授 業 雑 感                第43回へ
              −−授業の副次的留意事項−−
                                                         
* チャイム−−起立−−礼−−(導入)
授業の開始のポピュラーな部分である。
どうあろうと気にもとめずに進める人も、形をやかましく言ったりする人も ある。しかし、馬鹿にしてはいけない。この呼吸が合うか合わないかによって授業の冒頭部分の成否がかかわってくる。この形が授業の内面的秩序にもかかわる。
理想的にはこんな流れをイメージしている。
チャイムの鳴る直前に教科書、ノート等が用意され、開かれているーーチャイムが鳴りかけたころ教師が出入口に現れ、戸を開けると同時に「起立」の号令−−教卓の前に立ちおもむろに全体を見渡し終わったとき「礼」−−「着席」 ーー「今日の勉強は−−」。
著しい乱れがない限り整頓の号令や時間をかけて整列を待つなどということは気を集中させないだけだ。
チャイム前の早すぎる準備完了は緊張時間が長くなり「着席」のざわつきを生みやすい。
準備不足は「起立」「礼」という挨拶がもたらすほど良い緊張を消してしまう。

* 導入とは
授業の段階は考え方によっていろいろに区分されるが、所詮は導入、展開、整理の3ステップにまとめられる。
導入とは、授業の冒頭部分であり、生徒が本時は何をするかを明瞭に理解すればよいのである。時間は短いほど良い。「今日は−−をします。」というのみで事足るならばこんなすばらしいことはない。
また、導入は学習しようとする生徒の内面的秩序を作るためであることを記銘したい。
学習目標を端的に告げること、興味・関心を高めること、前時の内容を想起させて本時の目標に繋げるなど多様な方法はあってよい。緊張し過ぎているときはほぐしてやるゆとりも大切。
考えすぎ、懲りすぎは愚の骨頂、そのために焦点がぼけたり、肝心の展開が単調な印象となる。もってまわらず端的に。
復習が目的ならいざ知らず、そこに時間をかけすぎたら導入がまた別に必要である。復習は本時の学習に必要不可欠なことのみ。

* 授業における「発言」雑感
 1 生徒の側における座席と発言  
発言しやすい席とそうでない席というのも不思議にあるものである。前の方の席、中央の席は案外気楽にものが言える。これに対し後ろと側方は発言の時多数の級友が目にはいるので第一声は出しにくいものである。ただ発表に慣れた者にとってはそんなに気になるものではない。
また、発言の傾向としては与党的発言は前や中央がらくであり、後ろや側方は批判的発言がしやすいものである。
さらに、後ろ、両側方、前方の者が次々に発言しかけると殆どの者がものを言わずにはおれない雰囲気になっていくものである。

 2 ものを言いやすい時
誰でもものを言いたい状況になれば発言はする。しかし、朝と午後とでは 大いに異なる。発言しても朝はどちらかといえば堅い。午後の方がゆとりのある言い方になる場合が多い。1時間の中でも同じ事が言える。
また、1度発言すると2度目は気軽に挙手してくるものである。従って、どうしてもA君にまとまった発言をポイント場面でさせたいと思ったら、授業の早い場面で簡単な発問(挙手してくると思われる)に答えさせておけば良い。きっと、大事なところで挙手してきますよ。
 
 3 参観者が「よく発表している」と感ずるとき
参観者は通常後ろで見ている。そのため、後方、両側方の席の者がよく発言すれば活発な授業と感じていくし、その発言内容についても、前方のものの言よりも以上に共感を覚えやすい。
また、発言者の室内の位置が三角形型に変化していくと一層感動を覚える。さらには、教師対生徒のやりとりは、教ー生ー教ー生ー教よりも、教ー生ー生ー生ー教のように進んだ方がよいことは言を待たない。

 4 長く話せない子たち
深みのある発言は単語的な発言では無理である。現在長く話せる子は少ない。何がそうさせたのだろうか。
テレビ(特に子どもむきバカ番組)、劇画、マルバツ式テスト、略語中心の日常会話、etc 何よりも我々の指導。
長文の朗読、メモを見ない発表、単語の発表ではなく、考えを要する発表 幼時からの訓練不足は大きい。

