ジャズ・ピックアップ
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『Night Dreamer』
ウェイン・ショーター『ナイト・ドリーマー』
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Wayne Shorter 『Night Dreamer』  BlueNote ST-84173
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Personnel :Wayne Shorter (tenor sax)
       Lee Morgan (trumpet)
       McCOY Tyner (piano)
       Reginald Workman (bass)
       Elvin Jones (drums)
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Tunes Side A:
1.Night Dreamer(Wayne Shorter)
2.Oriental Folk Song (Arr./W.Shorter)
3.Virgo(Wayne Shorter)

Tunes Side B:
1.Black Nile (Wayne Shorter)
2.Charcoal Blues (Wayne Shorter)
3.Armagedon(Wayne Shorter)
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【解説】
よく百枚のアルバムを一度聴くということと、一枚のアルバムを百回聴くことを比べて話しをしたりしますが、実際のところはっきりと百回以上聴いたと断言出来るものはそうは多くは無いのじゃないかと思うのですが、今回取り上げるウェイン・ショーターの「Night Dreamer」ははっきりと百回以上聴いたと断言出来るアルバムのひとつです。

といいましてもそれはこの30年間の間ということなんですが、年に5回でも150回は聴いたことになりますね。というのは30年前に始めてこのアルバムに接した時の衝撃というものがその後何年経とうとちっとも色褪せないで、今もこうしてCDで聴いてみて、やはり初めて聴いた時のようにボクを魅了してくれるからなんです。

もっと正確に言いますとこのアルバムと「Speak No Evil」を交互に聴き続けたというのが本当のところなんですが、この2枚のアルバムがボクに与えた印象というのはとても大きく、メンバーが違うにも関わらずある種の同一なフィーリングを与えてくれました。もちろんそういった部分こそがウェイン・ショーターという人の音楽であると言えると思うのですが、それは彼の、従来からの奏法とは一味違うラフなブローでありながらも繊細であるという、まるで肉声そのものといったテナーの音色や歌い方が大きく影響していると思います。

実は今回取り上げるアルバムを上記の「Speak No Evil」にしようか、それとも「Night Dreamer」にしようか迷ったのですが、あいにくCDではこの「Night Dreamer」しか持っていないので、もう一度一曲ずつ聴き直しをしながら感想を書いていくのにはこちらにせざるを得ませんでした。いや、しかしこのアルバムタイトルが表すようにボクはこのアルバムを聴きながら何回夢の世界に陥ってしまったか分かりません。数え切れないほどですし、そういう意味では「Night Dreamer」でよかったとも思っています。
このドリーミーなショーター・マジックをしばしご一緒しましょう。

1. "Night Dreamer"

さていきなり1曲目がいきなりアルバムタイトル曲でもある”Night Dreamer”です。いかにもマッコイといった感じの幻想的なイントロに続いてこの独創的なワルツ曲が流れ出します。ワルツといっても6拍子といった雰囲気で、意外な感じもするかもしれませんが、ベースのレジー・ワークマンのラインがモダンでアグッレシブな雰囲気の演出に大いに貢献していると言えそうです。

ワルツにしろ6拍子にしろ、案外と定型的なリズムパターンに陥りやすいものだと思うのですが、レジーのベースでずいぶんとバンド全体のリズムの印象が変わってきているんじゃないでしょうか。

ソロはショーターから始まります。まず音色に驚きます。つまりこれは従来だと良くトレーニングされたという種類の音色じゃないんですよね。いくぶんオーバーブローに近い。しかしそうした音色でもフリー・ジャズによく見られるような「叫び」といった感じではない。あくまで彼の音楽を歌っている、あるいは話しているといったフィーリングに近いのですね。仮にこれがもし全編とも彼の「叫び」といった内容であったならば、これほどにはボクは惹かれなかったと思うです。特に強弱といった緩急のダイナミズム。途中一箇所、指のもたった部分がありますが、それが失敗とかミスとかにならず、むしろそれゆえにあたかも声で話しているかのようなフィーリングを受けます。

