迫る有名な逸話だったから、ドーハムはコワモテの先入観があったのだけど、あれは「あの大人しく気のいいドーハムでさえも」と読むべき話だったのだと、思うようになりました。

3."ブルー・フライディ"

ドーハム作のマイナー・ブルース。マイナー・ブルースはバップ時代にはあまり演奏されることはありませんでした。メージャー・キーにマイナー・キーを思わせるブルー・ノートが出てくるのがブルースの味わい、面白さとすれば、始めからマイナー・キーというのは、そもそも矛盾した存在なのかも。

マイナー・ブルースは50年代終わりころから、60年代始めころにかけて多く演奏されており、そのころのマイナー・ブルースの名演にはMr.PCやFive Spot After Darkありますが、両者とも代表的録音にはトミー・フラナガンが加わっており、このQuiet KennyのBlue Fridayもトミ・フラです。

ビル・エバンスもマイナー・ブルースを好んで演奏し、オリジナル曲Interplayもあジャズの一つの傾向とも見る事ができます。

そういえば、ソニー・ロリンズのサキ・コロのBlue Sevenのピアノもトミ・フラだった。Blue Sevenはマイナー・ブルースではないけど、リズム・セクションのBbのメジャー・ブルースに対してFmでアドリブを行うという、当時としては実験的な試みで、独特の雰囲気と緊張感がある演奏だった。

このBlue Fridayは時々Blue Sevenと比べられることがありますが、マイナーでありながら、それほどマイナー・ムードを強調する事なく、各人のソロや全体の構成がしっかりした演奏になっていることもあるかもしれない。

ドーハムのコーラスを重ねる毎に徐々に熱を帯びてくる演奏は、構成や展開を云々する前に、その自然で人間的な歌心に共感してしまう。続くトミ・フラの演奏もいうまでもなく見事!。ブロック・コードに入った3コーラス目の終わりの、次のコーラスに入る直前から頭にかけての切り返しのフレーズなんかシビたものです。

チェンバース、テイラーの好演、好サポートも地味ながら見逃せない。これといって創造的な演奏ではないけれど、ここには、ぼくが好きななつかしいジャズのエッセンス、原形みたいな要素がいっぱいあります。

4."アローン・トゥゲザー"

意表をついたメジャー部分転調のある、マイナーの有名スタンダード曲。ドーハムは、この曲のテーマの1コーラスを、ストレートに吹くだけ。ピアノのイントロもなく、ゆっくりしたテンポ、それもインテンポで、このシンプルなメロディを、ただそのまま吹くだけ。

にもかかわらず、デリケートな表情は聴き手を最後までとらえて放さない。かといって、鋭い緊張感に満ちた演奏でもなく、素直な優しさに満ちた演奏。それだけに、この透徹した境地は、心に染みる。ただ、聴くのみ。

5."ブルー・スプリング・シャッフル"

ドーハムのオリジナル・ブルース。ドーハムはこのテーマを題名を変えて何度か吹き込んでおり、当時のフランスのヌーベル・バーグ映画にもこの曲が使われていたような記憶がありますが、映画の題名その他は定かではありません。

ピアノやベースソロの後、ベースとトランペットが合わせるリフを挟んだ構成をとっており、ブルースとしては比較的あっさりした演奏。

マイルスの自伝に、どこかのクラブでドーハムを自分のバンドに客演させたところ、もの凄い演奏をやってのけられ、明くる日、マイルスが自分の得意曲でやりかえし「お客扱いで譲ってやったのに、あんな遠慮のない演奏でオレの顔をツブすなんて礼儀知らずだ、オレだって自分の得意曲では負けはしないんだ」と、いかにも負けず嫌いのマイルスらしいセリフが可笑しかったけど、このアルバムのドーハムを聴く限りそんな凄さは想像しにくいですね。(マイルスのセリフはウロ覚えです、JICC出版の「マイルス自叙伝」中山康樹訳だったと思う)

たしか50年代半ばころの話で、そのころドーハムはミンガスの「直立猿人」にも参加していたJ.R.モンテローズと双頭コンボ(双頭が多いのも、この人のらしい)「ジャス・プロフェッツ」を組んで、張り切っていた。アルバムとしては「KennyDorham and Jazz Prophets Vol.1 abc 1956」なんか初期のハード・バップの名作だと思うけど、Vol.1とあるのに2は出てないようで、尻切れトンボ。こういうところも、いかにもケニーとは思うけど、事故で急逝したブラウニーの後釜にと旧友マックス・ローチに懇願されて、やむなく「ジャス・プロフェッツ」を解散しローチのコンボに参加、と勝手に解釈する事にしています。こういう気弱でダメなところのある人、どうしても責められないんですね。

p.s.
ヌーベル・バーグ映画で思い出したけど、メッセンジャーズが音楽を担当した「危険な関係」でドーハムが画面に出てきたけど、音はドーハムでなかったような気が・・・もう3〜40年も前の話、はっきり覚えていません、テナーはバルネ・ウィランだったか? そういえば最近ウィラン、ドーハムのアルバムが再発されてたなあ・・・

