ジャズ・ピックアップ
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『Getz/Gilberto』
スタン・ゲッツ 『ゲッツ/ジルベルト』
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Stan Getz and Joao Gilberto feauturing Antonio Carlos Jobim
『Getz/Gilberto』               Verve V6-8545 ------------------------------------------------------------------
Recording Data:March.18,19,1963   NewYork A&R Studio
  Kendun Recorders Inc. Burbank, Calif.
Personnel :Stan Getz(ts)
      Joao Gilberto(g,vo)
      Antonio Carlos Jobim(p)
      Tommy Williams(bass)
      Milton Banana(drums)
      Astrud gilberto(vo)
Produced by :Creed Taylor
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Tunes Side A:
The Girl From Ipanema(5:24) (V de Moraes - A.C.Jobim)
Doralice (2:26) (Dori Caymmi- Antonio Almeida)
Pra Machuchar Meu Coracao(5:06) (Ary Barroso)
Desafinado(off Key) (4:13) (Mendonca-A.C.Jobim)

Side B:
Corcovado(Quiet Night of Quiet Stars) (4:18) (A.C.Jobim)
So Danco Samba (3:46) (V de Moraes-A.C.Jobim)
O Grande Amor (5:27) (V de Moraes-A.C.Jobim)
Vivo Sonhando (2:55) (A.C.Jobim)
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【解説】

『ジャズ・サンバ』 『ジャズ・サンバ・アンコール』に続く、スタン・ゲッツのボサノヴァアルバム。ジョアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビン、二人の本物のボサノヴァを迎えて作られた大ヒット作。シングルカットされた「イパネマの娘」は、アストラッド・ジルベルトを一夜にしてスターにしてしまった。

---------- ジャズ?ボサノヴァ? ----------

今から40年前の1958年、ブラジルで最初のボサノヴァが録音された。5年後、ニューヨークで録音された、このアルバムで、ボサノヴァは世界的に流行することになった…らしい。

録音に参加したギタリストの妻は、歌に関してはド素人だったにもかかわらず、たまたま英語が出来たということで歌った曲が大ヒットして、一夜にしてスターの仲間入りをした…らしい。

シリアスなジャズファンからは、商業主義だと非難され、シリアスなボサノヴァファンからは、サックスが邪魔だと言われ、ポップスファンからは、変な声のおっさんが邪魔だと言われ、ロックファンからは、軟派なムードミュージックだと言われ、それでも大ヒットしたあげくにグラミー賞まで受賞して、廃盤になることもなく、愛され続けるその理由は?

かたや、ジャズ界きっての躁鬱偏屈我侭男、スタン・ゲッツ。こなた、ブラジルを代表する自閉的頑固一徹男、ジョアン・ジルベルト。その時、スタジオでは何が起こっていたのか?

---------- ゲッツとボサノヴァ ----------

ブラジルでボサノヴァが産声を上げたのが、1958年。59年には、アメリカから多くのミュージシャンがブラジルに行きボサノヴァを体験することになります。

ブラジルにもジャズミュージシャンは大勢いて、ボサノヴァのレコーディングに参加していましたから、彼らを通してこの新しい音楽を知ることになったと思われます。そんなミュージシャンの中に、まだまだ無名のギタリスト、チャーリー・バードがいたわけです。バードは、さっそく帰米して自分のステージでボサノヴァを演奏し始めます。

スタン・ゲッツとボサノヴァの最初の出会いがいつだったのかはっきりはしないけれど、1961年の終わりか62年の初めに、チャーリー・バードの演奏を聴いたといわれています。バードと最初のボサノヴァアルバム「ジャズ・サンバ」を録音するのは、それからわずか2ヶ月後、1962年2月のこと。

このアルバムからシングルカットされた「デサフィナード」が大ヒット。アルバムは、ポップチャートのトップに輝くという異例の事態になります。

ジャズ界は、こぞってボサノヴァを録音し始めることになります。コールマン・ホーキンス、ラムゼイ・ルイス、カーティス・フラー、ハービー・マン...数十種類のアルバムが送りだされます。実際、ボサノヴァと題されたジャズアルバムを見ると、ほとんどが62年の後半に録音されていることに気がつきます。そして、63年3月、「ゲッツ・ジルベルト」が録音されます。

