JAZZ PICKUP!
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Slim Gaillard Rides Again!
スリム・ゲイラード『ライデス・アゲイン!』
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Slim Gaillard   『Slim Gaillard Rides Again!』
                       DOT DLP3190
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Recording Data:April 15,1959
Personal :
Slim Gaillard(piano,guitar,vocal...)
Unknown(bass)
Unknown(drums)
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Tunes Side A:
Oh, Lady Be Good(2:21)
I Don't Stand A Ghost Of A Chance With You(2:20)
How High The Moon(4:33)
Slim's Cee(2:34)
One Minute Of Flamenco For Three Minute(3:40)
Chiken Rhythm (=Rooster Rock)(2:11)
I Love You(2:45)

Side B:
Tall And Slim(3:56)
My Blue Heaven(2:23)
Thunderbird(2:10)
Walkin' And Cookin' Blues(4:31)
Sukiyaki Cha Cha(2:10)
Don't Blame Me(4:09)
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【解説】

さてさて、果たしてここにこんなものを持ち出していいもんだろうかなどと思いつつ、僕としては避けてとおれない、スリム・ゲイラード。
1959年の彼のアルバムが、このたびめでたく日本でCD化されまして それも世界初登場の曲も含めて、DOTレーベルへの録音を完全収録。今取り上げずしてどうするっ!ってなわけでございます。

ちなみに、CDは、「スリム・ゲイラード 1959」(MVCE24124) 聴くべし

----- SLIM GAILLARDという人-----
このスリム・ゲイラードを取り上げることにしたものの、大方のジャズファンには、おなじみじゃなさそうなんで、まずはご紹介からしなければいけませんね。
しかし、これが、ヒジョーにディフィカルトなんでございます。

ジャンルで言うと、「ジャイヴ」ってことになるんですが、それで通じるなら苦労はしないわけで。じゃぁ、「ジャイヴ」って何だって言うと、あまり決まったスタイルがあるわけでもないってなことになって、曖昧模糊の循環コードエンドレス状態に陥ってしまうわけです。

とてもじゃないが、私なんぞの手に余るってわけで、P-VINEから出ている、ジャイブのコンピレーション、「これだ!だいぶジャイヴ!!」から、監修者 吾妻光良氏の文章を引用させていただきます。

*******************

じゃ、ジャイヴってどういう音楽?って聞かれると私も、ううっとつまってしまうのですが、今まで聞いて来た体験からしますと、

●おふざけ、ユーモアがあって
●わりと小編成で
●コーラスなんかもまじえて
●時にはスキャットなんかもまじえて
●AABA32小節のちょっとポップな曲が多かったりして
●大筋として軽妙でシャレてて
●写真はたいてい目を開き、歯を見せ、手のひらを上に向けてるもの
 だけが残っている

様な音楽を、わりと気軽にジャイヴ、ジャイヴと呼んでいるようです。(以下続く)
******************

いやはや、だいぶ苦労されたようです(^_^;)こんなんで、イメージしていただけるでしょうか?無理ですか?んじゃ、買って聴くべし。

我ながら「ジャイヴ」の説明はほとんど投げ出しているのですが、ジャズファンにイメージしやすいところでは、初期のナット・キング・コール・トリオなんかがいいでしょう。あの辺りの、ジャズっぽくて都会的なところから、ブルース、ノヴェルティー・ソングまで、まぁ、なんやかんや雑多なもののも含めてあって、だいたいはこじんまりした雰囲気なんですが、そんな中で、一人で大きな大きなオールーニーを作り上げちゃったのが、スリム・ゲイラードなわけです。オールーニーって何?って人は、ケルアックの「路上」を読みませう。