この短いソロの後半では、いかにも彼らしい雰囲気の部分が出てきますが、「黒々としたモーダルなフィーリング」とでも言えばいいのでしょうか。

続くソロはリー・モーガンのスパッと切れるような音色で明快なフレージングでのものとなります。この曲は8+8(4+4)=16といった短いものなのですが、モーガンはこれをどうも変形ブルースとして歌っているように思います。先ほど8+8であるといいましたが、これを4小節単位で見るとA+A+B+Aでもありますし、これは後半部分が2小節ずつ増えたブルースとしても認識できるものではないでしょうか? 実際このリー・モーガンのソロは次第にブルース気分になってきているのがうかがえます。(ソロの)エンディングのフレーズなどはまさにブルース・フレーズそのものです。

音色なども黒いフィーリングのショーターとは好対照な感じもあって良い効果が出ていると思います。

さてその次がマッコイ・タイナーによるピアノのソロですが、ライナー(だったかな?)によると当時ショーターが一番気に入っていたピアニストがこのマッコイだったということです。マッコイに関してはどうもコルトレーンとのバンドでの印象が強く、ここでのソロはあまり印象に残りませんがそれは決して役者不足という意味ではありません。この曲などではむしろバッキングに廻った時の影響力が大きいように感じます。

ピアノを挟み再びショーターがソロを取りますが、この部分でのソロが素晴らしい。ややたどたどしさもありながら(これは決してスムーズではないから良くないなどという意味でありません。むしろこういう部分はスムーズに聞えるレガートという奏法で滑らかに演奏するほうが遥かに簡単なことでもあります。)上から畳み掛けるように全部の音を区切って出そうとする辺りなど、なぜだ? そこまでしてなにを伝えたいのだ? と彼の音に注目させる結果となって曲のクライマックスを作ります。

そして再びトランペットとの2管演奏による終わりのテーマになだれ込みます。しかしエンディング・テーマが終わった後も盛り上がったショーターのソロは止まりません。先ほどの延長で歌い続けますが曲はフェード・アウトとなって終わります。 いやぁ実に素晴らしい。

2. "Oriental Folk Song"

このアルバムは全曲ショーターのオリジナルですが、この曲だけは題名が示すように東洋の古いメロディをモチーフにして、アレンジをショーターがしたということになっています。しかしなんというか、全くショーターのオリジナル作品であると言われても気がつきませんよね。

物語の幕開けのようなルバートのイントロに続き、優しくドリーミーな雰囲気のテーマが演奏されます。しかしややスロー気味のゆったりとした重々しい4ビートのソロ部分に入ると、この気分も一転してショーターお得意の黒々としたフィーリングに溢れたモーダルなソロとなります。重機関車が動き出すといった風情のようなものを感じます。

曲のテンポですが、スローからアップテンポまでそれこそどのテンポであろうとショーターはショーターらしさを見失わず、彼自身のオリジナリティをしっかりと打ち出す持ち主であることに間違いは無いと思うのですが、それでも彼特有の味わいがより色濃く感じられるのは、こうしたミディアム・スローからスローテンポにかけてではないでしょうか。

語り口というのか、語り方というのか、そういったものがビバップを発祥とするモダンサックス奏者達とは発想から大きく違っているように感じます。またそれがショーター自身の言葉となって響いてくるので、耳ではなく直接ボクのハートに訴えてくるのです。モーダル・フレージングがどうこうといったフレージングのテクニックなどではないストレートな歌心として。

さてこのウェットで黒いフィーリングのショーターと好対照なのが2番手にソロを取るリー・モーガンです。いかにもといった高らかに響き渡るトランペットの音色は素晴らしいものですが、ボクなどはそれがかえってショーターを浮き出させるのに大きく役立っていると思ってしまいます。ここでモーガンがファンキーなハードバップの味わいを聴かせることで、このバンド全体のフィーリングのバランスがうまく取れている結果になっていると思います。

このミディアム・テンポの4ビートではエルビンのドラムも特筆すべきでしょうね。彼が居なかったらここでいうところの「重いスィング感」といったものは得られなかったのでは無いでしょうか?

