パソ通ディベート 交歓録             第29回へ

 これは、平成7年に中学校3年生・選択社会科で行った、パソコン通信によるディベートです。相手は、純無頼庵さんという方が引き受けてくださいました。生徒は、自分の力量をはるかに上回るレベルの高い意見に対して、多くの資料に当たり、熱心に調べていました。残念ながら、時間切れになってしまいましたが、その熱闘の跡を紹介します。
 なお、テキストは、生徒名以外は本文のままです。

ディベートの流れ 
   中学生立論 → 純無頼庵さんの立論 → 中学生反 → 純無頼庵さんの反論 → 中学生の再反論  → 純無頼庵さんの再反論

【中学生立論】

はじめまして。ぼくたちは,江南市立布袋中学校3年生のAとBといいます。このたびは,パソコン通信ディベートの相手を引き受けて下さいましてありがとうございます。
 僕たちは,選択社会科で戦争のことについて学習しています。そこで,立場を決めてディベートをしようということになりました。戦争についてはまだよくわかっていませんが,資料を調べながらがんばりますのでよろしくお願いします。
テーマは,「満州事変から太平洋戦争にかけての戦争は侵略戦争だったか」です。
 僕たちは,あくまでも「侵略戦争だった」の立場で意見を述べますので,「侵略戦争ではない」の立場で討論をお願いします。
 さっそく,僕たちの立論に入ります。
 「侵略」を次のように定義したいと思います。
   侵略:他国に侵入してその土地を奪い取ること     【広辞苑】
 また,「戦争」は,とりあえず 年から 年としたいと思います。
 これについてはご意見ください。
 僕たちの主張は,「侵略戦争である」です。
その論拠は,次の通りです。
・ リットン調査団の報告で明らかなように,柳条溝爆破事件は関東軍の陰謀であり, 満州における日本軍の行動は明らかな侵略です。
・ 日本経済の建て直しには,戦争が一番だから。
・ 軍縮で財政負担を軽くしていこうとする世界的状況の中でワシントン海軍軍縮条約 を破棄したということは,侵略の意志が明らかである。
・ 大東亜共栄圏の建設を唱え,朝鮮・台湾,東南アジア全域を支配したことは,  「他国に侵入してその土地を奪い取る」になると思います。
このあとの進め方ですが,まず,定義を確認し,「侵略戦争でない」という立論をお願いします。
その後の討論では,僕たちから主張します。
 どうかよろしくお願いします。

【純無頼庵さんの立論】 6月7日
 浅井君、寺沢君はじめまして! これからよろしくお願いします。君達の意見をこれからも楽しみにしています。こちらも相当勉強してこのディベートのぞみたいと思いますので、君達も受験勉強が忙しいとは思いますが、しっかり勉強してください。
 それではこちらの立論です。その前に戦争の期間ですが、満州事変、日中戦争、太平洋戦争とそれぞれ性格も事情も違うので、まとめてではなくそれぞれについて討論したほうが良いと思います。

「侵略戦争ではなかった」

・満州事変は、当時の中国国内の事情も大きく関係する事件で、けっして一方的な侵略ではない。その証拠に、満州を日本の植民地にしたのではなく、満州人の皇帝を中心にした「満州国」を建設している。
・日中戦争についても同様で、日本と中国国民党政府との戦争であって、この戦争によ って日本は中国国内に植民地を広げたという事実はない。
・太平洋戦争については、戦争の相手はアメリカ、イギリス、オランダなど当時東南アジアを植民地支配していた国々と戦ったのであり、東アジアの国々を一方的侵略したとは言えず、むしろ「植民地解放戦争」の性格が強い。

君達の反論とても楽しみにしています。               純無頼庵


【中学生の反論】

    布袋中選択社会科発 第2信                                     H7・6・12
 純無頼庵さん さっそく立論を示していただきありがとうございました。