ただただ笑ってる「ラフィン・イン・リズム」とか、ニワトリの物まねやってる「チキン・リズム」とか、でたらめ中国語スキャットで盛りあがる「チャイナタウン・マイ・チャイナタウン」とか、これまたでたらめアフリカ語のエキゾチックナンバー「アフリカン・ジャイブ」とか。(そうそう、名ドラマー、チコ・ハミルトンの初録音がこの「アフリカン・ジャイブ」ですね。)
そうかと思うと、ビリー・エクスタインばりの美声でバラードを歌い、ピアノもギターも超一流。タップダンスまで披露しちゃいます。ライブでは、手のひらを上に向けてピアノを弾いて見せたりもします。共演したサイドメンには、パーカー、ガレスピー、ドド・マーマローサ、ジミー・ロウルズ、ベン・ウェブスター、ハワード・マギー、ケニー・クラーク、ラッキー・トンプソンなんて連中が名を連ねています。役者としても映画やテレビドラマに出演し、ギリシャ語を含めた数カ国語を操るという、書けば書くほど訳わかんなくなって申し訳無いが、まぁおおむねそのような人であるわけです、スリム・ゲイラードという人は(^_^;)

----- ところで -----
実は私スリム・ゲイラードのホームページなんて物を作ってまして、そこに掲載してある文章にちょいと手を加えました。ちょっと長いですけど、お付き合いください。

■■スリム・ゲイラード・バイオグラフィー■■
1916年1月4日デトロイト産まれ(1916年1月1日キューバ産まれと言う説もある)。15歳の頃、商船員だった父について、ギリシャのクレタ島に渡り、半年(または、かなりの年数)残留する。デトロイトの家に戻ってから、ボクサー、ドライバー等の職業に就く。ミシガンのライトヘビー級チャンピオンにもなったことがあるらしい。ドライバーの仕事は、ギャングの手先でカナダに酒を運んでいたとか...

最初におぼえた楽器は、ヴァイブラフォン。それからピアノ、ギターと移り変わっていった。彼の音楽のキャリアは、タップダンスとギターで始まる。ギターを弾きながらタップダンスを踊っていた、らしい。彼は音楽的な影響を受けたミュージシャンとして、ピアノのスタイルは、ファッツ・ウォーラーの影響を認めている。また、30年代初期にフレッチャー・ヘンダーソン楽団にいたクラレンス・ホリデイの名前をあげている。ホリデイは、後にジャズ・ヴォーカリストとして有名になるビリー・ホリデイの父である。

■スリム&スラムの誕生
1937年 ニューヨークに移る。Major Bowes's amateur talent contests に出場。その後、彼はこのラジオ番組のレギュラーの仕事を得る。名前を変えて別人のふりをして何度も出演した。ちなみにこのコンテストで、若き日のシナトラが所属していた、ヴォーカル・カルテット「ホボーケン・フォー」が注目されたりもした。そこで、ベーシスト、リロイ・エリオット・スチュワートと運命的な出会いをする。

最初の共演で二人は意気投合した。しかもその演奏を聴いた、ディスクジョッキーのマーティン・ブロックが、このコンビを気に入り、すぐに契約することになった。二人は、コンビの名前を決めることにした。スチュワートが、ベースの弓を置いたときに名前が決まった。「スラム(Slam)」は、バタンと閉める:ばたりと置く等の意味で、スリムとスラムで語呂がいいってんで、この名前にしたというわけだ。1937年の秋から冬にかけて、スリム&スラムは、52番街あたりではちょっとした有名人になった。

それに先立つ1937年4月15日に、スリムは初レコーディングを経験している。フランキー・ニュートンのバンドにヴォーカリストとして参加したのだ。ここでのスリムは、オーソドックスなヴォーカリストとしての役に徹している。

翌年1938年に、スリム&スラムとしてのレコーディングの機会が訪れた。彼らの代表曲「フラット・フット・フルージー」である。当初この曲のタイトルは、Flat Fleet Floosie だった。しかし出版社が、それじゃまずいってんで、Flat Foot Floogie に変更された。ちなみに「Floosie」は、「だらしない女」と言う意味である。

最初1月にデッカレーベルに吹き込まれたが、コロンビアの傍系レーベル、ヴォキャリオンからの誘いがあって、マネージャーの判断でくら替えすることになった。結局、デッカでの録音は日の目を見ることなく、一月後に同じメンバーで、ヴォキャリオンで再録音された。
この曲が大ヒットした。ヒット・パレードで8週間1位をキープ。5月には、ベニー・グッドマンが「Big John special」のバックで、録音し、自身のラジオ番組「キャメル・キャラバン」でスリム&スラムを紹介した。その年のニューヨーク万国博覧会でタイムカプセルに納められることになった。ちなみにこのタイムカプセルが開かれるのは、西暦5000年。立ち会えそうには無いですねぇ。(^_^;)

