JAZZ PICKUP!
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Keith Jarrett『My Song』
キース・ジャレット『マイ・ソング』
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Keith Jarrett  『My Song』
                       ECM 1115
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Recording Data:November, 1977 Talent Studios, Oslo
Personnel :
Keith Jarrett(piano, percussion)
Jan Garbarek(tenor and soprano saxophones)
Palle Danielsson(bass)
Jon Christensen(drums)
Engineer :Jan Erik Kongshaug
Cover Photo :Keith Jarrett
Photo Roberto Masotti
Layout :B. Wojirsch
Produced by :Manfred Eicher
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Tunes Side A:
Questar(9:10)
My Song(6:09)
Tabarka(9:11)

Side B:
Country(5:00)
Mandala(8:17)
The Journey Home(10:33)

Compositions by Keith Jarrett
Published by Cavelight Music, BMI/AMRA
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【解説】

このPickUp!会議室の過去ログを眺めてみると、ハービー・ハンコックやチック・コリアは既に取り上げられているのですが、同世代に属すること、そしていずれもマイルス・デイビスのグループの出身であることから、かつてはその2人と比較されることも多かったキース・ジャレットは、今まで登場していませんでした。そこで今回は、彼の作品を取り上げてみたいと思います。

さて、それではキース・ジャレットの代表作として挙げられるものには、どういうものがあるでしょう? スイングジャーナルのジャズディスク大賞に選ばれた『ソロ・コンサート』や『ケルン・コンサート』といったソロピアノの諸作を挙げる人も多いでしょうし、彼が1983年以来ずっと活動の中心に置いている、所謂「スタンダーズ」の作品(これは代表作を挙げるのが実に難しい)を選ぶ人も多いことと思います。その中で、かつてその聴き易さからリスナーから非常に愛された作品でありながら、ここのところいささか影の薄い存在になっている感のある、『マイ・ソング』が今回のお題です。

-----ヨーロピアン・カルテット-----

キースが70年代に吹き込みを行っていたグループには、アメリカン・カルテットと一般的に呼ばれているものと、ヨーロピアン・カルテットと呼ばれているものがあったことは、ご記憶の方も多いでしょう。このうち、アメリカン・カルテットの方は主としてインパルスからリリースが行われ、ヨーロピアン・カルテットの方はECMからリリースされています。まずは双方のメンバーを比較してみましょう。

アメリカン・カルテット--ヨーロピアン・カルテット
キース・ジャレット(p)--- 同左(当たり前^^;)
デューイ・レッドマン(reeds)-ヤン・ガルバレク(reeds)
チャーリー・ヘイデン(b)---パレ・ダニエルソン(b)
ポール・モチアン(ds)---ヨン・クリステンセン(ds)
パーカッションの人^^;

アメリカン・カルテットの方は、パートタイムで参加するパーカッショニストのギレルミ・フランコがいるので、ときどきはクインテットになります。ダニー・ジョンソンという人が参加することもあります。

この2つを比較しますと、どちらかと言えば主流派ジャズ的なアメリカン・カルテットに対する、よりフォーク・ミュージック的な香りを漂わせるヨーロピアン・カルテットとなるでしょうか。また、その当時キースが展開していたソロピアノの曲調により近かったのが、この北欧のミュージシャンたちと共演しているものと言えるかも知れません(これに関しては異論もかなり出てくるかも^^;)

-----70年代のキース-----

70年代、すなわち今回取り上げている作品である『マイ・ソング』が吹き込まれた時代は、キースがもっとも意欲的に吹き込みを行っていた頃であることは間違いないでしょう。彼はこの10年間に、以下のようなアルバムを録音しています(リーダー作のみ)。

 米カルテット欧カルテットそれ以外
71年  Ruta and Daitya
 The Mourning of a Star  
 Birth  
 El Juicio  
   Facing You
72年Expectations(*1)  
 NDR Jazz Workshop(*2)  
73年  In the Light
 Fort Yawuh  
 Impulse Artists on Tour  
   Solo Concerts
 Treasure Island  
74年 NDR Jazz Workshop '74(*3) 
  Belonging(*4) 
   Luminessence
 Death and Flower  
 Back Hand  
75年  The Koeln Concert
 Mysteries  
 Shades  
   Arbour Zena
76年The Survivors' Suite  
   Staircase
 Eyes of the Heart  
   Hymns/Spheres
 Byablue  
   Sun Bear Concerts
77年Bop-Be  
   Vermont Solo
  → My Song ← 
79年 Personal Mountains 
  Nude Ants 
80年  Gurdjieff Sacred Hymns
   The Celestial Hawk
   Invocations -The Moss and the Flame