それでは,討論に入ります。
純無頼庵さんはつぎのようにおっしゃいました。

 ・ 満州事変は、当時の中国国内の事情も大きく関係する事件で、けっして一方的な侵略ではない。その証拠に、満州を日本の植民地にしたのではなく、満州人の皇帝を中心にした「満州国」を建設している。

今回は,この論にしぼって反対します。

1 満州人の皇帝を中心とした「満州国」の建設は,満州人がつくった国と見せかけるために,日本人が皇帝に満州人を立てたのであって,皇帝の権力は実際にはほとんどなかった。                  (B)
2 満州に財閥を立てたのであって,実際に権力はほとんどなかった。(A)
 3 前回の論拠につけ加えると,関東軍が柳条溝を爆破したのに,中国軍が爆破したという口実を作り,中国軍を攻撃しようとしていた筋書きが事前にできあがっていた。 (B)
以上により,満州事変は侵略である。

反論をよろしくお願いします。


純無頼庵さんの反論】 6月16日

意見ありがとう。君達はほんとうによく勉強していますね。とても感心します。

まず、君達が満州事変、日中戦争、太平洋戦争と分けて考えようとしている事は、こちらとしてもうなずけます。この3つの戦争とも背景に流れるものは共通している部分もあるが、原因理由それぞれちがったものと考えるからです。それはおいおいこの討論の中で明らかにしたいと考えています。

そして今回は君達の満州事変についての考えに反論します。
確かに柳条溝事件を起こしたのは関東軍です。それをきっかけに満州に軍を展開させ満州を占領したのも日本の関東軍です。また満州国という国が日本の主導で建国されたことも事実です。その歴史的事実を争うつもりはありません。
 しかし、それは単なる侵略戦争とはちがいます。もし侵略戦争なら、なぜ日本は朝鮮と同じように日本の一部として植民地支配をしなかったのでしょうか。当時の常識では、植民地として満州も日本の一部としていたはずです。インドはどこの植民地でしたか。フィリピンはどうでしたか。それをあえて満州人の皇帝をたてたのは、中国に大きく期待していたからです。
 当時関東軍の参謀であった石原完爾や板垣征四郎らは、アメリカ、イギリス、ソ連らの脅威に対抗して、日本と中国が連携すべきだという考えを持っていました。そして中国に近代的な強い政府ができることをほんとうに望んでいました。しかし、当時の中国は辛亥革命以来、軍閥が各地にのさばり、まさに内乱状態が長く続く状態で、とても西欧諸国に対抗するどころか、庶民の生活も圧迫している状況であった。そこで、関東軍は軍閥勢力を満州から一掃し、治安を回復することにより、各民族の共和をはかり、理想の国家を建設をめざしたのである。
 だから満州事変は侵略戦争とはいえず、軍閥勢力を追い払い、「王道楽土」「共存共栄」「五族共和」の理想国家建設をめざした戦いであった。

反論期待しています。                     純無頼庵


【中学生の再反論
】   
   布袋中選択社会科発 第3信                                     H7・6・19

 手ごわい反論ありがとうございました。
今回は,「満州事変は,理想国家建設を目指した戦いだった」という意見に反論します。
昭和4年,田中内閣が崩壊後,民生党の浜口雄幸が内閣を組織しました。浜口は,外相に幣原喜重郎,蔵相に井上準之助を起用して,田中内閣とは異なる内政外交政策を展開しようとしました。さらに浜口内閣は,中国との関係改善を外交の柱に軍縮・緊縮財政,金解禁による産業合理化=対外競争力の強化を内政の柱にすえました。
 ここまでで考えれば,純無頼庵さんの言うこともわかります。ロンドン軍縮条約にも調印しており,侵略の意図がないのは明らかです。
 しかし,1929年のニューヨーク株価大暴落に始まる世界恐慌は,日本経済を直撃し,企業は深刻な不況に陥り,大量の失業者を生み出しました。米価と生糸の価格の暴落は,農民の生活を根底から破壊しました。欧米諸国は保護貿易主義を採用して,ブロック経済の形成に奔走し,日本の輸出は大幅に減少していきました。この情勢が日本,さらに日本の指導者を変えたのです。
 この時期には,危機の突破口を満州の植民地化に見いだす勢力が台頭しました。つまり,満州を日本の原料供給地,日本の輸出市場として独占的に確保することによって,恐慌から抜け出そうと言うわけです。
 この勢力を人格的に代表したのが関東軍の石原莞爾であり,政友会の松岡洋右でした。
 純無頼庵さんは石原・板垣が,中国に近代的な国家ができることを望んでいたと言われましたが,この二人は,佐久間大尉に「満蒙ニ於ケル占領地統治ニ関スル研究」を書かせています。この中には次のように書かれています。
 
