ジャズ・ピックアップ
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『Kelly Great』
ウィントン・ケリー『ケリー・グレイト』
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Wynton Kelly  『Kelly Great』 Vee Jay 3004
Recording Data:Aug.12,1959

Personnel :Wynton Kelly(p)
Wayne Shorter(ts)
Lee Morgan(tp)
Paul Chambers(b)
Philly Jo Jones(ds)
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Tunes Side A:
Wrinkles (8:06)
Mama "G"(7:39)
Side B:
June Night (8:20)
What Know (8:00)
Sydney (3:56)
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【解説】

----- まえがき

「静かなるケニー」でトミー・フラナガンのことを思い出していたら、そのころよく聴いていて好きなもう一人のピアニスト、ウィントン・ケリーの話をしないと、なんかバランスが取れないような気がして落ち着かない。

それに、この「ケリー・グレイト」は「静かなるケニー」と同じように、そのころ、ほとんど評価されたり評判になったことのないアルバムだったけど、僕は大好きだったという共通点もあるのです。

でも、こないだCD店にいったら「静かなるケニー」に「これぞ大名盤!!」と店長の推薦が大書してあったので、へえ〜、今では名盤扱いされているんだ、では「ケリー・グレイト」は?。と探してみるとその、店にはアルバムすら見当たらなかった。

何しろ、70年代「これぞ新しい時代のジャズ」などと耳あたりのいい売れ線の音楽を鳴り物入りで持ち上げるジャズ雑誌に裏切られて以来、もう20年もジャズ雑誌のタグイは全くといっていいほど読んでいないので、今何が名盤とされているかなどの状況は全然分からない。名盤か否か?ということにも、それほどの興味もないし・・・。

僕がウィントン・ケリーをはじめて聴いたのは、高校生のころ、街のナショナル電化センターのショールームにあった、ただ一枚のジャズ・アルバム「カインド・オブ・ブルー」の一曲「フレディ・フリーローダ」まだジャズ喫茶などない地方都市のこと、レコード・プレーヤもなかった高校生〜映画「死刑台のエレベーター」でジャズに興味を持ち始めたばかりの〜がジャズをたっぷり聴ける場所はここしかなかったのです。

当時としては驚異的なでかいウーファー付きのHifiステレオ装置のデモンストレーション試聴室に、毎日のように現れてカインド・オブ・ブルーをリクエストする僕に、係りのお姉さんが「何か聴きたいレコードがある?」と声をかけて、ショールームで買ってくれたのが「マイ・フェバリット・シングス」と「コルトレーン・ジャズ」の豪華二枚組。

この「コルトレーン・ジャズ」のピアノがケリーでした。もちろんビル・エバンスの幽玄な響き、や怒涛のような響きを重ねるマッコイ・タイナーもスゴかったけど、ケリーの歯切れのいいタッチはとても親しめて、大好きになりました。

と、いつのまに、こんなことを書き始めてしまっている。まあ、いいや、曲数も少ないことだし、このまま昔話も交えながら気ままに続けてみましょうか。(^_^;;

ああっと、僕の持っているのは古い日本盤のLPで、現在発売されているCDに未発表曲などの追加があるかどうかは知りません。

-----【Kelly Great】のメンバー-----

「ケリー・グレイト」このころもっともノリにノッていたウィントン・ケリーのリーダー・アルバム。

この年(1959年)初頭。ケリーはビルエバンスの後任としてマイルス・クインテットに正メンバーとして参加(4月録音のカインド・オブ・ブルーにビル・エバンスが参加しているのはマイルスが、このアルバムのため特にビルを呼び寄せたため)2月には「ケリー・ブルー」を吹き込み、年末にはコルトレーンの「ジャイアント・ステップス」の「ネイマ」(「コルトレーン・ジャズ」と同セッション)に参加。