* 展開とは
いうまでもなく授業の核心部分である。授業理論によって各段階が分けられ、それぞれの命名がある。
展開の計画を組む手順としては、教材研究ー教材の構造研究ー生徒の学習構造・学習活動立案ーその文章化ー教師の活動立案ーその文章化ーといったところが一般的かと思う。教材の構造研究の次に教師の活動を考えてしまうと生徒を育てるプランが甘くなりやすい。
生徒の学習活動としては、調査、思考、創造、表現、作業、鑑賞、習得訓練などがあり、既習能力、時間等を勘案して教師の考える学習指導理論のもとにこれらを組み合わせてブランが出来上がる。 
生徒の学習活動の予測が立たないという時には、生徒の実態把握が不十分であるか、生徒の活動と教師の活動の識別が十分に意識されていない場合が多い。
生徒の学習活動の予測ができなければ、助言・支援の計画もできない。

* 「調査」活動をめぐって
学習活動における「調査・調べごと」の活動は知識の定着ということにおいては大した意味を持たないが、学ぶ方法の理解、生き方の学習ということにおいては極めて重要な意義を持っている。しかし、資料を用意しておいてその場で調べさせるという方法を除いては、指導者側の負担が大きいことから、つい略されてしまいがちなのが残念である。

1 調査の動機
学習計画の全貌を理解させてから、教師による指示または計画立案途次における生徒の発意によって進めるのが効果的と思う。えてして、その中間型のものが多いように見受けられるが、教師の自己満足に終わっていなければ幸いである。中途半端なレポートが出てきたらこの類と思って良い。

2 調査の立案指導
教えなければならないことはこんなことであろうか。もちろん生徒に十分考えさせながら進めるのだが。
学習計画全体の中における位置、意義調査方法、外部への依頼事項があるときはその方法、集約、整理、分析の展望どれかが洩れると後が必要以上に大変になる。

3 集約、整理、分析の指導
立案段階で展望を教えてあるからといって放置はできない。改めて意義から語りきっちり指導することが大切である。
集まったものを教師の目で見れば以後どう進めれば良いかは簡単である。生徒の考えをベースに発表できるまでのまとめ方、量、発表方法と発表時間、出来上がるまでの所用時間等を助言したい。 

4 分担調査の問題
調査活動は分担によって行われることが多い。そのために教師や生徒にとって落とし穴が存在することを忘れてはいけない。
生徒が分担してことを進める場合、全貌を真に知っているのは指導する教師のみである。生徒は自分の担当した事については教師並のエキスパートになっているが他のことについては殆ど無知である。学習方法についてはすばらしいものを得たが定着するべき知識についてはアンバランスがひ どくなっている。教師はこのことを念頭に置いて以後の指導を進めなければならない。

5 調査の訓育的課題
外部に調査を依頼することは生き方指導において大きな意味を持っている。
必ず押さえなければいけないことは、調査を依頼される人にとっては迷惑なことだということである。近年ふえてきた「案内所」とか「公的機関」のしかるべき窓口といえども商売目的のところでない限り迷惑に違いない。そのために、人間の常識として礼儀ある依頼の仕方、相手に負担をかけない内容や方法、節度あるお礼の方法、経費負担を相手にさせないことなどを考えさせる必要がある。
これは生き方指導の一つであろう。礼儀知らずの若きマスコミ諸公はこの品性に欠けるのではないか。

* 個の「思考」活動をめぐって
「思考」の活動こそ、学校の授業でしかできない重要な学習活動であり、個性が最もよく表れ、また育つ学習活動である。人間の知性を育てるという重要な意義を担う。高い指導技量を要するし、軽薄な世相の中でもあることから生徒も苦手でなかなか本格的なものにならないでいるのではないか。個別の生徒の思考傾向が類推できるようであれば最高の教師である。

1  内容  何を考えるかがわかっていなくては考えることは不可能である。 あいまいなままに「考えよ」という授業が意外に多い。
2  材料  考えるにも資料、材料がいる。最大の材料、ベースとなるのは案外前時の学習内容であることが多い。前時間の復習を要点的に行い思考の材料になるように黒板に残されていると生徒は楽をする。あまりまとまっていない板書のほうがよい。
3  時間  考えるには時間がいる。最低3分、まとまった思考にはそれ以上が必要。教師の方が沈黙に不安となりしゃべってしまって思考の       妨げとなっていることがよくある。
4  方法  思考の方法を知らなくては考えることはできない。思考にもいろいろなタイプがあり、その類型を知っておく必要がある。シャルダコフの説によれば次のように分類される。