  進ンテ占領地富源ノ開拓ヲ図リ以テ我帝国作戦ノ為メ十分ナル各種資源ヲ供給シ且 帝国財政ノ緩和ヲ図ルコトヲ期ス 『日本の歴史  巻』(小学館  )

 これは,侵略であることの証拠ではありませんか。石原らの理想国家とは,あくまで日本に都合の良い理想国家であるのです。
 よって,満州事変は,侵略戦争であり,世界恐慌から抜けだそうとするための戦いなのです。
反論をお待ちしています。     B


純無頼庵さんの再反論
 B君 ほんとうによく勉強していますね。感心します。君の意見に反論するには本当に大変です。こちらもいろんな文献資料をあたってよく考えてみました。それでは以下は反論です。
 
 まず満州事変から満州国建国までの過程を考えてみたいと思います。1931年9月18日に柳条溝事件が起こり、その後1932年3月1日に満州国が建国されました。
それ以前の満州は事実上、張学良軍閥がしはいしていたことは知っていますね。関東軍が戦った相手はこの張学良の勢力であったことを確認しておきます。その張学良の勢力が満州から関東軍によって一掃されると各地に有力者を中心に「地方自治維持委員会」ができたり、各省が独立政府を作ったりしていました。そしてそれらが一つの方向に集まり満州国建国につながったのです。その動きに積極的であった中国人の有力者の張景忠、干沖漢らの考えは、「第一に張学良のように英米と結ぶよりも日本と経済上の共存共栄をはかるほうが弊害がすくないであろうと考えた。第2に、従来より張学良が満州を支那本部の純然たる一部とする傾向に対し強い反感を持っていた。第3にソ連の東方進出、及び支那の共産主義化に対し極端に恐怖と憎悪を感じており、これに対抗上に日本の援助を期待した。」(外務省編「日本の外交文書・満州事変」)とあり、決して日本の都合のみで満州国が建国されたわけではないのです。よって一方的な侵略戦争とはいえないと思います。また、関東軍の石原完爾もその著書満州建国前夜の心境の中で、「満州事変の最中における満州人の有力者である人々の日本軍に対する積極的な協力と 軍閥打倒の激しい気持ち、そしてその気持ちからでた献身的な努力さらに政治的な才 幹の発揮を眼のあたりに見て・・・満州国建国に力を注ごうと考えた。」
             (中公新書「キメラ・満州国の肖像」山室信一著  )
と語っています。これも満州国建国が単なる侵略とは違い、現地の人々の意向も強く働いていた証拠と言えるでしょう。 
 また君の世界恐慌から抜け出すために侵略したという意見ですが、果たして満州事変の結果、日本は本当に財政が潤い、不景気から脱出することができたでしょうか、むしろ軍事費の支出が増大に苦しくなったのではないでしょうか。そう考えるほうが自然だと思います。これに関してはこちらもまだはっきりとした資料を得ていないので、次回までに研究しておきたいと思います。君達もまた調べてください。

 今回はまた難しくなってしまいましたが、わかりましたか。受験勉強も大変でしょうが、それにもましての素晴らしい勉強ができると思いますので、いろんな資料で調べてください。反論楽しみにしています。          純無頼庵