ソロはマッコイのピアノの後、ショート・リフでエルビンとの掛け合いソロになります。短い部分ですが、もう全くエルビンらしいとしか言いようの無い素晴らしいドラムフレーズを聴かせてくれます。やがて曲はエンディング・テーマとなり、これも夢へのいざないのようにフェードアウトして行きます。

3. ”Virgo"

おとめ座生まれ(1933.8.25)のショーターのリーダーアルバムですが、3曲目はその名もズバリ「おとめ座(Virgo)」です。

実はボクはこのアルバムをもっとも良く聴いたのは、アルバム冒頭からこの曲の途中までなんです。それは寝る時にヘッドフォンで聴きながら布団に入っていたからなんですが、どーしてもこの曲が誘う気持ち良さには抵抗することが出来ず、この曲になると眠ってしまう。いやそんな言葉で表すとなんだか退屈ゆえのように思われるかも知れませんが事情は全く反対で、これほどにゆったりとしたドリーミーな音世界を他に知らないという気分で、眠りに落ちて行ったものでした。逆にいえばこの気持ち良さが欲しくてこのアルバムを100回以上聴いたのかもしれません。

さて曲ですが、A+B+A+Cという形式のスロー・バラッドですが小節数が変則的でして、8+8+8+5という風に最後のC部分が5小節になっています。しかしこれを聴いた方なら良くお分かりだと思いますが、非常にスローなテンポでしかもショーター独自といってよいハーモニーの変化をしているせいか、この珍しい5小節という奇数パラグラフにもかかわらずなんの違和感も感じさせません。むしろ独自の和音進行、独自の楽曲構造、そしてショーターしかいないであろうという言ってみれば独自の奏法、などが重なりそれらの演出効果によって曲はますます幻想的な色合いを深めていきます。

テーマのあとショーターによる1コーラスのソロ。短いピアノのソロを挟んだ後ショーターが引継ぎそのままエンディング・テーマとなります。この後半部分でのテーマの再解釈というのでしょうか、フェイクというには余りにも良く歌っているのですが、この部分のメロディなどはとても素晴らしいと思います。

このアルバムの英文ライナーでショーターがこんなことを言っています。
「長調から短調へと動くハーモニーでも、私はそれをマイナー・フィーリングを感じながら演っている。マイナーは私にとって夕方から夜のイメージをもたらす。」 面白いですね。

4. ”Black Nile”

この曲の譜面はスタンダードソング・ブックなどにも掲載されていることから、おそらくこのアルバムでは一番ポピュラーなものだと思います。実際ボクも自分で演奏したことが何度もありますし好きな曲のひとつです。

全体にミステリアスな気分の強い曲が多いショーターですが、この曲などは確かにモードという概念を導入してはいますが、本来的なと言うのでしょうか、非常にシンプルな構造のために単にマイナー曲であるというコーダルな認識での演奏も充分に可能なためにヒットしたのではないかと思います。

全体的なフィーリングはハード・バップに他ならないという分かりやすさ、ブリッジ(サビ)部分ではキーをFメジャーに転調した上で典型的なターン・アラウンドの繰り返しであるという明快なハーモニー進行、強烈にスィングするテンポ設定などなど。

しかしショーターのソロはバップを発祥としたものとは一味も二味も違います。いや実際のところさすがにこの曲では従来のバップフレーズといいますか、メカニカルなフレーズも使っているのですが、それでもショーターの歌い方、特にその音量の大小差といった身体から出てくる自然なアーティキュレーションは彼独自のものがあって魅力的です。

さてそうなるといやが上にもその魅力を発揮するのがリー・モーガンとなるのはこのアルバムを聴いたことがない人にも充分予想できそうなことであります。いやぁ、この2コーラス目のソロなど、いかにもトランペットらしいリズム・テンションをうまく使って高らかに歌い上げています。