ケリーのデビューは意外に古く、51年、ブルー・ノートにピアノ・トリオ演奏(10吋盤)がある。50年代半ばにはディジー・ガレスピーに参加、ロリンズをはじめとして色々なセッション参加58年にはリバーサイドにリーダーアルバムを録音し注目される存在であったとはいえ、この59年はケリーにとっ特別な年だったに違いありません。

特に「ケリー・ブルー」は、表題曲の、いかにもケリーらしく軽快に飛び跳ねる曲調と、当時とても新鮮だったフルートのサウンドのの取り合わせの妙、と多彩なメンバーの好演。それに、3曲あるピアノ・トリオのスリリングでダイナミックな演奏の取り合わせで、とても人気の高いアルバムだった。

でも、ぼくにはこのころのケリーの真骨頂が現れた演奏として、この「ケリー・グレイト」を外すわけにはいかないのです。ぼくにとってのケリーとは、その歯切れのいいタッチや絶妙のスウィング感もありますが、共演メンバーを相手に絶妙の間とタイミングで、時に茶目っ気たっぷり合いの手を入れたりする当意即妙、元気一杯のジャズ・スピリット。マイルス・ディビスがケリーを評して「ケリーは、ライターだ、彼がいなければ煙草が吸えない」といったのもうなずけます。

そんな「発火剤、元気の素」ケリーをたっぷり味わえるのがこの「ケリー・グレイト」。なんせ、フロント・ラインがこれ以上はなかろうと思うくらいのパワフルでシャープな新鋭たち。まだ10代と若いが、既にメッセンジャーズのメンバーとして肩で時代の風を切っていた感のあるリー・モーガンと、当時注目を集めはじめていた新星ウェイン・ショーター。そうです、このアルバムはショーターのデビュー・アルバムでもあるのです、まだショーターはメッセンジャーズには参加する前で、ひょっとしてこのアルバムのセッションでのリーモーガンとの出会いが、メッセンジャーズ参加のきっかけになったのかもしれません。

そういった元気一杯、一騎当千のメンバーをサポートするのが、いわずとしれたマイルスのリズムセクション、ポール・チェンバースとフィリー・ジョー・ジョーンズ。フィリーは当時はマイルスの正メンバーではなかったようですが、後任のジミー・コブ入った後でもマイルスは最も好きなドラマーはフィリーだと公言しており、麻薬常習僻のため演奏旅行をすっぽかすことも多く、やむなく首を切らざるを得なかったということのよう。フィリー・ジョーの、当意即妙、変幻自在のドラム・ワークは、こういう丁々発止のセッションで真価を最大限に発揮します。

とくにケリーとフィリーはその当意即妙さとユーモアなど体質的に共通する部分も多く、この二人の組み合わせは、かっちりしたケリー〜ジミー・コブのコンビと、また違ったワイルドな味わいは格別。録音月日がどうだなど細かいことをいわなければ、当時ジャズを席捲していた2大グループ、マイルスのリズム・セクションとジャズ・メッセンジャーズのフロント・ラインの初対決と考えてもいいでしょう。

1."Wrinkles"

さて、一曲目は開始にふさわしくブルース「リンクルス」。ケリーらしく明るい曲調のFブルースをピアノで提示。リズムセクションもマイルスでの演奏とは違うくつろぎが感じられる。

ソロのトップはリー・モーガンのミュート・プレイ。最初は同じ音程の繰り返しを基本に、ハーフバルブやリップテクニックを駆使しながら徐々に変化と発展を試みるのだが、メッセンジャーズやリーダーアルバムでの演奏と違い、内省的で押さえ気味の演奏はかえって凄みがある。

続くショーターは、何やら単純なフレーズを呪文のように繰り返しながら、やがて大きくな山のようなフレーズに変化させる。従来の縦割りの小節割りやコード変化を無視した うねり、のたうつフレーズは 、これがブルース?と 信じられないほど。こういう、大きくうねるようなソロ構成は、時にソニー・ロリンズが試みていたものではあるが、ロリンズの、歌の延長線上という歌い方とは異質の、別世界の住人、ミュータントが演奏しているかのような不思議なイメージに満ちた演奏である。