■バム・ブラウンとの時代
スリム&スラムのコンビは1942年まで続いたが、スラムの徴兵で解散することになった。約2年間、兵役を務め44年に除隊。カリフォルニアに移動る。45年は、かなりの録音が残されてはいるが、カデット、フォースター、ビービーといった、マイナーレーベルが続く。かつての人気ミュージシャンも、2年のブランクはかなり大きかったようだ。しかし、クラブなどでの活動は順調で、ハリウッド「ビリーバーグス」、ニューヨークの「バードランド」等で演奏を続けていた。

新しい相棒は、ベーシスト、バム・ブラウン。彼の参加によってスリム&スラム時代よりも、一層過激でクレージーな世界を作り出していった。ぜひ、彼らの残されたライブ録音を聴いて欲しい。会場が、爆笑に包まれて、異様な興奮状態にあるのがわかるはず。そして、このコンビでも、「セメント・ミキサー」「ポピティー・ポップ」といったヒット曲を出している。

45年12月、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー等をフューチャーしてベルトーン・レーベルに録音を行なう。その一部が、のちにサヴォイに買い取られ、パーカー名義で発売された。
46年4月22日、ノーマン・グランツ主催のJATPコンサートに出演。このときの録音が、「オペラ・イン・ヴァウト」としてレコード化された。
1946年7月 ロサンゼルスのジェファーソン通りにレコードショップを開く。店の名前は「ヴァウトヴィル(Voutville)」
1948年は、ミュージシャン・ストライキの年で、録音は残されていない。
1949年には1回きり、50年には録音の機会はなかった。
1951、52年は、ノーマン・グランツのヴァーブ・レーベルへ録音をしている。
録音の機会は減ったが、51年の「バードランド」でのライブ録音を聴くかぎり、クラブでの人気はまだそれほど衰えているようには、思えない。しかし、52年12月の吹き込みの後、次のレコーディングの機会は6年後の1958年まで待たねばならなかった。

1959年、ドット・レーベルへの録音は、「スリム・ゲイラード・ライズ・アゲイン」と言うタイトルで、発売された。これが今回取り上げるアルバム。しかし、ふたたび表舞台から姿を消すことになる。
1968年6月27日の「ダウンビート」に、サンホセの小さなクラブで演奏していたスリム・ゲイラードが再発見されたという記事が掲載される。
1970年には、スラム&スチュワートと組んでモンタレージャズフェスティバルに出演。その後、再び音楽の世界から遠ざかる。
その間に、映画やテレビの仕事をしていた。「ルーツ2」「マーカス・ウェルビー」「メディカル・センター」「ウィリー・ダイナマイト」等の作品に出演していた、らしい。

74年に、おそらくプライベートに録音されたものがあるが、83年にスリム自身の手で発売されるまで、日の目を見なかった。
おそらくこの頃、エピックに少なくとも2枚のシングルを録音。うち1枚では、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌ってます。

■スリム・ゲイラード復活
80年代に入ると、ヨーロッパのコレクター・レーベルがスリムの録音をリイシューしはじめた。
1982年の夏には、クール・ジャズ・フェスティバル、ノース・シー・ジャズ・フェスティバル、ニース・ジャズ・パレード等に出演。
同年10月、正式な録音としては24年ぶりのレコーディングを行なった。彼の熱心なリイシューを行なっていた、ヘップ・レコードが、彼をイギリスに招いて、録音したのだ。その後、彼はイギリスの住むようになる。