  分析、総合、比較、帰納的推理、演繹的推理、類比的推理、抽象化、一般化、具体化、因果、関数的関係、空間的関係、時間的関係、連関、可逆性、分類、体系化    

 その時の教材にマッチした思考方法をとらせていきたい。もちろん、類型にふさわしい発問であるべきだ。

5  訓練  思考力も訓練によって伸びるものであり、思考の類型をわきまえてどの教材でどのタイプの思考を主力として伸ばしてやるか1年を単位とする見通しが大切である。
       思考訓練の第一歩としては、
        原因と結果の分かっているものを取り上げ、その因果性を追究させる        
        具体的な内容がいくつか存在する2者を比較させる
      あたりが適切であろう。
      なお、思考活動を伴つて得た知識は極めて定着が良いことも知っておこう。

* 集団の思考
生徒においては、個の思考においては限りがあり、弱点箇所の補強や他の発想の論理との練り合わせが必要である。この目的と十分な思考をなし得ない生 徒の学習のために集団での思考活動が大切であり、その場の設定が授業に求められる。こうした場を経ないで育ったり、あまりに優秀で他の考えを常に圧倒して育ってきたものなどは独自の偏見を持ちやすいのではないか。

1 小集団  3人(最小の相談単位2人では人間関係が優先しすぎうまく行かないことが多い)、または6人(必ず異質のものが入り思考の質が上がる)を基本としてすすめる。
小集団思考から全体思考へと進める場合は、あまり時間をかけてはよくない。思考がほぼまとまってきていることから全体での活動に入ったとき、どうしてもう一度との発想が残り意欲が乏しくなりやすい。また、少数派の発想が消えてしまう恐れがある。さらには、全体での討議の際小集団の考えにこだわり柔軟性を欠くおそれもある。各個の考えの決定的弱点の批正、十分な思考のできないでいるものへのヒント提示の程度にしておきたい。

2 全体  理想的に小集団での思考が行われたときは多数が挙手してくる。挙手したものをどんな順で指名していくかが成否を握る。主力の意見を2.3人、異質のものを入れて後は質問を織りまぜ議論を戦わさせていくのが定法だろうか。じっくり練り上げさせていきたい。
本時のエースとなる者の発言をどこにいれるかもポイントの一つ。優秀な子を先に発言させたらおしまい。いちいち評価を加えていたら否とされた者は次第に発言しなくなる。教師はある時点まで司会業(意図は持ちながら)に徹すべし。
全員の得心までいかないうちに結論までいってしまうようでは司会が下手。この場合は遅進生徒のために結論だけでなく全体での思考過程をまとめてやることが必要。

3 小集団思考の時の教師  全体討議の司会のためと割り切って各個の思考傾向の把握に努めるが第一。思考の十分出来ない子への支援、異 質な思考をする子への激励も大切。題意が十分把握されていないときは再提起。

* 「思考」補足
1 1時間の授業の中ではいくつ?
インスピレーション的なものは除いて考えると2つ(その場で行う調査活動を含めて)が好ましい。若干の軽重差をつけ、思考方法(思考類型の違い、順思考と逆思考等)も異なったタイプのものが展開されると見事である。

2 思考活動は概念で
考えることを要求した後は通常、発表、討論というパターンが展開される。何とか格好よくと思うことから、発言にレベルの高い言葉(少しでも専門用 語に近いもの)を使わせよう、使ってみようという傾向が見られる。その意欲は悪くはないが、そのために思考が進まないという弊がしばしばみられる。思考活動は本来その人の概念のレベルで行われるものである。「レベルの高い言葉」という呪縛から開放してやる努力がないと思考は進まない。

3 ディベートについて
論議を活発にさせたいとのことから、近年ディベート方式を取り入れた授業が行われるようになってきている。これを否定するものではないが、どう活用するかを間違えると育つものが変わってくることに留意したい。ディベートは本来的には相手を論破することを主眼としているから二者択一的発想にある。弱点を補強し合うとか練り上げ合うことを狙うこととは異なっていることを理解した上で取り入れていきたい。

