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2007年6月23日(土)
 
「花丸峠」

元禄時代からある地域の道


参加者  CORSAさん・kokoさん・けった
 


(花丸峠 にて)

山びこの丘(新城市)〜海老〜仏坂峠〜神田〜
花丸峠〜月〜神田〜仏坂峠〜海老〜山びこの丘 距離 約45km


週間天気ではずーと「雨」の予報、昨日もしっかり降って今日はダメかと思ったら、朝から
雨は上がっているではありませんか。そそくさと支度をして新城市の「やまびこの丘」に車を
デポして出発したのが9時30分。海老までは旧田口鉄道の軌道跡の道路を気持ちよく
走る。途中岩をくりぬいたトンネルなどもあり雰囲気も良い、また軌道跡なので勾配も緩や
かでペースも落ち着く。海老から仏坂峠に向かう、途中石仏を集めた場所で旅の無事を祈る。

 
(廃線となった田口鉄道、軌道跡の道路)        (道沿いに石仏群が)

今回のツーリングは、押しにダートがあり移動距離もそこそこあるので久しぶりにキャノン
デールT1000を引っ張り出した。仏坂への坂も千枚田を眺めながら、フロントをインナーの
22Tにぶち込み、くるくる回しながらリズム良く進む。仏坂峠に10時30分ごろ到着。

 
(千枚田を望む) (海老と神田を結ぶ道路は昭和46年開通と比較的新しい)

峠から神田までは一気に下る、国道473号を右折して東栄町方面に行こうとしたら、
「通行止め」の看板が、それでも峠導入口まで行けることまで行くことに。幸い工事箇所
は導入口よりおくだったので花丸峠に分岐する道に左折する。ほどなく舗装が終わり、
草に覆われたダートになる、そこをしばらく進むと左手側に花丸峠への突入口がある。


 
(ここを左折して林道に入ります)  (しばらくすると草の茂ったダート道に)  

突入口からはジグザクに登坂しますが、50mも登ると山道が現われ、そこからは押して
いけるようになります。


 
(ここから花丸峠につづく道に突入します) (倒木も結構あり時折担ぎも必要です)

さて落ち着いたところで問題発生、昨日の雨と今日の湿気で「山ヒル」がとても活発に
行動をしてくれました。靴や足首を中心に気が付くと数匹のヒルがくっついて私達の生
き血を吸うチャンスを伺っています。少し押してはヒルを木の枝で追い払う、それの繰り
返しで峠に着いた時には、精神的にすっかり参ってしまいました。ここで昼食の予定で
したが、その気になれず先に進むことにしました。

 
(左の石碑には元禄の年号が) (この石碑はなんと富山市の方が寄贈したようです)

峠そのものはすごく雰囲気があり、石碑から想像するには江戸から昭和初期にかけては
地域の重要な道として住民に欠かせない峠道であったようです。峠の横には平らに整地し
た場所もあり、峠の茶屋あったのではないかと想像できます。
今回は峠をそのまま反対側に降りずに、整地された横から御殿川沿いに山の高地に作ら
れた旧道を「月」の部落に向かって進みます。出発してすぐに私の後輪が枝を拾い、哀れ
ガードが曲がってしまいました。それでも手でまげて走れるように応急処理をして再出発。
 
 
(整地された峠の茶屋らしき跡)   (枝を拾いガードを曲げてしまいました)

この旧道は御殿川よりも数百mも高い場所に作られています。しかも山が非常に切り立って
いるので、人が安心して歩くために石垣を組むようにして土台を作り、その上に道を通して
います。当時の作業者の苦労や相当なものと簡単に想像ができます。そのような苦労して
作られた道を今回走ることができたことが、とても嬉しかったです。


 
(石垣を組み人々の往来をより安全になるように作られていました。)

この道で一箇所展望が利くところ(すなわち、日が当たりヒルの出没の可能性が少ない
ところ)で、昼食を取ることにしました。昼食後、しばらく進むと林道に当たります、その先
「月」の部落に出てからは、国道473号に入って神田に戻り、再び仏坂峠を上り返して
本日の旅を終わりました。今日は運良く雨にやられずに楽しい旅ができました。

 
(旧道にはこんな場所も)     (昼食場所、まずはヒルをそぎ落としてから・・) 

(2007.6.24記述)

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