1985年12月録音の録音とされている、ラテン・アルバム「シボネイ」は、エルネスト・レクォーナの曲をフューチャーしたもの。
1986年には、映画「アブソルートリー・ビギナーズ」で1曲歌っている。ちょっと時期はわからないけど、ラップチームのドリーム・ウォリアーズのアルバムにも参加してるそうな。ちょうどこの時期、イギリスではなんだかジャイヴ周辺がブームだったとか。
1987年4月、ファッションショーのゲストとして来日。ブルースハウス「次郎吉」で、ないしょのライブ決行。
1988年3月23日、再来日。芝浦インクスティックで公演を行なう。
来日時のエピソードは、吾妻光良著「ブルース飲むバカ歌うバカ」を読むべし。
1988年(たぶん)、アメリカのテレビ番組「ナイト・ミュージック」の出演。デビッド・サンボーン、マーカス・ミラーといった、若いミュージシャンと共演した。
1991年2月27日ロンドンで死亡

参考文献
「レコード・コレクターズ」1986/1 VOL.5,No.1--- 株式会社ミュージックマガジン
「スリム・ゲイラードの特異な“芸”」by 中村とうよう
「スリム・ゲイラードのLP」by 土山和敏
「スリム・ゲイラード・インタヴュー」聞き手:ダグ・ロングCadence Jazz Magazine / 1985,July
「ブルース飲むバカ歌うバカ」吾妻光良著--- 株式会社ブルース・インターアクションズ
「スリム&スラム/コンプリート・レコーディング1938-1942」ライナーノート by Alun Morgan

さてさて、肝心のアルバムの内容にちっとも入れないままですが、その前に触れとかないといけないことがあります。

-----「ジャイヴトーク」-----
アメリカ黒人のスラングといってしまってはみもふたも有りませんが、まぁそういうことです。音楽の方の「ジャイヴ」でも、もちろん使われますが、もっと広く都会の黒人文化の中で使われつづけて、その時代を反映しながら今でも「ジャイヴトーク」という呼び方は生きています。

そうそう、インターネットのホームページで、「ジャイヴトーク翻訳」ページなんてのが有りましたっけ。そんなジャイヴトークの大御所が、スリムとキャブ・キャロウェイ。どちらも昔、ジャイヴトークの辞書を出版したことがあります。超レア本なので、見たことも有りませんが。白人ジャイヴァー、ハリー・ザ・ヒップスター・ギブスンのアルバムに、ジャイヴトークの一例が載っていますので、少しご紹介してみますね。

Pitch A Ball ------------------- Have A Good Time
Take It Slow ------------------- Be Careful
Solid Blew My Top -------------- Went Crazy
Solid Give Me My Kicks --------- Had Lots of Fun
Fall In On That Mess ----------- Play That Thing
Good For Nothin' Mop ----------- No Good Woman
Joint Is Jumpin' --------------- Place Fll Of Customers

なんかこんな感じです。
スリム・ゲイラードの場合は、ヴァウト、ヴァウティー・モー、オルーニー、マクヴーティ、なんてのを常用してます。「ジャイヴ」って言葉自体は、でたらめなことを喋るっていうような意味。
何にしても、こう言うのって、実は裏の意味があってとか、ダブルミーニング的な歌詞も多そうだし、ちょっと門外漢には簡単に手におえるもんじゃないです。

こう言うのはハーレムジャズからビバップに渡るジャズの中でも、見聞きすることができるので、そっち方面から近づいてくって手も有りますね。ガレスピーの「OOP-POP-A-DA」とか「OOL-YA-KOO」なんてのがそうだし。ヒップとかクールって言い方も、その流れですね。
そうそう、マンハッタン・トランスファーのティム・ハウザーも昔のアルバムでそんな感じの音楽やってましたねぇ。というわけで、なんか面白そうでしょ(^±)

それではそろそろ、本題のアルバム「Slim Gaillard Rides Again!」に話を移しましょう。
40年代、たくさんの録音を残したスリム・ゲイラードも、50年代になると録音の機会が減ってきます。51、52年にノーマン・グランツの下で録音をした後、1959年まで、録音を残していません。

1959年、DOTレーベルでの久々のアルバムが、「スリム・ゲイラード再び現る」と題されたのも、こういった事情があったからでしょう。CDの解説で中村とうよう氏は、当時はやったブロードウェイのミュージカル「デストリー・ライズ・アゲイン」に引っ掛けたものだろうと書いています。

