2歳児の様子(4月〜6月)

4月の2歳児さんの様子をみなこ先生(主任・嫁さんです)が書いてくれました。


「ママ〜!」「おうちかえる―!!」 4月当初の新入園児は大パニック。

無理もないですよね。 今までは、いつでもふり向けば必ずそこにいたお母さんという"心の基地"が どこにも見あたらないのだから。

お母さんとの絆が強い子ほど、大泣きするようです。 だからこそまた、大泣きする子ほど、安心なのだといえます。

安定した基地の心地よさを十分味わえている子は、 「一時的」に大泣きして、素っ裸になることで、

いつの間にかそこに新たに自分の基地をつくってしまうたくましさも育っているからです。

ただその「一時的」がどのくらいなのか、2〜3日か、1週間か、1か月…。

ある年、7月半ばになっても泣けてしまう子を抱え、 担当の保育者が、自分のかかわり方に問題があるのではと、

ため息をついていたことがありました。

うちの園では、保護者の中に卒園児が数多くいるのですが、 通りかかった園長がその子を見てひと言、

「その子のお父さんは、卒園するまで泣いていたわよ。」

そのお父さんは、今や3人の子を持つ、照れ屋でやさしい、そしてりっぱな社会人。

保育者もそれを聞いて、あきらめ半分、安心もした様子。

泣ける期間、泣き方にもいろんな個性があるようですね。

4月は、そのひとりひとりの個性や育ち、母親との絆を、 泣き方ひとつからも察知し、把握する期間。

焦らず、その子の悲しみやとまどい全てをまるごと受けとめてあげましょう。

子どもは本能的に感じます。 保育者がありのままの自分を肯定するのか、否定するのかを。

そして肯定してくれる者に心を開きます。

でも、子どもだってただ泣いているばかりでは絶対にありません。

泣きながら、この先生は私が泣くとどうしてくれるのかなとためしてみたり、 あの子は何して遊んでるのかなと観察したり…。

そうこうしながら、自分の好きなもの(心の基地)を園の中に見つけていきます。

ぬいぐるみやおもちゃ、水槽の金魚やカメ、自分のロッカーのシール、 おやつなどの食べ物、特定の保育者等々。

基地をみつけ、じっくりかかわり、心の安定が図れた子どもは、 今度は驚くほど生活の中で意欲的になっていきます。

2歳児が、俗に反抗期と呼ばれる「自分で」期とも重なるからなのか、

食事面、靴や服の着脱、手洗い等あらゆる場面で、 「自分で」をアピールします。

この、失敗を恐れず、後先考えない、 「自分がやってみる」ことにのみ意義がある"何でもやりたがり期"は、

2歳から3歳頃特有のもののようです。

もっと大きくなると、要領が良くなるからか、相手の思いも考えるからか、

自分で出来ることでも相手の人がやってくれれば すんなりと受け身に回ってしまいます。

「あの子あんなことしてる、ぼくも。」 まわりの子の様子に刺激を受け、2歳児はどん欲に自分でやろうとします。

うまくいかずにかんしゃくを起こすことがほとんどでも、 懲りずに「自分で」をくり返します。

特に新入園児にとって、園生活は刺激たっぷりです。

そして継続児は、しばらくは新入児を「自分より小さい赤ちゃん」と思って、 何をするにも得意気です。

どちらにとっても、互いに大きな刺激であることは間違いありません。

情緒の安定できる心の基地さえもてば、 やりたがりの2歳児にとって刺激ある園生活は、 家庭と同じくらい魅力的なものになれそうです。

出会いの4月―― まずはひとりひとりの子どもの心を温かく受けとめ、 信頼という心の基地をつくりましょう。

【5月の様子】

新しい環境にも少しずつ慣れ、たいていの子どもたちが、

自分の好きな場所で好きなあそびをみつけ、 楽しむ姿が見られるようになってきました。

平行あそびが主流の2歳児とはいえ、 園での生活のひとつひとつに、もれなく友だちの存在があります。

そして、それこそが園生活の良さなのだと思います。


ある時、Tくんがたたみコーナーに座ってつみきを積んでいました。

コツコツと真剣に自分の顔の高さぐらいまで積むと、 つみきはほんの少しユラユラしています。

すると、違うあそびをしていたSくんが、 それに気づいて目を輝かせて近づいてきました。

側にいた保育者は、どうなるか予測したと思いますが、 とっさに見守る姿勢を選んだようでした。

案の定、Tくんの目の前で、Sくんはつみきの一番上をチョンッ。

Tくんの積んだつみきは、見事なほどにガラガラと音を立ててくずれおちました。

その瞬間のTくんの顔!