奇っ怪なプレイという人もいるかも知れないが、バップとは全く決別した新鮮なイメージに満ちていて、この時点において、前年にアルバム登場したばかりのオーネット・コールマンを別にすれば、やはりバップ的なフレージングを基本にしていたコルトレーンやエリック・ドルフィよりもすでに新しい次元、境地に突入しているとして、ぼくはこのショーターのプレイを断然評価している。

ケリーは、ショーターのプレイの最中、注意深くショーターを支え、ここぞというときに、合いの手を入れたりして不思議な演奏を支えていたのだが、自分のソロは、やはりケリー節。鍵盤の上を転がりまくる切れのいいタッチはそのままだが、ファンキーなフレーズだけに頼ること無く、緊張感のあるフレーズを持続させながら、お得意のブロック、コードによるエンディングに持って行く。

リー・モーガンもケリーも、それなりにいい演奏をしてはいるのだが、このアルバムが、それほどの人気がないとすれば、ショーターの奇怪な演奏の毒気が影響して、リー・モーガンやケリーにいつもの明快なフレーズを気楽に楽しめないせいもあるかもしれない。

2."Mama"G"

「ママ G」なつかしいなぁ、この曲。「ケリー・グレイト」は日本ではすぐには発売されなかったんだけど、シングル盤でこの曲を持っており、繰り返して聴いていたんです。

そのころ、モダンジャズブームの兆しが見えたので日本ビクターでは傘下のレーベルから、代表的な演奏を集めてモダンジャズ20傑と銘打って45回転EPの5枚組を4組ほど発売したんですが、これがさっぱり売れず、しばらくするとバラシて一枚100円のバーゲンセールでよく出回るようになったのに飛びついたのです。大卒の初任給1万円そこそこの時代、一枚2000円のLPは高校生にはおいそれと買える代物ではなく、ましてや輸入盤など、1ドル360円の時代には、高嶺の花どころか地方都市では店でも見たことさえなかった。

しかし、このシングル盤の選曲、あとで考えると凄いものでした、例を挙げてるとアート・ペッパーは70年代に幻の名盤の筆頭株だったタンパ盤から「ベサメ・ムーチョ」。リー・コニッツはサブコンシャス・リーから「サウンド・リー」これらの元になっアルバムは、当時一般では、まず手に入らない貴重なもので、後で上京したとき、これらの曲をよく聴き知っているというだけで、ウルサイ・ジャズマニアの先輩たちに一目置かれました。それまでの15年の歴史を圧縮した内容本位の良心的な企画で、ぼくのジャズの基礎知識の大半はこの一連のシングル盤で形成されたようです。

後に油井正一先生とお話させていただいたとき、選曲の責任者だったことをうかがいましたが「あれは、売れなかったなあ」と苦笑されていました。そのEP盤ではリー・モーガン5重奏団「ママ G」となっており、裏面はウィントン・ケリー5重奏団として、Vee Jayのポールチェンバースのリーダー・アルバム「Go」から「イーズ・イット」。こちらはキャノンボール・アダレイ、とフレディ・ハバードの初吹き込みを聴くことができ、ジャケットには「ケリー・グレイト」のケリーの横顔の写真がそのまま使われていました。

「ママ G」はちょっと聴きには2菅のユニゾンを基本としたバップの曲のようだけど、ショーター独特の節回しのオリジナルで、マイルスの典雅なモードとは違ったモードのもう一つの形として受け取っていたように思います。

この曲でも、ショーターの奇怪なプレイが際立っています、アウトした音のロング・トーンや「ゲベ、ゲベッ」っと聞こえる極端に音程を飛躍させ音を歪めた短いフレーズ。猛烈に早く細かい音の塊との対比、期待を裏切りまくる異常なタイム感は、後に60年代のフリーやモーダルな演奏ではよく耳にするようになりましたが、これはその先駈けで、僕には応えられないくらい面白かった。