従来このアルバムの録音は、1958年と言われていましたが、今回の調査で1959年4月15日ということが判明しています。

スリムのピアノやギターを中心にしたトリオ編成ですが、バックを勤めるベースとドラムは、いまだ氏名不詳のまま。有名なスタンダード曲から、かつてのヒット曲、新たに作られた抱腹絶倒ナンバー、まで久しぶりの録音とは思えない、充実した歌と演奏を聴かせてくれます。

-----あ、それから-----
音楽スタイルの「ジャイヴ」と「ジャイヴトーク」は、別物です。「ジャイブトーク」はもっと広範な、黒人スラングのことなので、音楽に限ったことじゃなくて生活用語まで、関わってきます。

ですから、「ジャイヴ」音楽に関して言えば、「Jiveというと、軽妙でちょっと洒落た黒人音楽という印象」ってので、間違ってないと思います。

CDの解説でも、とうよう氏が「スリムは、30年代の半ばからエレキ・ギターを手がけ、チャーリー・クリスチャンと張り合ってきた一流ギタリストなのである。」と書いています。ジャズ史に残るイノヴェーターと、おふざけ芸人扱いされてきたスリムが、おんなじレベルで張り合ってたてのは、痛快ですね。

スリムもインストの録音を結構残してて、自信有ったんじゃないかな。50年代初期に、一人多重録音のインストナンバーなんてのもやってるんですよ。

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このアルバムは、DOTレーベルから、1959年か60年に出されたのですが、さしたる売上も残せぬまま廃盤になったようです。題名どおりというわけには行かなかったというわけです。
そのまま再発されることも無く、よほどのファン以外には知られることも無いまま数十年の月日が経ってしまいました。このアルバムが再び日の目を見るのは、1982年日本ビクターから、「おもしろ音楽大集合/スリム・ゲイラード」(MCA VIM5608)として再発されるまで待たねばなりませんでした。この時、オリジナルに未収録のトラックが3曲追加収録されました。同じ頃、米MCAから、「SLIM GAILLARD TRIO」として再発されたときには、もう1曲未発表曲が入っていました。またこの時点で、さらに未発売の曲が1曲と、どうやらシングル盤も出しているらしいということはわかっていたのですが、今回のCD化で、これらをすべて聴くことができるようになりました(^○^)
って、ことで、いよいよ中身だ。

1."Oh, Lady Be Good"
何度も録音している曲ですが、その壊れっぷりではこのバージョンが最右翼かもしれません。サンタクロースは出てくるは、フランス語は飛び出すは、もう歌詞だってどこまで元通りなんだかさっぱり訳わからんし本人も吹き出しちゃってるし(^_^;)

そんな、ハチャメチャやりながら、ピアノはしっかりまじめに弾いてるのが、かえって可笑しかったりはするのですが、エンディングがまた最高で、自分で勝手に盛り上げて、普通ならピアノで弾くような締めのフレーズまで歌ってしまって、パンパェ〜ン・グッグッグ〜〜〜〜だもんなぁ。

2."Ghost OF A Chance"
長い題名ですねぇ。2曲目は「アイ・ドント・スタンド・ア・ゴースト・オブ・ア・チャンス・ウィズ・ユー」、ほら1行で納まらない(^_^;)
おなじみのバラード曲です。どちらかというと、深刻そうに歌い上げてる場合が多いですが、スリムはあまり重々しくならずペーソスを感じさせる歌い方で、小唄好きには、気に入られるんじゃないかと思います。

といっても一筋縄では行かないわけで、「little kissie reenie-mo」とか「if you can't dream drink o'voutee」とか、得意のフレーズを散りばめてます。それにしても今回の歌詞聴き取りは、誰がやってるのかわからないんですけど、労作ですねぇ。アドリブで歌ってるというか、しゃべりまくってる部分まで全部聴き取ってるんですから。
次の曲ではもうとんでもないことになってますです。

3."How High The Moon"
3曲目はおなじみ、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」。スキャットの素材にされることも多くて、崩されることには慣れてる曲でしょうが、こんな風にされるとは。