*1)ブラスやストリングスを伴った編成の曲も含む、2枚組アルバム。カルテット編成の曲は数曲
*2)ピアノトリオ編成
*3)ピアノトリオ編成
*4)初出時はガルバレクがリーダーという名義?だったものが、再発ではキースのリーダー作という扱いに。

こうやって並べてみると、やはり中心に置かれていたのはアメリカン・カルテットでの活動であることは間違いないようですが、さらにこのカルテットの未発表音源がこの2〜3年の間にかなり日の目を見ていることもあり、相対的にヨーロピアン・カルテットが「忘れられた」存在になってきているのは、仕方がないのかも知れません。

ところでアメリカン・カルテットでの吹き込みって、結構玉石混淆なんですよね。それに僕の独断と偏見で言えば、ヨーロピアン・カルテットが好きな人が真のキース好きだということになるのですが^^;。岩浪洋三先生も「サンシャイン・ソング」("Nude Ants"(ECM1171/72)の邦題ですね^^;)のライナーノーツで「ぼくはさいきん、キースがアメリカのジャズマンということさえ、うっかり忘れるところであった。ECMというドイツのレーベルとの契約が長いし、インパルスと離れた上に、インパルス後期のものよりもECM盤の方が彼の音楽が鮮明に出ているからだ」なんてことを書いています(^^)。彼はキースの音楽の原点はチャールス・ロイド・カルテットの中にあると論じていますが、やはりフォーク的な部分こそが彼の音楽の肝なのではないかと僕も感じている次第です。

ではこの所謂ビロンギング・カルテットは本当に長く記憶に残るに値しないものなのか。次の発言から、1曲ごとにじっくりと聴いてみたいと思います。

1."Quester"
アルバムの最初に入っている曲は、いかにもという感じのフォーク・ジャズ調の曲です。スイングしないヨン・クリステンセンのチーチキ・チーチキというビートに乗せて、ガルバレクがソット・ヴォーチェでぬめぬめとしたメロディ(笑)を吹き出します。例えは変ですが、この曲なんかは後年のスタンダーズで取り上げても、違和感がないかも知れませんね。"Standards, Vol.2"(ECM1289)の冒頭に収録されている"So Tender"という曲との類似性が感じられる、ような気がします。

その意味では、ピーコックに比べるとベースのパレ・ダニエルソンが、いささか芸がないようにも感じられます。もちろん、パレ・ダニエルソンのベースも朴訥とした感じが出ていて悪くないのですが、表現の多彩さという点でピーコックに軍配を挙げたくなってしまいます。

テーマの提示に続いては最初はピアノ、続いてテナーがソロを取るわけですが、かなり力の入ったソロを展開しているものの、全体的なムードはあくまでも穏やかな表情を保っています。この曲なんかはライブでどのように演奏されたか、聴いてみたかった気はしますですね(このグループはこの2年後のツアーから2種類のライブ盤を残していますが、そのいずれにもこの曲は収録されていません)。

2."My Song"
2曲目に収録されているのは、とある方がご自分の結婚式で参列者入場の時にかけたという"My Song"です^^;。

いやぁ、このアルバムが硬派のジャズファンの皆さんにナメられる、もっとも大きな原因がこの曲ではないかと思われます(苦笑)。かく言う自分も、最初に聴いたときにはリチャード・クレイダーマンかと思いましたもん^^;。この曲でソプラノを吹くガルバレクの音色、そしてニュアンスに馴染めるかどうかが、このアルバムが好きになれるかどうかの境目と言ってもいいかも知れませんね。

この曲ではドラムはかなり押さえて演奏しています。バックでかすかに聞こえる程度と言ってよく、時折パーカッション(キースがオーバーダブしたもの?)がビートを刻んでいる方が、全体の雰囲気を規定していると言えます。

この曲で僕が好きなところは、始まってから3分過ぎぐらいのところでサイドメンが演奏を止めて、キースがソロで弾き始めるところ(^^)。それまで軽く流して聴いていても、そこではっと耳をそばだてずにいられない、そんな瞬間であるように思います。そして、再びガルバレク以下のサイドメンが戻ってくるところも、同じように好きですね。

全体としては、ずっと美しいテーマを繰り返し、繰り返し演奏しているように聞こえます。ソロも軽いフェイクにとどめているのが、こういう曲ではかえって良いと言えるでしょうか。