ドラムとのフォア・バースではリーモーガンとショーターの火の出るようなフレーズの応酬、お互いに真似あったり、裏をかいたりするのが、よく分かり、何度聴いても面白い。ドラム・ソロの後リズム・セクションによる短いインター・ルードを挟んでテーマに・・・

この曲を聴くと、小遣いをはたいて買った安物のレコードプレーヤーをつないだ5球スーパー・ラジオに耳を擦り付け、興奮してなんども繰り返し聴いていた高校時代のことを思い出してしまいます。

-----60年代のピアノトリオ-----

60年代に聴いた頃と違って、70年代以降ピアノというと、いわゆる「趣味の良いピアノ・トリオ」演奏が愛好されている傾向が強いように思います。

僕も、それはそれで好きなんですが、50年代中頃から60年代はじめ頃にかけて若いメンバーをピアニストが音楽のコンセプトをリードした演奏が活発で、熱気を持ったコンボ演奏がよくありました。そういうジャズに愛着や親しみを感じてしまうんですね。なんだか一緒に演奏に参加しているような気分になれる。

まだモードやフリーに突入する前で、和声を自由に駆使したピアニストの重要性や発言権比率は高かった時代と思いますが、ウィントン・ケリーの場合は、理論的というよりノリとジャズ・スピリット一発に賭けていたような部分がメンバーを束縛せず、共演メンバーのイマージネーションをプッシュしていたようなところがあったように思います。まさにライター(発火剤)ですね。

といってもケリーはコルトレーンのアルバム、ジャイアント・ステップの「ネイマ」のような新しいハーモニー感覚も実践していたわけで、そういう懐の広さ、幅の広さも見逃せないと思います。

3."June Night"

June Night(六月の夜)、いわゆるスタンダード・ナンバー。僕は他の演奏は知りませんが、6月というと向こうではいい季節らしいし、恋の予感のする夜のこと女性の気持ちをしっとりと歌った恋歌だろう、などど想像してしまいます。

60年代はじめ頃有名な海賊版の曲集1001(センイチ=よき時代で海賊版楽譜なのに銀座の日本楽器でも売っていた)のなかに、この曲を見つけ、おお「ケリー・グレイト」でリー・モーガンがカッコよくテーマをとっていた曲だ!とポツポツと弾いてみたんですが、楽譜上では白丸(2分音符)ばかりが平板に並んでいて、特に目立った特徴的な節回しも見当たらず、なんだかしまらない曲だなあと、その時はメモランダム(自分の曲集)に書き移すこともしせんでした。

それだけに、このリー・モーガンのミュートプレイの溌剌として生きいきして、まるで別の曲のように生き返った表現には、やはりジャズは演奏者次第だと、改めて感服してしまいます。テーマの終わり、リズムがブレイクするときの、リーの突っ込み蹴飛ばすような鋭い変拍子アクセントは、いつ聴いてもスリリング。

フィリー・ジョーはイントロから、ブラシでマーチのようなアクセントを作ってユーモアを示し、テーマではブラシで遊びまくり、 ケリーの間を生かしたバッキングと協調して、リーを盛り立てます、アドリブに入ってスティックに持ち替えてから、アドリブ奏者によって臨機応変の楽しいドラミングは、聴いていて思わずニヤリとしてしまう。

ショーターもスタンダード曲のせいかリリカルな雰囲気さえみせている。ケリーも気持ちよく、明快なタッチでフレーズを転がしながら、緻密で快調なプレイを見せてくれる。最後のテーマはポール・チェンバースが楽しげに、ベースで歌いまくる。