歌詞カードの話をしましたが、ここではおそらく言葉が元の歌詞の倍以上になってしまってます。やり口は、1曲目と同じ趣向では有りますが、さらに徹底してます。

出だしは、むしろ歌詞を節約して、放り投げるような歌い方で、徐々に乗ってくると、息継ぐ暇も有らばこそ、言葉に言葉を重ねて有ること無いこと喋り捲ってます。

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飛んでけ飛んでけ、月まで、太陽まで
回って回って、火星へ土星へ水星へ
時速は、9820000000マイル
惑星がみんな出会って、セイ・へロー
ビンゴ!爆発
日曜の午後のジャムセッションでは
582322000000000のサキソフォンが
一度に唸り出す
ジャガイモ、トマト、ジャガイモ、トマト
ハリウッド・ボール・サイズのジャガイモ
どうやって皮を剥くんだ
そりゃブルドーザーで剥くっきゃない
素敵などっさりのジャガイモサラダ
月だ、月だ
お月様までやってきたのさ
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なんとなくこんな感じです(^_^;) あ、とってもナイスなギターソロ付です。

4."Slim's Cee"
4曲目は、インストルメンタル「スリムズ・シー」ピアノトリオで、軽快なジャズナンバーです。
録音されたのが50年代も終わろうかという頃ですから、まぁ古いスタイルと言ってしまえばみもふたも無いのですが、スイング感たっぷりで、適度なケレン味も有って楽しめる内容です。ここでもジングルベルらしきフレーズが出てくるんですが、この人よっぽどサンタやクリスマス・ネタが好きなんでしょうかねぇ。

5."One Minute Of Flamenco ....."
さてさて、このアルバム最大の聞き物のひとつ、「3分間のフラメンコ」原題は、「One Minute Of Flamenco For Three Minutes」
ここでのギターは、もはや、チャーリー・クリスチャンを引き合いに出す次元を超えてしまっています。エレキギターのチープな音色を生かした、いかがわしさいっぱいの、怪しげで豪快なフラメンコ風ギターをかき鳴らし、これまた怪しげなスペイン語でオラァー、トカール、ギターラ、ボノォとやってるかと思えば、なんだかラテン風になってチャカポコした空き缶叩いてるようなドラムソロ?、かと思うと、コンガを叩きながら「フラメェンコォ」と念仏のように唱えていたかと思うと、ドラムが急に暴れだし、突然終わり、最後におまけで、空き缶の音一発。それでおしまい。なんちゅう終わり方や〜〜〜!

途中の空き缶?ソロは、スリム自身のような気がします。後半のコンガも多分そう。もう、まったく何考えてんだか(^_^;)

6."Chicken Rythm (Rooster Rock)"
スリムファンにはおなじみの曲ですが、アメリカで80年代に再発されたときに、なぜか「ルースター・ロック」と改題されていました。
どんな曲かと聞かれても、こんなに説明しにくい曲も無かろうというもので、「クワカーカッカ・クァックァックァックァ、チキンリズム」というのがその全てだといっても想像もつかないでしょうねぇ。ずっとニワトリやってます(^_^;)

昔の録音とは少し雰囲気を変えて、いい具合に年取ったニワトリといった感じで、ダルさととぼけた雰囲気がまた心地よいというものです。ドラマーだか、ベーシストだかが、いっしょに歌っています。歌っているといってもニワトリですが(^_^;)

味の有るギターソロを挟んで、ニワトリたちは歌いつづけます。最後はなんだか、トムとジェリーの間の抜けたエンディングのよう。

7."I Love You"
同名の曲はいろいろ有る様ですが、これは、ハリー・アーチャー作のミュージカルナンバーだそうですが、僕は他で聴いたことがありません。
歌詞自体は、ただただ好きだ好きだと繰り返すばかりの他愛の無い歌ですが、スリムはお得意のジャイヴ・トークを交えながら、グイグイと乗り良く元気に歌っています。後半は、「アイ・ラブ・ユー」のフレーズを手を変え品を変え歌い分け、曲の単調さを感じさせません。