3."Tabarka"
A面最後の曲は、これまたささやくようにガルバレクのソプラノがメロディを吹き出して始まる曲です。しかし、キースのソロは始まった瞬間から、ささやくようにも何もなくて、いきなり入り込んでます^^;。そしてそれに呼応するように、続いてソロを取るガルバレクも暗い情念を感じさせるような、陰影のある響きで聴き手に迫ってきます。

難しいことは何一つ吹いていないのだけれども、それだけに彼のサックスの表現力の幅が非常に広いことに、驚かされることになるわけです。キースももちろん、ガルバレクのソロの間おとなしく伴奏しているわけもなく、叩きつけるように鍵盤を連打しているところが、特に印象的。その後テーマに戻るのですが、これまで何事もなかったかのように、あっさりと終わります。

このいわゆる一発ものの曲で、演奏者たちはこのアルバム中もっとも力の入った演奏を繰り広げていると言って構わないと思いますが、不思議とアルバム全体を聴き通したときに、印象が比較的薄い曲かも知れません。曲が地味だからでしょうか。演奏の入り込み具合よりも曲調で印象が定まる辺りに、このアルバムの秘密があるのかも知れません。

-----ジャケット、金釘文字-----

前に書いたように、僕はLPとCDの両方でこのアルバムを所有しているのですが、大昔に買ったLPはトリオレコードからリリースされた日本盤、CDの方はBMGのディストリビューションで出ているアメリカ盤です。いまジャケットをしげしげと眺めてみて初めて知ったのですが、BMGってBertelsmann Music Groupの略だったのですね。BMGというのはアメリカ資本だとず〜っと思っていたんですが(Bertelsmannというのは欧州有数のメディアグループです)。

話を戻して、このアルバムのジャケットデザインに関してです。ジャケットを飾るのは、最初のデータ一覧にも触れておきましたがキース自身が取った、2人の小さな女の子を撮った写真です。このアルバムがリリースされてから20年ぐらいが経過したわけですが、この子達は今どこで何をしているんでしょうね? そんなことを考えてみたりします。

で、LPで言えば裏ジャケに使われている写真。カルテットのメンバー全員が戸外で写真に収められているのですが(実はパレ・ダニエルソンとヨン・クリステンセンは、僕はどっちがどっちだか分かってません^^;)、それはCDではケースの裏側じゃなくて、ケースを開けてよいしょっと取り出す3つ折りぐらいの紙(分かりますよね?)のところで、いわゆるジャケットの裏側に使われています。ところが、ここには4人を移した写真だけがあって、あのECMファンにはお馴染みの金釘文字が書かれていないんですよね。そのため、グレー地のバックに白黒写真が真ん中に1枚あしらわれているだけの、かなり寂しいものになってしまっているのが、非常に残念なところ。あの文字はデザインを担当しているバーバラ・ヴォユルシュが書いているものだと思うのですが、あそこまで含めてデザインなのに、この米国盤ではすっかり台無しになってしまっているのが悲しいです。国内盤やドイツ盤のCDでも、デザインはこれと同じなのでしょうか?

4."Country"
さてB面です。この曲は美しいです。終わり。と、そのぐらい簡単に終わらせてしまうほど、ああだこうだ言うのが恥ずかしくなるほどの素晴らしさです。。大袈裟な言い方をするとすれば、ECMというレーベルを代表するような。例えばラルフ・タウナーの"Icarus"やエグベルト・ジスモンチの"Frevo"と同じぐらいの名曲だと、言い切ってしまいましょう。ちなみに僕も大学時代に学園祭で、この曲を演奏したことがあったりします(^^ゞ。

忘れがたい名曲の常として、曲の構成としては非常にシンプルなものです。それ自体がすでに見事なキースのイントロによって導き出されるテーマは、各16小節のAABB形式によるもので、それに続いてパレ・ダニエルソンがAAの部分でソロをとり、続いてBの部分でキースのソロ。そしてもう次のBでは言わばサビ帰りで、ガルバレクがテーマを吹き始めてしまうのです。さらにAAでテーマの再提示があり、そこで曲は静かに終わります。これだけ。全部合わせてわずか2コーラス半で、終わってしまいます。

この曲の白眉もまた、キースのソロの部分だと言っていいでしょう。イントロもそうですが、途中の僅か16小節の間に語り尽くしたと言いましょうか、無駄な音符が一つとしてない、キースの芸術の結晶をその16小節に聴くことが出来ると、僕は考えています。未聴の方は、ぜひ。