---------- ジャズサンバ ----------

ゲッツのボサノヴァアルバムでは、「ゲッツ/ジルベルト」と「ジャズサンバ」の2枚が何と言っても有名ですが、知名度や人気は、「ゲッツ/ジルベルト」の方がやや上ってとこでしょうか。

しかし、ジャズ界に与えた影響は、「ジャズサンバ」の方が大きかったようです。実際、ゲッツは、1年の間に「ビッグバンド・ボサノヴァ」「ジャズサンバアンコール」と立て続けに吹き込んでいます。チャーリー・バードは、62年の4月に2枚分のボサノヴァアルバムを録音し、おそらくその人気のためでしょう、リヴァーサイドレーベルは彼の旧作を6枚と新しいボサノヴァアルバムを連番でリリースしています。「ジャズサンバ」という言葉は、誰が発明したんでしょうねぇ?

ブラジルのジャズメンが、サンバのフィーリングを持ったジャズを演奏していて、それが「ジャズサンバ」だという説があります。アメリカのジャズメンがやってるのは、ボサノヴァっぽいジャズで、本場の「ジャズサンバ」とは違うってことらしい。

実際、アメリカ人だけで録音された、ゲッツの「ジャズサンバ」は、ボサノヴァでも無ければサンバでも無く、風変わりなラテン風ジャズっといった感じ。確かにそれまでの、ラテンジャズはキューバン系の激しいリズムを取り入れたもので、ボサノヴァ風のクールで軽快なイメージは、新鮮なものがあったんだろうと思います。

その後吹き込まれた、何十枚というボサノヴァアルバムは、ラテンジャズとしかいいようのないものがほとんど。実際同じ時期に、モンゴサンタマリアの「ウォーターメロンマン」もヒットしたりしてるので、一連の「ラテンっぽい」ブームの中の一つだったのかもしれません。でも、「ゲッツ/ジルベルト」はちょっと違う? かも

---------- 共演者達 ----------

アメリカ人だけで録音した「ジャズサンバ」。ゲッツ以外のメンツは、直後のチャーリー・バードのアルバムのメンツそのままです。というより、そもそもバードのバンドに、ゲッツが加わった形で、録音されたってことですね。似て非なるものとは言え、ゲッツサイドでボサノヴァを演奏できるミュージシャンを急にそろえることはできなかったんでしょう。

ゲイリー・マクファーランドとの「ビッグバンド・ボサノヴァ」は聴いてないのでちょっと置いといて、次の「ジャズ・サンバ・アンコール」。個人的には、ゲッツのアルバムとしてはこっちの方が出来がいいんじゃないかと思ってるんですが、ここでは、ブラジルのミュージシャンを起用しています。ギターにルイス・ボンファ、ピアノにA.C.ジョビン。ドラムにパウロ・フェレイラとジョゼ・カルロス。そしてボーカルに、ボンファの妻、マリア・トレード。ベースはジョージ・デュビビエらアメリカ人。

ボンファは「黒いオルフェ」の作者、ジョビンは「デサフィナード」の作者、ボサノヴァを代表するミュージシャンとしてアメリカでもすでに有名でした。

ここでの、ボンファは、実に素晴らしい演奏をしています。アドリブの名手ゲッツに全然引けを取らない、活き活きとしてゴージャスなプレイ。訥々とつぶやくようなジョビンのピアノに、ソーダの泡のようにさわやかなマリア・トレードの歌。「ジャズサンバ」よりも数段優れていると思われる、このアルバムは予想に反して、あまり売れなかったようです。あれほど売れた「ジャズサンバ」のアンコールだってのに。

2月に「ジャズサンバ・アンコール」を録音して、1ヶ月後、早くも「ゲッツ/ジルベルト」が録音されます。今回もベース以外は、サイドをすべてブラジルのミュージシャンで固めました。ギターとヴォーカルのジョアン・ジルベルト。ピアノのジョビン。ドラムにミルトン・バナナ。ベースは前作にも参加しているアメリカ人、トミー・ウィリアムス。
そして、ジョアンの妻だった、アストラッド。

ジョアン・ジルベルトは、前年の61年11月に、カーネギーホールで行われた、「ボサノヴァコンサート」でアメリカでの御披露目を済ませていました。そのコンサートでは、ボサノヴァの中のボサノヴァとして、聴きに来ていたマイルス・デイヴィスを始めとするミュージシャン達に大きな感銘を与えました。ゲッツが聴きに来ていたかどうかは...???