* 創造(含表現)・鑑賞活動
1 基礎・基本  近年その重要性を増してきた領域である。しかし、大人のレベルで議論されることが多く、案外基礎・基本が等閑にされていないか。思考と同様に類型があり、それぞれに陶冶されていかなくてはなるまい。 

2 必要な自由  あらゆる学習活動の中で最も自由が必要であり、事実各個にとって自由になっている。完成された大人にとってはそれで良い。しかし、未完成のものにとっては自由であることは同時に分からないということでもある。方向性、若干の制約(条件といっても良い)があることが伸ばすことにつながろう。個への対応が最も考えられなければならない領域である と思う。

* 技術(作業)・習得
1 基礎・基本  近代化に伴う生活体験が乏しくなってきている昨今、生徒の力量が以前に比べて低下してきているところである。もっとも、音楽・美術だけは進歩が著しい。家庭には期待できない、生徒の身には何もついてはいない、と考えてかかっても火傷はしない。

2 反復・訓練  技術の面で顕著であるが、思考・知識等どれをとっても反復し、訓練をしなければ習得・定着ということにはならない。それを知りながらも体育・音楽・英語を除くと意外に軽視されている。生徒自身でできることなのに今や塾に頼っていることが多い。宿題にでもしないとやらない。必要性を十分に説き個に応じて手法も教えていく必要がある。授業中にももっと取り入れたい。知識面でいうなら学習後24時間以内に復習されたことの定着は高率である。さらに4.5週間後にもう一度復習されると一層定着度は高まるという。スポーツ技術は1週間反復を忘れると低下する。

* 関心・意欲・態度
真の学習を追究するという意味から、近年強調されてきた。しかし、どうし たら良いかと迷っているのが実態であろう。これまでに述べた学習活動が真に行われるならば、正しく育つとはいえよう。それと、発展的な学習を進め、援助できたら大きく変わってくると思われる。
また、我々の評価観の中心が知識・理解とか、技術とかにあって未だに抜け切れていないのも否定できない。ただし、関心・意欲・態度をみようとするとき、表に現れるもの(忘れ物など)のみではなく、内面的なものを見落としてはいけない。内面的なものは、じっくり出てくるものであり、発展的な学習や活動を見ていくことが肝要であろう。

* 評価・評定
評定を意識するため評価に困るという側面がある。しかし、評定を意識しなければ評価も等閑になっていくという見解もまた真である。
評定をするために我々はペーパーテストを多用するが、観点にふさわしい評価方法を採らなければならない。知能教科に課題が多い。調査は実際に調査をする中で、思考は授業の中で(例えば、個別思考のメモを2枚作らせ、協議の前に1枚は提出させるのも方法である)、鑑賞も各時間の中でというのが本来であろう。
観点別のウェートを常に均等にというのも考え直して良い。単元別・題材別に大胆になろう。

* 整理とは
時間をかけるべきか、否か迷うことが多いが、整理の段階に入れらるものには、次のようなことがあろう。
1 本時の内容を再度構造的に把握させること。この活動がないと遅進生徒には理解が行き渡らない。学習の要点を復習させつつ教師が纏めても良いし、2.3の生徒にまとめて語らせても良い。
2 記憶すべき点を確認させること。この活動の有無が生徒の自宅での復習を容易にさせる。
3 発展的な課題の例を示してやること。関心・意欲を高める基であり、個性を伸ばしてやる根元でもある。
4 次時の予定をはっきりさせる。
時間不足等で案外実施されていないことが多いが、時間配分をしっかりしたいもの。
なお、単元のまとめには、レポートがもっと課せられても良い。
  
* 自宅学習
自宅学習としてさせなければいけないことは基本的には二つ。
1 学習事項の定着への努力。よくなされてはいるが、どちらかといえば押しつけによるものが多いのではないか。本来は復習方法を指導すべきもの。ドリル、ワークの多用は疑問。
2 自宅とうにおいてしなければできない調査。
  とにかく宿題が多すぎる。それを歓迎する親、生徒、安易に頼る我々、問題は多い。