マッコイ。エルビンとソロが続きますが、面白いのがこのエルビンのソロあとです。エルビンは彼お得意の変則的なドラムフレーズを炸裂させますが、そのあとの2管によるテーマ合奏の出だしのタイミングが揃いません。わずかに、という にはちょっと違いが大きいですが、ショーターが早くフライング気味で出ます。

エルビンのドラムソロはビートをカウントしているだけでは合わないことが多く、なによりドラムをフレーズ単位で聴きとっていなければならない、とは良く言われることでもあるので、ここでもショーターやモーガンがタイミングを揃えられなかったというのは充分分かりますし、それは彼らの能力的な問題とは関係ないことを前置きとしてこの部分を考えますと、正解のタイミングはモーガンのように思います。つまりショーターはそれだけ熱が入っていたというか、呼吸が早くなっていたのでしょうね。もっと平たく言えば「イケイケ気分」だったのではないか。なにか彼がこの曲にかける情熱というか、意欲のようなものが感じられて、この若干のフライングさえもショーターという人間的魅力に一歩近づけさせてくれる糸口のような気すらしてしまうのはファン心理ゆえなのでしょうか。

5. "Charcoal Blues"

白ナイルと青ナイルという河の水面の色からくる名称の違いを知って、アフロ・アメリカンのルーツでもあるアフリカのナイル河を”Black Nile”と名づけたショーターですが、ブルースと黒人(Black)についてはやはりいまわしい記憶が強いのだそうで、ここでは伝統的なブルースを演奏していますが、敢えてそれを黒ではなくチャコール色として、過去と未来への展望に繋げているようです。

ミディアムテンポによるFのキーで演奏される通常のブルース・フォーマットの曲ですが、この曲はトランペットのリー・モーガンが参加していません。これなんだか暗示的な気がします。つまりここでリー・モーガンが入ってしまうと全く通常のブルースとなってしまう可能性が高いことを避けたのではないでしょうか?アルバム中、スローバラッドの"Virgo"を除けば、この演奏にリー・モーガンが参加していないのはなにか含みというか、考えがあってのことだと思ってしまいます。

したがってここではショーターのブルースというものを味わうべきなんでしょうね。曲のメロディは彼らしい朴訥というのでしょうか、聴き様によってはやや投げやりな感すら漂うもので、それは続く彼のアドリブソロにおいても頻繁に出てくるフレージングとなっています。ブルースというのはメジャー(長調)であってもある種のマイナー(短調)感をにじませるフィーリングを含んではいますが、ショーターの場合はそういった従来からのブルースらしいブルース・フレーズではなく、独自の音程跳躍などを駆使したもっとモーダルなフィーリングの強いものとなっているように思います。といっても60年代の典型的なモーダルなフレージングとも違っていて、やはりそれはショーター自身の語法で歌っているとしか言いようが無いものなのかも知れません。

ブルース〜アメリカにおける黒人の様々な障害〜 それらについてショーター自身の清算と思いのたけを語っているというような彼自身のコメントが英文ライナーに書かれています。

----- コルトレーンとの比較や類似性について -----

と書きましたが、実はこの件(トレーンとの類似性や影響の多寡)を語るのはボクには無理のようです。理由はボクには世間で言われるほどには二人の類似性をあまり感じられないからなのですが、それはつまりテナーサックスでこの時期の黒人音楽を代弁する上での類似はあっても、方法論的アプローチや実際に音を出す上での肉体的な感情の発露といった方法(奏法といっても良いかもしれません)が大きく違うように感じてならないからなのです。

フリーブローに入ってしまう以前のトレーンはむしろウェル・コントロールドといえばいいのでしょうか、発音、持続音などを熟練の賜物で磨きをかけ、音楽的方法論でいえば一時期は確かにモーダルなアプローチに惹かれていたようでもありますが、むしろその時期の彼の偉業といえるのはコーダルな垂直方向への積み重ねの成果を見事に披露したことであったと思うのです。つまりトレーンの真価はモードよりもむしろコード追及であったというふうに考えています。

