2004年日帰り登山 from 豊橋

2004年6月 2日(水)赤岳2899m(美濃戸〜鉱泉〜硫黄岳〜横岳〜赤岳〜行者〜美濃戸)単独 晴 無風

八ケ岳が日帰り出来ることは当初から判っていた。
無雪期の南北八つには登高意欲が湧かなかった。岩と砂礫の隠れるとこの無いあの岩稜帯の稜線を夏日を浴びながら喘ぐ姿を想像するだけで嫌だ。

それでも先日恵那山で得た情報だと美濃戸まで車で行くことが出来る、と聞いたので二時間あるく時間が短縮できるなら考えてもいいな、と食指が動いてしまった。

前線が列島南に停滞し明日は晴れると言う、また来週は大阪行きなので衝動的に出かけてしまった。
24年ぶりの八ケ岳だ。
腹の用心のため諏訪SAで仮眠し、4時に朝やけに黒い影を貼り付けた八つ目指して走った。残雪はない。

茅野駅から美濃戸までの道筋は一箇所鍵型に曲った記念碑だけしか記憶に無かった。緑に覆われた八ケ岳街道は思い出よりも道路が狭く感じた。
美濃戸口から昔せっせと歩いた林道に入り、美濃戸に到着。最後の小屋は利用者のみの駐車なので手前の赤岳山荘駐車場へ停めた。一台だけ停まっていた。軽い食事と身支度をし6時前に出発。

北沢の赤岳鉱泉を目指して林道を進む。記憶から欠落した予想より急な林道歩きだった。昔の資材置き場を過ぎ登山道に入るかと思ったら、少し先に改良工事が入って明るい広場が出来ていた。
ここから沢に沿って鉱泉を目指す。しっかりした幅広い橋を7つぐらい渡った頃正面に大同心が現れてきた。段々岩場が大きくなってきた頃、すっかり開けた赤岳鉱泉に着いた。静かな小屋前で小憩し硫黄へ向かった。

沢を過ぎ急登に変わり背後に見える阿弥陀岳を高度比較しながら黙々と急登を続けた。

途中曲がり角でカモシカに遭遇した。やがて足元に鉱泉を見、背後の阿弥陀の稜線と同高度に近くなると硫黄の稜線上に人の動く姿が見えだした。

ハイマツ帯に変わり森林限界が終わると突然尾根上に飛び出し硫黄岳へ向かって最後の登りとなる。

硫黄岳まで誰にも逢わなかった。ここで下山者グループと出会った。
硫黄岳で小憩し横岳へと向かう。

斜面を下り山頂小屋前を通過し登りにかかる。陽射しが暑さを増してきた。ピークを越え鎖場を越えると横岳に着く。隠れようの無い山頂で一休み後赤岳へと向かう。

まだ、時間は早い。

三叉峰を越え正面に赤岳を見据えながらの岩場の下りとなる。下り終え地蔵尾根分岐の先の展望小屋で昼飯をとった。

昔の赤岳石室だ。立派な小屋に変貌してしまってた。

昼食中に少し佐久方面から雲がせり上がりだした。小憩後赤岳への急登にかかる。まだ時間はあるので

急がず歩み13時ジャストに山頂に到着。佐久方面は視界がなくなった。
あまり疲れてないので小憩で下山開始した。脆い岩場の急斜面を文三郎新道分岐へと向かう、ここから

足元に行者小屋を見ながら足元の不安定な砂礫の斜面を滑りながら下る。積雪があればアイゼンで快適に歩けるのにと思いながら。あっけなく小屋前に着き、缶詰めを片づけ美濃戸へと向かった。

横岳南端より赤岳を見る。真ん中展望荘。

赤岳横岳鞍部から下ってきた鎖場方向を振り返る。

沢伝いにひたすら下り南沢は昔日のように突然に美濃戸山荘前に

飛び出て終わった。

駐車場で身支度を終え樅の木荘で汗を流して南諏訪ICから高速に乗った。このコースの方が一直線で早かった。

途中駒が岳SAで仮眠のつもりが爆睡になってしまい起きることができなかった。やはり、無理が利かなくなった。

 

今回の山行では中央線側から見た甲斐駒の峻険で壮麗な雄姿に感動した。

 

23時に自宅に着き、案の定TVをつけっぱなしでベッドまで行けずに寝込んでしまった。疲れてるのかな?

 

 

 

 

(左写真)赤岳を阿弥陀岳の方へ下ってるとこ

6/1

21:47 自宅出

6/2
 0:08 飯田IC入る
 0:55 諏訪SA着仮眠 4:04 

 5:00 美濃戸赤岳山荘駐車場
 5:45 駐車場出
 7:34 赤岳鉱泉 7:47
 9:05 赤岩の頭
 9:29 硫黄岳 9:33
 9:39 硫黄岳山頂小屋

10:39 横岳 10:53
11:08 三叉峰
12:00 赤岳展望小屋 12:20

13:00 赤岳 13:08
13:30 文三郎新道分岐
14:06 行者小屋 14:15
15:43 美濃戸山荘
15:48 駐車場 16:04
17:09 樅の木荘出

 

(写真左)文三郎分岐から行者小屋方向を見た。


硫黄岳より赤岳、阿弥陀岳 これから向かう方面  右下赤岩の頭分岐点

赤岳より硫黄岳、横岳 グルリと回ったってことですね

                
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