せっかくうまく積んだのに、という顔で保育者に助けを求めつつも、

Tくんの表情の中に、それだけじゃないものを受けとったのか、 保育者は、「あーあ!」とひと言。

声のトーンからは、“こわれちゃってかわいそう”と、 “こわれちゃっておもしろーい”という2つの思いが混ざって聞こえました。

つくる楽しさとこわす楽しさ。

この、相対する思いのぶつかり合いは、トラブルになりがちですが、 どちらにも真の楽しさがあることも事実です。

保育者の、肯定とも否定ともとれる「あーあ!」の声は、 2人の子どもにどう伝わったのでしょうか。


しばらくすると、Tくんは再びつみきを積み始めました。

そして、そうしながらSくんの存在を気にしているのが分かりました。

Sくんが来るのを待っているようにも見えました。

それに応えるように、Sくんは近づいてきて、 また、つみきのてっぺんをチョンッ。

同じようにつみきはくずれましたが、今度は2人で大笑い。

そのあと2人は、一緒につみきを積み始めたのです。

積んではこわすことに夢中になっている2人は、 積み木そのものの楽しさと同じくらい、

つみきを介して2人がかかわり合うことに喜びを感じているように思えました。


あそびのイメージは、一人ひとり違います。

家庭で、兄弟でいれば別ですが、 一人であそんだり、大人とあそぶ時は、

自分の思いが主役としてすすんでいくから、 イメージの違いからくるトラブルは見られないでしょう。

でも、園ではそうはいきません。

あちこちでトラブル続出、言葉の未熟な2歳児は、かんだりひっかいたり、 ものを投げたりという危険な場面も多々あることと思います。

でも、保育者がひとつひとつの場面を瞬時に見極め、 待つか仲介するかのタイミングをとり、

それぞれの思いを認め、寄り添い、 ていねいに対応していくことで、友だちの存在が刺激となり、

一人ひとりの持つイメージが重なり合い、 あそびが何倍にも発展していく楽しさへと 結びついていくのではないかと思います。

「6月の様子」

「K君この頃よくお話しするようになったね。」

「そうそう、さっきなんて○○ちゃんが困っているのを教えに来てくれたし、 ほんと、急に言葉がいっぱい出るようになった。」

「いつからだったっけ」

子どものお昼寝中、記録を書きながら、 保育者同士でふと、こんな会話が始まりました。


K君は1歳児で入園した時から、 保育者に世話をされるのを全くいやがることなく受け入れる代わりに、

自分からは何もしようとしない、 どちらかというと過保護的に育てられたタイプでした。

入園式の日は、お母さんよりも、 一緒に参加されたお父さんの方がこまめにK君の世話をしているようにも 見受けられました。

1歳児クラスの頃から、 他の子が、保育者に世話されるのを時には嫌がったり、

他児とトラブルを起こしたりして自己主張をしているその横で、 K君はおだやかに保育者にやってもらうのを待っていました。

他児との『トラブル』も 自分の中での思うように出来ない『パニック』もないかわりに、

そういった『葛藤』を経験することにより 他児がどんどん成長していく一方で、

K君は2歳児クラスに進級しても、 生活やあそびの中で相変わらず依存心の強いままでした。

保育者が、少しずつ手をかけるのを減らし、 言葉で励ましたり誘ったりしても、

例えば排泄の時には、「ズボン下げようね」 「パンツも下ろしてね」 「(便器のところに)立って」 「さあ出るかな」・・・。

ひとつひとつの細かい動作でも保育者の指示を待ち、 言われてからやる、という状態でした。

お母さんも送り迎えの時、 他の子たちが靴をはいたりする様子を見て感じるものがあったのか、

「いつまでかかってるの」「もう、ダメだねえ」を連発するようになりました。

「先生、この子ちっともしゃべらないでしょう、困っちゃう」 「保育園にいれば出来ると思ったのに」とももらされていました。

いろいろなタイプがあるし、 K君なりに頑張っていることを伝えていたのですが、

6月の初め頃、 お母さんがK君に向かってきついことを言っているのを あまりに見かねた保育者が、

「お母さん、K君は頑張っています。 だからK君のことをダメな子って言わないでください。」と、ちょっと強めの一言。

どうやらそのあたりかららしいのです。

K君が自分からお便所で排泄をしたり、 みんなと一緒に食事をしようとしたりする姿を見るようになったのは。

「せんせー、食べたよー。」 「ウルトラマン、怪獣やっつける。」 「○○君たたいたー。」 K君から言葉があふれ出しました。

あの時、保育者が母親に言ってしまった場面にいたKくん。

言葉の意味は分からなくても、 先生は自分を認めてくれているという思いを感じとったのかもしれません。

そしてあの時、ムッとして帰っていったお母さん。

自分なりに頑張って子育てをしているのにというプライドと、 でも、うまくいかない焦りから、

ついつい自分の子をけなすことにマヒしてしまった自分に気がつき、 かなり揺れ動いたことだと思います。

でも翌日からは、少なくとも送り迎えの時、 今までのようなきつい言葉は言わず、 K君が靴をはくのをじっと待つようになりました。

K君の今の活発な姿は、それがきっかけだったのか、 たまたま時期が来ただけなのか、はっきりとは分かりません。

でもあの小さな事件によって、 その後お母さんと保育者がひとつ歩み寄って、 本音で話が出来るようになったことは確かです。

園と家庭が、役割分担ではなく、 共に子育てをし、成長を喜び合える仲間になることの大切さを感じました。