-----「無国籍民族音楽」-----

よく僕などはECMで聴かれるジャズじゃない^^;音楽のうちいくつかのものを、「無国籍民族音楽」と呼んでいるのですが、それは無国籍というだけあって、本当の土の香りは伝わってこない。何故ならそれはある種根無し草的な音楽であるわけで、必然的に(言葉遊びでいえば)土との接点がない^^;。で、この方向性の元祖こそ、キースであると思います。1968年に録音した"Restration Ruin"にはECMの創設は間に合わなかった^^;わけですが、マンフレート・アイヒャーという人はああいうのがやりたくて仕方がなかったのだと思います。そして、キース本人もそういう要素を持っているわけで、その彼が北欧のミュージシャンと共演したことで、ああいう形の音楽として表れた、というところでしょうか。実際、ここまで「『自然回帰を標榜』する音楽」なのは、全部で4種あるアルバムの中でもこれだけなんです。

-----1974年の"Country"と"My Song"-----

先に触れたように、このアルバムは1977年の吹き込み(リリースは翌年)ですが、それに先だって"Country"と"My Song"の2曲はライブで演奏されていたようです。

記録によれば1974年4月14日NYでの録音ということになっていますが、リー・コニッツ、チェット・ベイカー、キース・ジャレット、チャーリー・ヘイデン、ビーヴァー・ハリス(この人はドラム)の5人で演奏したライブの模様を、海賊盤で聴くことが出来ます。LP時代に入手が困難と言われていたもので、僕はこれをCD化されたHISTORICAL MASTERSというシリーズ(2000枚中の何枚目とか、ジャケットに書いてあるやつです)の一つとして入手しました。確かミュンヘンのレコード屋で発見したんだったかなぁ?

で、話を戻しますと、この中で5人で揃って演奏している曲のほかに、キースのソロで上記の2曲が演奏されているというわけです。ここで聴けるものは、何というかもっとラフなフィーリングで演奏されたものです。今回、この会議室で取り上げているアルバムでの、本当に繊細な演奏とは、少し肌合いが違う。

ヨーロピアン・カルテットのメンバーたちとの共演ということで、一つの化学反応としてああいう、ある種キレイキレイな演奏が生まれたのだとすれば、この海賊盤で聴くことが出来るフィーリングが、むしろ原型なのかも知れません。ちなみに、1974年4月14日というのはヨーロピアン・カルテットの第1作となった"Belonging"(ECM1050)の録音の僅か10日前です。

そのほかに、"Country"の別吹き込みとしては、"Vermont Solo"という作品(ビデオのみ)でアンコールとして演奏されているようです。こちらは1977年8月26日の録音で、"My Song"(ECM1115)の吹き込みの約3か月前ですが、僕は未聴です。

5."Mandala"
いろいろと使い道のある?このアルバムに吹き込まれた音楽ですが、この曲だけは結婚式では使わない方がいいだろう^^;と思われるのが、このB面2曲目の"Mandala"です。思うに、キース・ジャレットがクロワッサンほかの女性雑誌などで、好きなアーティストの人気投票で上位にランクされたほどの^^;人気の頂点にあった頃、この曲に泣かされた素敵なお姉さんも多かったことでしょう(苦笑)。

シチュエーション的にはパット・メセニーが、自分のグループのコンサートで、それ以外ずっと爽やかな^^;音楽を演奏しておきながら、1曲だけはフリーがかった曲を演奏せずにいられない、あれと比較したくなってしまいます。聴衆の啓蒙のため?、それとも単に「こういう曲」も演奏したかったから?

CDでこのアルバムを所有している方の中には、この曲は飛ばして聴く方もかなりいらっしゃるかも知れませんが、改めて聴き返してみると、ある方のご指摘のように「情念でドロドロではなく、互いに別世界にいるまま、交流し合っている」という印象を僕も持ちました。各自の弾いている音数は非常に多いのですが、決して「熱い演奏」ではなく、クールな感じがします。「互いに別世界にいる」フリーとしては、かつてジャコ・パストリアスが自分の弾いたベースラインだけを各ソロイストに聴かせて、全く別々に録音を行うことで集団collective improvisationを鮮やかに聴かせてみせたことがありましたが、ちょっとそれを思い出しました。もちろん、この4人はそういう手法は採っていないと思いますが。