---------- スタジオにて ----------

今回解説するにあたって、参考にしている本があります。ルイ・カストロ著「ボサノヴァの歴史」。いまや、ボサノヴァファンのバイブルとも言えるこの本は、現在は絶版状態ですが、図書館に行けば読むことが出来ると思います。ちなみに、原語版なら今でも手に入ります。ポルトガル語にチャレンジしてみてはいかが。この本の中で、我らのアルバムに関するエピソードはこんな文章で始まります。

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「トム、このグリンゴに、おまえは馬鹿だって言ってくれよ」と、
ジョアン・ジルベルトは、トム・ジョビンにポルトガル語で命令した。

「スタン。ジョアンは、彼の夢はあなたとレコーディングすることだっ
たと言っている」と、ジョビンは英語で伝えた。

「オモシロイネ」とスタン・ゲッツは恥知らず語で答えた。
「声の調子じゃ、彼はそうは言っていないようだ....。」
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現場にいたら、胃が痛くなっちゃうでしょうねぇ(^_^;)

レコーディングの間も二人は、いがみ合って、ジョビンが間を取り持ってたというわけで、CDの新しいライナーノートでも、クリード・テイラーは、音楽面以外でもジョビンの貢献度は非常に高かったと言っています。録音中から、最終テイクを決めるときまで、二人はずっと反りが合わなかったそうな。まぁ、ブラジルサイドから書かれた本なので、多少割り引いて読んだとしても、よくまぁ2日で録音がすんだもんです。

---------- シンデレラ物語 ----------

「ゲッツ/ジルベルト」にまつわるエピソードといえば、なんと言ってもアストラッドのシンデレラ物語。

僕が最初に、読んだのは「レコードの売り上げのために、英語の歌詞を入れたいと思ったが、たまたま英語で歌えるのがアストラッドだけだった。」ってのですけど「スタジオの片隅で口ずさんでいる彼女の歌を聴いて、スタン・ゲッツが、彼女の歌を入れることを主張した。」ってのもあるみたいですね。

そして、必ず付いてくるのが、「アストラッドが歌うのを、ジョビンとジョアンは反対したが、押し切られた。」ってやつ。「ボサノヴァの歴史」には、こんな風に書いてあります。

「本当は、『ゲッツ/ジルベルト』のレコーディングの第二日目、アストラッドがジョアンとスタンに向かって“イパネマの娘”を英語で歌わせて欲しいと言い張ったのだ。ジョアンは話から逃げてしまったが、彼女は固執して、他の者を味方につけた。クリード・テイラーは、女性の声は上手くはまるし、あのアルバムで誰かがエキゾチックでない言葉で歌ったとしても悪くはなかろうと考えた。トムはすでにアストラッドの歌を聴いており、なんとかやってのけるだろうと知っていた。そしてゲッツは率直なところあまり関心を抱いていなかった。ジョアンは根負けした。だが、四回か五回レコーディングを繰り返す間に、とうとう感激するまでになった。」

最近出たCDのライナーノーツには、また違う話が語られています。ライターのダグ・ラムゼイは「彼女の夫とジョビンは反対したが、ゲッツの主張で参加が決まったのである。ゲッツは彼女の音程がやや下がり気味なのは知っていたが、それでもアルバムに参加させたがった。」と書いています。

しかし、同じライナーノーツの中でクリード・テイラーはこう言っています。「...でも、『イパネマの娘』の英語の歌詞がそろっていることも、ジョアン・ジルベルトにアストラッドという、英語で歌の歌える奥さんがいることも知らなかった。(中略)で、モニカがホテルから彼女をスタジオまで引っ張ってきて、英語で歌わせたんだ。」モニカというのは、スタン・ゲッツの奥さんです。

ところが、日本語訳されていないアストラッドの文章の中で、これまた違う状況が語られています。それによると、「私は、ジョアンの通訳としてアメリカに同行しました。リハーサルの前の日、スタン・ゲッツが私たちのホテルを訪ねてきたとき、ジョアンが私に『君を喜ばせることがあるんだ』と言いました。そして、ジョアンはスタンに向かってこう言いました(私の通訳を通して)。『アストラッドはレコーディングで歌えると思うんだ』」

いったい、どれがほんとのことやら僕にはわかりませんが、僕としては最後のがいちばん気に入りましたね。ジョアンは、ブラジルにいたころからアストラッドに対して熱心に歌の指導をしていたようです。これも「ボサノヴァの歴史」からです。