どういう訳か世間ではコルトレーン=モードの人みたいに捉えられている側面があるようなんですが、ものすごく大雑把に言うのを許してもらえるなら、ボクはトレーンの辿った足跡というのを、コードの追求、飽くなき追及、行き詰まり、モードの取り入れ、しかしモードの追求とはならず、その後のフリー方向へ、と、こういう流れだったのではないかと思っています。

一方でショーターの場合はトレーンのような複雑なコーダル・アプローチとかにはあまり興味を示さず、もっとメロディをベースに考えている節があって、いやこれはボクがそう感じているだけですけども、比喩で言ってしまいますが、縦がコルトレーンだとすると、ショーターはあくまで横方向に興味をもっていたのではないか?と思えるんですね。

さらにテナー・サックスという楽器のアドリブソロ演奏中ということだけで比べると、フレーズの中の音量の大小差の取り方などが大きく違うことから、ボクには両者が似ているというのはホントに表面的な部分だけではないかと思ってしまっているのです。

しかしこれはボクがショーターのファンになってしまってる以上は、冷静に比較したりなど出来ないというのが本当のところかも知れません。

6. "Armageddon"

いやぁ、今この曲名を持ち出すと話題の映画かと思われる方のほうがきっと多いのでしょうね。という訳で過去の黒人の社会的な地位や、ブルースと直結した部分も多い過去の黒人と音楽を総括した上でこの”善と悪が戦う終末戦争”の意味でもあるアルマゲドンとなります。このアルバム名はナイト・ドリーマーですがショーターいわく焦点となるのは最後のこの曲ということらしいです。

バップっぽいともいえるイントロの後にドラマチックで幻想的な雰囲気のテーマが始まるこの曲ですが、3拍ずつにアクセントを置いてあるためにあたかも変拍子のようなスリリングな効果をもたらしています。実際には8小節ずつのパラグラフでA,B,A.Cという構成のようです。

ボクの説ですと一番ショーターがショーターらしさを発揮できるミディアムのややゆっくりなテンポで重々しく、どこかに黒々としたという印象を乗せてショーターのソロが先発します。テーマ部分での変拍子的アクセントはソロパートにおいては使われていません。またテーマ部分での押さえたやや不気味な印象とは正反対にソロパートではショーターの語法に乗った大らかとさえ言えそうな気分でのソロとなります。

でもしかしこの曲においては確固たる自信と共にソロを終わっているのですが、というか、そう思うのですが、やはりソロのエンディングの最後の最後はやや唐突なといいますかブチッと切ってしまったような感があるにはありますので、これはショーターの個性というかクセというか、のようなものなんでしょうねえ。

リー・モーガン。コンセプト的にはショーターのようになにか新しい実験的取り組みを見せているとは思えず、ハードバップの語法そのままなのですが、しかし勿論ハードバップという方法が劣るという訳でもなく、素晴らしいトランペットソロを聴かせてくれます。ファンキーであるというのが彼のソロを聴いて一番思いつく言葉です。

マッコイのソロの時はレジー・ワークマンが口火を切ったのでしょうか、エルビンがわざとマーチのような各拍のアタマだけにアクセントをおいた4ビートドラムを聴かせます。あまり表舞台には出てこないベースのレジー・ワークマンですが、この曲などで彼のベースラインを聴いているとなかなかどうしてバンド全体に対する彼の貢献は思ったよりも大きなものがあるように感じました。

このアルバムが録音されたのが1964年。公民権運動などとともに新しい黒人の地位や音楽を願い想定して「終末」を歌ったのでしょうが、それから35年も経っても今世紀末とともに未来への展望をつなげようとする今の世界をショーター氏はどう考えているのか、ふとそんなことまで考えてしまいました。
text by たかけんabotME!
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