6."The Journey Home"
アルバムの最後を飾る堂々たる“組曲”です。トリオレコード当時の日本盤LPでは、この曲に「ふるさと」という邦題がついていましたが、見れば分かるとおり「ふるさとへ帰る旅」がテーマで、そこまで説明しないとこの曲が持つ甘酸っぱさというのかな、それが表現できないような気はします。その意味で、この曲は見事な描写音楽だと言っていいかも知れません。そう言えば、メセニーにも"Last Train Home"という曲がありましたが、それも題材としては同じなんでしょう。

“組曲”と言うからには、この曲は複数のパートから成るわけで、それは以下のようなものです。

(1)非常にゆっくりな3拍子のバラード。但しほとんどルバートなので、拍子が無いようにも聞こえる^^;。ガルバレクがテーマを吹くのに乗って、キースが何かに憑かれたようにソロを弾く姿が印象的。
(2)一転して軽快な4拍子になって、この部分のテーマの提示後、キースとガルバレクがソロを取る。サックス奏者にとってはちょっとシャープ(#)が沢山ある調なので^^;、(ガルバレクほどの名手にしては信じられないほど)ソロがしんどそうです(^^ゞ。何か、非常にぎこちなく、一度これはミストーンという箇所もあったりします。そのためか、キースがあっさりと助け船^^;を出してあげて、再びテーマに戻るという感じ。
(3)ブリッジの4拍子の部分を経て再び3拍子になります。ここではソロは無し。
(4)3拍子のロッカバラード、というのも変な表現ですが^^;、そういった趣となります。ここでもキースとガルバレクのソロが聴けますが、どちらも非常に素晴らしい。ガルバレクのソロのおしまいのところで、テーマの最後の部分に回帰して、静かに終わります。

(1)の部分が遠くにありて故郷を想っているところ、そして続く(2)が故郷へ向かう旅なのかな。この軽快なフィーリングは、道もすごく空いているに違いない^^;。う〜ん、(3)は何だろう。途中でちょっとトラブっているところかな?(笑) それで(4)になって、故郷に到着してゆったりした気分になっている、という感じに僕には聴けます。特に10分過ぎ辺りからの雰囲気は、「おやすみ」というミュージシャンからのメッセージであるように思えてなりません。そして、これはアルバム全体を考えても、本当に素晴らしいコーダだと言ってもいいでしょう。この後に何か音が続く、ということは到底考えられない。仮に将来、どれかの曲の別テイクを入れて再発売しようなんて話が出たとしても、最後に"Mandala"の別テイクが収録されたりしたら、絶対に許せないというものです(苦笑)。

さて、皆さんはこの曲をどういう風にお聴きになりますか?

-----キースの共演者たち(ベースとドラム)-----

僕の場合、どうしてアメリカン・カルテットがヨーロピアン・カルテットに比べた場合の愛着の度合いが低いかというというと、究極的にはアメリカン・カルテットの方は主としてインパルスからリリースされているからだったりします(笑)。贔屓目からか、アメリカン・カルテットではECMから出た2作品(「残氓」と「心の瞳」)が、圧倒的に素晴らしいと思っています(^^)。

パレ・ダニエルソンとヨン・クリステンセンのことは、あまり評価されていないようですね。実は僕もパレ・ダニエルソンって、特にどうということのないベーシストだとは思っています(^^ゞ。ヨン・クリステンセンは大好きですけど、確かにこのキースのカルテットでは本領を発揮しているとは、言い難い感じはありますよね。この人はもっと4ビートをがんがんにやる方が上手かったりすると、僕は思ってるんですが。うぅ、どうしてヴィトウスの2枚目は廃盤なんだ(;_;)。で、歴代のキースの共演してきたリズム隊を考えると、
セシル・マクビー  =ジャック・ディジョネット
ロン・マックルーア =ジャック・ディジョネット
チャーリー・ヘイデン=ポール・モチアン
パレ・ダニエルソン =ヨン・クリステンセン
ゲイリー・ピーコック=ジャック・ディジョネット

なんて人たちが並ぶわけで、その中に入ると確かにヨーロピアン・カルテットのユニットは、あまり強力な方には属さないかも知れませんね。

-----これでおしまい^^;-----

ここのところ、朝4時頃に起きて、その日に書く曲をCDプレイヤーのプログラム機能を使って、ひたすら繰り返しかけながらパソコンに向かっていたのですが、そうすると日替わりで一日その曲を鼻歌で歌っていることになる^^;というわけで、なかなか貴重な体験^^;ナニガダ でした。
text by TAKEabotME!
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