力で押しまくるとか、決定的名演というタイプの演奏ではありませんが若さ溢れ、想像力豊かで、創造性に満ち、しかも生身の人間の血通った、生き生きしたジャズがここにあります。僕はリー・モーガンではこの演奏と、エクスプービデントの激情的なバラード演奏「イージー・リビング」が、ことに好きです。いいなあ、もう一回聴こうっと(^_^)

-----ケリーのほかののことなど-----

ケリーは色々なセッションに参加していますがリーダーアルバムは少なく、晩年にはいくつかトリオ演奏もあるようですが、何か元気がない。ぼくは、やはり50年代終わり60年代はじめの頃のコンボ演奏が好きです。

カーネギー・ホールのマイルス・ディビスでの「ノー・ブルース」はケリーの一世一代の頑張りを感じます。ソロが終わって、低音部をガーンと叩いて精根尽き果てたという感じがとても好きです。

あとケリーでよく聴くのはリバーサイドの「Wynton Kelly Piano」のB面、ドラムレス、ギター入りのピアノトリオ演奏です、ジンプルな編成のせいか、粘りながら跳ねるケリーならではのリズム感〜ノリが存分に楽しめるからです(^_^;リバーサイドといえばブルー・ミッチェル(tp)の「Blue's Mood」の「I'll Close My Eyes」の転がりまくるケリーも爽快。

4."What Know"

WhatとKnow、両方とも良く知っている単語のはずなんだけど、この二つを並べて、さて、どういう意味なんだろうと考えると、ばくなんかハタと困ってしまいます。

それはさておき、What Knowはリー・モーガンの曲、終わりのほうにラテン系の3連リズム・パターンがあるけど、これもブルース。

勇壮だが、ちょっと中途半端の感じもするテーマが終わるとこのアルバムでは一番まとも、というかハード・バップ風の曲だけに、リー・モーガンはメッセンジャーズでの演奏を彷彿とさせる元気なプレイ。ショーターの2から3コーラス目付近で見せるアウトしたフレーズ、敢えていうなら「音痴なヨイトマケ風のフレーズ」が、いかにもこの頃のショーターらしい、これを「おどけて」演奏するのではなく、感情を押し殺してドスの効いた演奏をするのが僕にとってショーターの魅力。

セカンド・リフを経てケリーのソロ、一寸短くて物足りない、お得意のブルースなんだから、もう一寸頑張って欲しい、ショーターの毒気にあてられているのだろうか。おなじみチェンバースのアルコ(弓弾き)ソロ経てリフ+ドラム後テーマへ。

う〜ん、惜しい、ケリーがいつもの調子の豪快な演奏を繰り広げていたらなぁ。ケリーは、誰かに圧倒されたりすると縮こまって本領を発揮しないが、ノッたときは凄いという気分屋の部分があるけど、いつもいつもノッてくれというのも酷な気がする、そういう開放的で陽気な性格のケリーがリーダーだからこそ、登場したばかりの全くの新人ショーターが、これほど自由で野放図な演奏をできたのだとも思うし・・

5."Sydney"

リー・モーガンのミュートにショータのテナーが絡むショーター作編曲 の器楽バラード曲。ショーターはメッセンジャーズやマイルスでの作編曲には定評があるが、このシドニーは、まだそれほどショーターのオリジナリティは強く出ておらず、リー・モーガンのミュートのリードの印象が強いせいかメッセンジャーズが音楽を担当したフランス映画「殺られる」でのベニー・ゴルソンのアレンジに近いサウンド・スタイル。

テーマが終わると、管楽器のアドリブはなく、ケリーがリリカルなピアノソロを聴かせる、ケリーのカラッとしてジメジメしたところのないバラード演奏は、他のピアニストにはない独特のリリシズムがある。しかし、ここでの演奏は、やはり一癖あるショーターのテーマ・アレンジと、ブレンドしていない感もあり、曲全体としての表現構成も今一つ。