「2年前の建築大学でのコンサート「愛と微笑みと花の夜」に出演するために、ジョアンを相手に嫌というほどリハーサルを繰り返した。厳格なジョアンが、公衆の面前で歌えるくらいに彼女を仕込み、本番で伴奏まで務めていたのは、偶然でもなんでもなかったのだ。もし、ボサノヴァのアマチュアコンサートが続いていたなら、間違いなく彼女は他のコンサートでも歌い続けていただろう。」

「アストラッドは、人前で歌ったこともない素人だった」というのは、シンデレラ物語には、欠かせない前提条件のようなものですが、実際には、本人はプロの歌手を目指していたし、ジョアンもそれを望んでいたってことみたいですね。それに、アメリカに来てからも、レコーディングの数週間前に、「ブルーエンジェル」で、さぼったジョアンの代役を努めて、彼のレパートリーを歌っています。その時、英語詞の「イパネマの娘」も歌われています。もうすでに、人前に出てステージをこなすほどだったという訳です。

---------- はてさて ----------

さて、どうもここのところ、「ゲッツ/ジルベルト」におけるスタン・ゲッツは非常に形勢不利な状況であります。ジョビンもジョアンもミルトン・バナナも絶賛されているのに大家のスタン・ゲッツが邪魔者扱いされたんじゃ、ちょっとかわいそう。あ、それより参加してることすら忘れられてる、ベーシストの方がもっとかわいそうかも。

確かに、スタン・ゲッツはボサノヴァなんてどうでも良かったのかもしれません。実際、この数年間を除いて、彼はボサノヴァをほとんど演奏していません。たいして執着はなかったとしか思えないんですねぇ。「ゲッツ・ジルベルト」だけで豪邸買ったって言うし。

ルーストレーベルに録音してたころの、ゲッツの演奏は鳥肌の立ちそうな素晴らしいものだったし、その後スタイルの変化を見せながらも、アドリブのセンスは超一級品であり続けたわけで、一連のボサノヴァのレコーディングでも、決してレベルの低い演奏をしているわけではありません。ただ、ボサノヴァじゃないというだけのこと。僕は、「ジャズ・サンバ・アンコール」が大好きで、よく聴くんですけど、ここでは、ルイス・ボンファがゲッツのプレイに対してちゃんと反応してるんですね。ジャズ的な緊張感があって、ゲッツのアルバムとしてちゃんと成立してるんです。でも、「ゲッツ/ジルベルト」ではなんだか、場違いなお客さんのような状態で、「ジョビン/ジルベルト special guest スタン・ゲッツ」
とでもした方が、良かったような...

---------- イパネマの娘 ----------

ボサノヴァといえばこの曲っていうくらい、有名な曲ですがそれもこの「ゲッツ/ジルベルト」のヒットがあったからでしょうか。

この曲がはじめて演奏されたのは、ブラジルのナイトクラブ「オー・ボン・グルメ」1962年8月のこと。ヴィニシウス、ジョビン、ジョアンにオス・カリオカスがゲストで出るという、今考えると、とんでもない豪華なメンツ。

このショーは、録音が残されているらしいので、いつの日か日の目を見ることを期待しつつ、話を進めますが、このショーより後、数々の名曲を作ってきたヴィニシウスとジョビンは共作をしていません。二人の共作の最後を飾ったのが、この名曲だったというのは、不思議な感じがしますね。

ともあれ、アストラッドの参加した2曲を含むアルバムの録音は、なんとか無事に終了したわけです。しかし、前月に録音された「ジャズ・サンバ・アンコール」の売れ行きを見てからということだったのでしょうか、しばらく寝かされていました。そして、案の定「ジャズ・サンバ・アンコール」は、あまり芳しい売れ行きを示さなかった。おまけに、問題はもう一つあったんですねぇ。アストラッドの英語詞の歌を入れて、アメリカの市場向けに売り出すにはいい条件が整った訳ですが、歌手を二人も入れたために録音時間が長くなってしまったのです。録音時点から、この演奏が頭の固いジャズファンではなく、もっと一般大衆向けに、アピールできるものだという感触を得ていた彼は、これをどう売りだしたもんかと思案したあげく、この5分を越える演奏からジョアンの歌をバッサリ、カットして2分58秒の、シングル盤にぴったりの演奏に仕立て上げました。