8."Tall and Slim"
「背高のっぽ」とでも、訳せばいいんでしょうか。ピアノトリオのインストナンバー。実にまっとうなジャズ・ピアノを聴かせてくれます。あんまりまともで、書く事が無い(^_^;)

9."My Blue Heaven"
おなじみ「私の青空」です。ギターの弾き語りで歌い始め、ベースとドラムは最後にちょっと出てくるだけ。歌もご機嫌なら、ギターで刻むリズムもご機嫌そのもの。

割とノホホンとした感じで歌われることが多い曲ですが、スリムは、溌剌としたジャズナンバーに仕立て上げてます。もうなんだか、ただただ、イェーイ(^±)v でございます。

10."Thunder Bird"
「サンダーバード」、火の鳥ですな。それとも、1号2号の方だろうか?
L. Orenstine という人と、スリムの共作曲。バックのメンバーも参加して掛け合いで歌います。元気で明るい能天気ノヴェルティーソング。

しかし、他でのハチャメチャぶりを聴いた後では、こんなノヴェルティものが至極まっとうなものに聞こえるから不思議なもんです。

11."Walkin' and Cookin' Blues"
ギタートリオによるインストナンバー「ウォーキン・アンド・クッキン・ブルース」
充実したギタープレイが聞けます。なんか、ちゃんと弾いたらこんなにうまいんだぞと言うのも、野暮な感じで好きではないんですが、うまいんだから仕方が無い。

12."Sukiyaki Cha Cha"
われわれ日本人にとって、本アルバム最大の聞き物でありますところの「スキヤキ・チャ・チャ」であります。もはや、題名を聞いただけで、いつもの悪い予感が.....エキゾチイィック・じゃぱぁ〜〜〜んでございます(^_^;)

出てくる日本語は、「オハヨ−」「スキヤキ」「ヤキイモ」の三種のみ。あと若干の英語の歌詞が有りますが、どうやら刺身のことを歌っているようでは有ります。まぁ、要するに、すき焼も焼きイモも、正体は知らなかったんでしょうが、やってくれるもんです。でも、妙な中華風とかいうのではなく、りっぱな「妙なチャチャチャ」であるところが、実にいさぎよいというか無責任というか....

勢い余って「焼き」は、はみ出し「山羊」となり、オラッオラッでパパパパパパパパパァ〜〜〜ンパパパンと、テメエで始末をつけるところなんざ思わず膝を叩いてしまうこと請け合いでございます。

13."Don't Blame Me"
アルバム最後を飾るのは、名曲「ドンと・無礼無・ミー」いや、「ドント・ブレイム・ミー」であります。
さんざの無礼も無しにしてドンと私を許してね。どうぞ私を責めないで。ってな歌で.....(^_^;)
哀愁漂うギターの弾き語り。着かず離れずのドラムとベース。ビリー・エクスタイン風低音とおふざけ一歩手前の芸の狭間を微妙に行き交いながら、味の有る歌を聴かせてくれます。

----- 後書き -----
さてさて、お楽しみいただけましたでしょうか? 一人でも多くの方が、スリム・ゲイラードに興味を持っていただけたら、これ幸い。近々、P-VINE からも、CDが出るようですし。
ジャズでも無し、ブルースでも無し、お笑い芸人というわけでもなく、なんとも定義しにくい彼の魅力は、まさにそこにあるわけで、一人一ジャンルとでも言うしかない、まさに、ワン・アンド・オンリー。
「何々のような」ではとても説明できません。もう聴くっきゃない。と、いうわけで、一巻の終わりにございます。

PS.
今、発売されている日本盤CDには、アルバム未収録曲が5曲とシングル盤の曲が2曲、追加収録されて、DOTレーベルの録音をすべて聴くことができます。

アルバム未収録曲:「リトル・ガール」「ダークタウン・ストラッターズ・ボール」「ひとり者のラブレター」「A列車で行こう」「捧ぐるは愛のみ」
シングル発売曲(なんと、フォークソングです)「ゼイ・コール・イット・ヴァウト(スモーキー山の頂上で)」「ダウン・バイ・ザ・ステーション」
text by 《DINO》abotME!
BAR
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