ショーターの作編曲は、この3ヶ月後に録音された「イントロデューシング(VeeJay-1959/11)」でその個性を発揮し始めていると思う。「イントロデューシング」はドラムがフィリー・ジョーからジミー・コブに替わったほかは「ケリー・グレイト」と同じメンバーによる演奏で、ショーターの初リーダーアルバムであり、日本盤はすぐに〜「ケリー・グレイト」よりはかなり早く「ブラック・ダイヤモンド」というタイトルに変えて発売されていた。

しかし、当時はその中に収録されている「マック・ザ・ナイフ」が、少し前に発売されて評判だったロリンズの「モリタート」と同じテナー演奏であることから、話題は両者の比較ばかり。これでは流石にショーターに分が悪かった。

たしかに「イントロデューシング」は「ケリー・グレイト」と比べても生硬な印象があります。はじめてのリーダーアルバムでショーターも緊張したのか、「ケリー・グレイト」のような怪奇な演奏では売れないと思ったレコード会社の差し金か、とって付けたような「マック・ザ・ナイフ」のトラックからもそんな気もします。

前にも言ったように「ケリー・グレイト」でデビュー演奏にも関わらずショーターが延びのびと存分に個性を発揮しているのはケリーがリーダーのセッションであると思い、そういうケリーをもっと評価しても良いのじゃないかとも思います。

ともあれ、僕はヴィー・ジェイのショーターの参加したアルバムはどれも好きで、押し出しのいい一連のブルーノートのアルバムより好きなくらい。先日も、メッセンジャーズで活躍していたころ、ブレーキーやシダー・ウォルトンらと吹き込んだワンホーンのアルバム「セカンド・ジェネシス(VeeJay-1960/10)」のCD(多分BOOTLEG Charly-LeJazzCD9)を見つけ大喜びで買ったばかり。

メッセンジャーズでのハードなスタイルとは打って変わって、映画音楽の主題歌なんかを瞑想的に吹いているんだけど、ネチネチとテーマにこだわる音の間に見え隠れする呪術的なイメージが、後のネフェルティティを暗示しているようで、僕にはとても面白く興味深いのですが、聴きようによればショボくれた演奏で、ブルーノートの堂々としたショーターをお好きな方はがっかりするでしょう。

あのころ「ショーターがマイルスに入団したらなあ」というのが僕の持論でもあったのだけど、案外早く実現しましたね。でも、今のファンにはショーターはウェザーリポートのテナーという印象が強いよう。これも時代だなぁ。

-----【Kelly Great】おわりに-----

どうもショーターの話題が多くなって、肝心のケリーは二の次になってしまった。その頃、ジャズ・ピアノの御三家といわれたレッド・ガーランド、トミー・フラナガン、ウィントン・ケリーは今も人気があり、ピアノを弾く人のアイドルでもあったけど、そのうちガーランドやフラナガンをコピーする人は多かったが、我こそはケリーを追っかけるという人は見たことがない。

音の使い方が、他の2人より特に難しいというわけでもなく、むしろシンプルといっていいくらい、それでも、一聴してすぐ、ケリーとわかる個性と魅力に溢れたピアニスト、部分的にフレーズを真似るような小細工だけではサマになり難いのかもしれない。特に、あの歯切れのいいタッチ、スイング感は絶妙で、ちょっと真似したくらいで出来るような代物でもなさそう。

What Knowで、得意のブルースなので、もう少し頑張ってくれれば、といったけど、よく考えるとWhat Knowはマイナー・ブルース。ジャマイカ出身のケリーは、あくまで陽性のジャズ・スピリットの持ち主、マイナー・ブルースは得意でないのかもしれない。

幸いなことに、は1964年世界ジャズ祭で来日したチェンバース、コブのケリー・トリオの生演奏を聴く幸運に恵まれました。ダーク・スーツに身を固め、ノッて来ると、ネクタイはひん曲がり、落ちそうになる帽子に構わず演奏を続けるケリー。チェンバースとコブの打ち出す、鋼(ハガネ)のようなビート感は、今でも忘れられません。
text by μ abotME!
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