なんと、発売されたのは録音から1年以上もたった、翌年の7月。しかも「ゲッツ/ジルベルト」は、ジャズのレコードとしてではなく、ラテンのレコードとして日の目を見たのでした。後は、皆さんご存知の通り。世界的なヒットとなり、グラミー賞を取り、ゲッツは豪邸を買い、ジョアンは二万三千ドルを受け取り、アストラッドは120ドルを受け取った... でも、アストラッドは十分元を取ったわけですね。その後の活躍は皆さんご存知の通り。

---------- アルバムに収められた曲目 ----------

「イパネマの娘」
言わずと知れた、大ヒット曲。ヴィニシウス・ヂ・モライスとアントニオ・カルロス・ジョビンの代表曲でもあります。録音された回数は数知れず。その中でもユニークなのは、アチー・シェップの「ファイアー・ミュージック」での演奏。これは、もうなんだか凄いことになってます。一度聴いてみてください。

「ドラリセ」
ブラジルのバイーアを代表する、作曲家/歌手/ギター弾き/漁師のドリヴァル・カイミの曲。80を過ぎて、いまだ元気なドリヴァル爺さんは、ブラジルでは誰もが尊敬する、国宝級の人でもあります。とてもかわいい曲で、この頃のジョアンは、こういうタイプの曲では、最高に魅力的です。ジョアンのスキャットで終わるエンディングが、最高にクール!

「プラ・マシュカー・メウ・コラソン」
こちらもブラジルを代表する大作曲家、アリ・バローゾの曲。かわいそうにCDでは、曲名が誤植されていて、しかも2ヶ所で違う間違い方をしている。アリ・バローゾの有名な曲といえば、最近CMで使われて話題にもなった「ブラジル」があります。こういう曲になると、ゲッツの「唄い込み」が強くなって、ちょっと厚ぼったくなってしまいますね。

「デサフィナード」
「ジャズ・サンバ」での演奏が大ヒットした曲。ネウトン・メンドンサとジョビンの共作。音程の悪い歌手をからかったような歌詞が有名です。ゲッツのソロは、それだけ聴いていると、とても表情豊かで、いいですね。ジャズが解釈したこの曲のメロディーとしては、最高の部類に入るんじゃないでしょうか。

「コルコヴァード」
英語の題名は「クワイエット・ナイト・オブ・クワイエット・スターズ」。アストラッドの歌が聴ける曲。ジャズシンガーがよく取り上げる曲ですね。ちょっと、ねちっとした夜の雰囲気が、ジャズフォーマットで取り上げるのには、かえって都合がいいのかもしれません。ここでのジョビンの短いピアノソロを聴くと、彼がその瞬間に編曲者として、新しいメロディーを作ってるんだなぁ、なんてことを感じます。

「ソ・ダンソ・サンバ」
前作「ジャズ・サンバ・アンコール」でも演奏していた曲。ゲッツ吹きまくる(^_^;)。聞き流してると、気がつかなかったんですけど、ゲッツのバックでのジョビンのピアノが結構面白い動きをしてますね。エンディングがかっこいい。こんなバッキングをつけられたら、いつまでも吹き続けちゃうんじゃないでしょうか、ゲッツさん。

「オ・グランジ・アモール」
ゲッツは、名盤「スイート・レイン」で、この曲を再び取り上げています。やっぱりこういうスローの曲では、ゲッツが泣きのフレーズを入れて、盛り上がっちゃいます。その後を受ける、ジョビンのピアノが、なんとも素晴らしい。ジョビンの影響を受けたのか、ピアノソロの後のゲッツは、ぐっと抑えた演奏になってしまうのが、面白いですね。

「ヴイヴォ・ソニャンド」
英語のタイトル「ドリーマー」というのが併記されていますが、英語の歌詞があるのかなぁ。ちょっと聞いたことがありません。ここでも、バックのジョビンのピアノは、ジャズピアノだと思って聴くと摩訶不思議な、演奏ですね。こんなに弾かないピアニストは、マイルスとけんかした時のモンクぐらいでしょうか。

全体を通して、ゲッツのトーンはやっぱり彼ならではのものが有って、何だかんだ言っても、一連のボサノヴァ作品を、他のジャズメンの演奏と一線を画すものにしているんだなぁ、と思います。
text by 《DINO》abotME!
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