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2008年1月5日(土)
 
「千万町街道探索@」

車社会になる前に頻繁に使われた生活道。
山間部の集落を結ぶ道は尾根道でした。


参加者  CORSAさん・けった


(千万町街道 尾根の窪みは盛り土して街道を作る)

藤川樫山寺野切越峠切越→(千万町街道)→四辻峠→(千万町街道)→
切越→古部→上衣文→(衣文間道)→本宿→山中→(鎌倉街道)→藤川 
約30km?

コース図はこちら

「忘れられた街道」という本があります。私が住む岡崎市在中の中根洋治という方が書かれ
た本ですが、三河山間部で今はもう忘れられてしまい使われなくなった生活道(集落と集落
を結ぶ街道:古道)を実際に歩いて探し出し、紹介されている本です。
今回、この本に紹介されている旧額田地区千万町から岡崎市中心部に向けてかつて使わ
れていた街道(千万町街道)を探索しに行ってきました。
当日は9時に出発、国道473号で額田地区寺部まで向かいます。寺部には県の天然記念
物の大楠が集落を見下ろす観音堂に位置し、私たちを迎えてくれました。

  
(額田地区寺部集落、ここの観音堂にある大楠は見事でした)

寺部からひと山越えると切越の集落です。ここには車道はありませんが、切越峠という古道
があります。寺部集落の終わりのあたりから山道があり、途中電線が街道に沿って行きま
す。山中で地元の方がこの道を通られて相対した時はお互い驚いていました、今でも使わ
れている道です。しばらく上ると平らの場所があり峠に着きます。

  
(この電線に沿っていけば切越峠)(山道はしっかりルートがわかります)    (峠に付いて周辺を探索)  

峠からは結構乗車できるような良い山道を下ると切越の集落にでました。

 
(下りの乗車率はまずます)           (切越地区に出ました)

切越には市の文化財で鎌倉時代に作られたと推測される、「切越八面塔」があります。
由来ははっきりしていませんが、いろいろな所で伝わる平家の落ち武者の墓という説
もあるようです。
 
 
(切越八面塔)  

切越集落の一番奥の民家の脇から千万町街道に通じる入り口があります。千万町街道等
の古くからの街道は、鎌倉街道もしかりで、尾根道を通っています。尾根道を通る理由とし
て、「忘れられた街道」の著者の中根氏の説明では、「山の上の道を通ると見通しがよいの
で敵や獣に対して有利である。乾いていて歩きやすい。一方川沿いの道は、湿地が多いの
で歩きにくい。どうしても大小の川を渡る必要があり、渡る橋がもしあっても、木橋の寿命は
7年ほどである。しかも度々壊れる。履物が「わらじ」や藁でできた靴では始末が悪い。
熊・猪・オオカミ・まむし・ヒル・蜂・毒虫などと出会いやすい」と記述されています。


 
(切越集落の一番奥の民家、ここから山道に入ると千万町街道に合流します)(道はしっかりしています)

しっかりした山道を押し上げると尾根にはっきりわかる古道にぶつかりました。ここから
進路を東にとり、千万町方向に上っていきました。道は広葉樹の落ち葉がいっぱいでした
が枯れ枝に気をつけていけば十分に乗車していけます。途中で鹿を撃ちに来たハンター
と出会い、立ち話しながら情報収集など行いながら楽しくペダルを回していきます。


 
(尾根に出るとりっぱな道がありました)        (ハンターの方から情報収集)

古道はU字に掘れていたり、尾根の低い部分は盛り土をして道を作ったりしていて、本当に
ほんの少し前まで何百年と多くの人が行き来した道だということが実感できる。古道を東に
進んでいくと林道にぶつかり、ここで昼食。その後、林道を降りて先ほどの寺部集落から
国道を上った位置にある四辻峠にでる。峠には道しるべの石碑があり、地元では良くわか
る地名が彫られていました。

 
(盛り土された古道を走る)     (四辻峠にある道しるべ)

四辻峠からは林道に戻り、元来た道を戻ります。のぼりはゆっくり来た道でしたが、下りは
あっという間に切越からあがってきた地点まで戻ってきました。ここから今度は西に向か
いましたが、古道はしばらくして南に下り始め、切越集落の先ほどの上り口から数百mほ
ど離れた地点に出てしまいました。

 
(落ち葉の絨毯の楽しい下り)        (切越の集落に戻ってきてしまいました)


千万町街道から外れてしまったので、戻るには時間がありませんので、計画を練り直し
古部に向かう古道に向かいます。ここも車道はありませんがしっかりした山道で、途中
石切り場と見られる場所があったように大きな石がごろごろした山道を下っていきました。
古部集落に出たところで時間も2時ぐらいでしたので、今日は終了ということで古部集落
から、くらがり街道まで下っていきます。

 
(切越から古部の集落に出たところ)        (古部集落の大椋)

帰り道にちょっと寄り道です。本宿手前にある衣文観音から本宿にかけて今の国道(樫山
街道)の他に衣文間道という道があったそうです。それを探索に寄り道です。間道のアプ
ローチ部に行くとなんと立派な林道が整備されていました。この林道は本宿側に伸び、養護
学校の裏手まで続いていました。目的は砂防ダム建設のための作業道路でした。ちょっと
残念でしたが、ここもクリアしちゃいました。


 
(衣文間道は作業道路に)         (砂防ダム建設工事現場)


本宿から藤川までの帰り道、山中八幡宮まできたらさらに寄り道しちゃいました。鎌倉街道
の探索です、山中八幡宮の北側に現国道1号線・旧東海道がありますが、鎌倉街道は南側
を通っていたと、文献に記述があったので早速、それと思われる箇所を偵察です。現地に
行くとちょうど良い山の窪みを発見、田んぼの横の道を登っていきます。ほどなく田んぼが
終わると道はそのまま林の中へ。これまたスムーズに鎌倉街道をトレースできました。
一日あれこれつまみ食いしながら楽しい古道探索は終わりました。


(山中八幡宮横、鎌倉街道をトレース)

 
(林の中にしっかりした鎌倉街道が残っていました) (街道を示す看板もありました)


(2008.1.12記述)


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