6."クレージェスト・ドリーム"

一寸、出だしがI Thought About Youに似た曲調のスタンダード曲。たしかハリー・ジェームズのオハコの曲と聞いたことあるけど、ぼくはその演奏は知らない、アストラッド・ジルベルトがピクニック・ソングみたいに愛らしく唄っていたのは聴いた事があります。

再発盤収録曲「マック・ザ・ナイフ」がサッチモへのオマージュとするならば、これはスイング期のトランペットのスター、ハリー・ジェームズへのオマージュとなるわけで、ケニーはこのアルバムで、トランペット・ジャズの彼なりの総決算を行っていると考えられ、そのころ隆盛期のモダンジャズのモダン〜当世風な部分にあえて背を向けて自分を見詰めなおし、名手のバックを得て素直に自分の唄を唄っているところが、このアルバムの良さ、真骨頂。そんなドーハムの唄が聞えてきます。

7."オールド・フォークス"

アメリカ人が親しい人に、Hi!Folksなどというのを聞くことがある、そんな時の彼らの親しみに溢れた表情を見ていると、オールド・フォークスとは、故郷の人を懐かしみ、親しく呼びかける言葉であることがわかる。

ケニーのこの演奏は、その曲想にぴったり。多分故郷や友人に思いをはせながら演奏しているのでありましょう。マイルスにもオールド・フォークスのバラード演奏があり、それも名演である事には違いないのだけど、マイルスのは懐かしき人々を前にして、瞑想にふけり、沈思黙考してるような雰囲気もないではない。

この曲はマックス・ローチ・クインテット時代からのケニーの得意曲だそうだけど、ぼくがどうしてもやってしまうのが、チャーリー・パーカーがコーラスをバックにしたオールド・フォークスにケニーが参加していたと勘違いすること。パーカーとケニーの共演を最初に聴いたアルバム、ヴァーヴの「Jazz Parennial-1949」の外盤ジャケット記載が曖昧だったせいもあるけど、ケニーはこのころからこの曲に親しんでいたと思う。パーカーのオールドフォークスは53年、コーラスのアレンジはなんとギル・エバンス、ドラムスがマックス・ローチ。あるいはこの曲ひょっとするとパーカーへのオマージュかも知れませんね。

-----「静かなるケニー」おわり-----

と、オールド・フォークスでぼくの持っている「静かなるケニー」は終わるのだけれど、再発盤では「マック・ザ・ナイフ」が最後の曲になっているよう。

ぼくには最後が「オールド・フォークス 」で終わるのが好き。というより「終わらなくてはならない」のです。このアルバムを聴くとこのアルバムをリクエストして、さらに裏面までリクエストしてこの曲を聴き終わって席を立ち聴いていたころの ジャズ喫茶「マイルス」のことがいろいろ思い出されるし・・・油井先生からもらって繰り返し聴いた白い見本盤もそうだったし・・・

でも、このアルバムにはそんな個人的な感傷があるだけじゃない。ドーハムはこの前後に沢山のアルバムを吹き込んでおり、70年代以降はそのころの未発表録音が沢山発掘、発売されている。ぼくも、そんなアルバムを何枚かは持っており、ドーハムの音色が大好きだし彼も頑張っていて、それなりに楽しめるのだけど、やはり「静かなるケニー」は別格の存在のような気がする、ワンホーンで統一されたアルバムという事もあるとは思う・・・でもそれだけでもなさそう。

50年代から60年代にかけてジャズを聴き始めた僕たちの世代は、なんかわけのわからない凄いパワーがあるとジャズに魅きつけられはしたけど、ジャズは高級とかカッコイイとか大人の音楽というイメージはなかった、それどころかジャズを聴いているというだけで、不良だといわれたこともよくありました、そのせいか不良っぽい陰のある感じのジャズ・プレイヤーに人気があり、周りで圧倒的な人気があったのはコルトレーンでもロリンズでもなくジャッキー・マクリーンでした。

当時、坂田明なんか、マクリーンのバラードにはメロメロで、ぼくもプレスティッジのワンホーンセッションが大好き。そのころのマクリーンが「青春の残酷さと痛み」の表現とするなら、ドーハムの「静かなるケニー」は「普通の人の思いがけず深い悟り」みたいな世界があり、見かけは平凡な世界に、尽きぬ味わいや美しさがある事を教えてくれた、とても懐かしく大切なアルバムです。
text by μabotME!
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