第15回授業実践フォーラム講演 要旨       社楽の会へ
                         主催 (財)総合初等教育研究所
                     於 羽島市文化センター  記録 土 井
大会テーマ
 教育の行方を探り、教師の力量の向上を考える~今こそ求められる教師力とは~

 この記録は、土井によるメモから作成したものです。従って、誤字脱字や主観的な解釈、誤解もあり得ます。文責はすべて土井にあり、主催者や講師には一切責任はありません。そのため、引用や転載はご遠慮ください。また、問題の箇所は修正しますのでお知らせください。
   

6月2日(土)
「教育改革と学習指導要領改訂の動向」
  布村幸彦氏 (文部科学省大臣官房審議官初等中等教育局担当)
 国の教育改革の動向、指導要領の改訂を説明したい。参考にしていただきながら、各学校で特色ある実践をしていただきたい。
 このフォーラムは、(財)総合初等教育研究所の主催であり、代表の梶田先生には、中教審の実質的な代表をやってもらっている。協賛の文渓堂には、道徳の教材を提供していただいた。「手のひら文庫」の読書感想文コンクールもやっていただいている。
 梶田先生には、週に何回も東京に来ていただいている。土日や深夜にも審議を重ねていただいた。
 教育課程以外にも、「子どもを守り育てるための体制づくりのための有識者会議」でも座長をしていただいている。そこでは、行政として何ができるのか、学校に何を伝えればいじめの防止につながるのかを議論してもらっている。
 今日の話は行政の立場なので、学校現場にどこまで生かせるかわからないが参考にしていただきたい。
 現在、各地で創意工夫あふれる実践が積みあがっている。今後、行政の立場としては、いかにそれらを支援していくか。さらに、基本的な基準の設定と評価が役割である。学校では、行政がいろいろとメニューを示すので、実情にふさわしいものを取り込んでいただきたい。
 教育再生会議からはいっぱい宿題をもらった。これまでの中教審の流れの中にどう位置づけるか議論していきたい。そして各学校でご判断いただきたい。
 おそらく、各学校で特色を出そうとするときに、子どもたちは多様な学びに興味・関心を抱く。そういったものをつなげて、地域の方、外部の専門家の多様な知恵を借りて子どもたちの学びにつなげていただければと思う。開かれた学校の取り組みを、制度として活用してもらって、子どもたちの豊かな学びにつなげていただきたい。
 岐阜県教委の方には、落ち着いた形で意欲的な教育行政を進めてもらっている。特色ある取り組みもやっていただいている。日頃はご苦労があろうが、全国的には落ち着いた環境にある。日頃の取り組みを続けていただきたい。
 
 教員の多忙感がある。実態調査を40数年ぶりにやった。月平均、40数時間の超過勤務、10時間の持ち帰り仕事があることがわかった。
 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/05/07052313.htm#top 
 教員は多忙である。世間では夏休みがあるとかいうが、夏休みも実際は休みでない。このデータを示して、給与も考えていきたい。教員給与については以前厳しい話が出たし、仕事ぶりによってメリハリをつけろという話もあったが、この調査結果を給与で報いるにはどうすればよいか考えたい。
 本題に入る。私は富山出身だが、両親が教員だ。こういう時には、いつも父母がどう思うかを考えながら話をしている。同級生にも教員がいる。担当課長をしているということで、同窓会の時には中学校の先生から厳しい話を聞いた。「総合は高校入試の役に立たない。」といわれた。指導要領にここまで厳しく言うのかと、同窓会で意気消沈した。行政として、現場の声に敏感な感性を持ちたいと思って仕事をしている。
 レジメを準備した。教育改革の流れを前半に、指導要領の流れを後半に話したい。教育改革はまだ途中だが、教育の方向を示してみなさんには安心していただきたいと思っている。
 
1 国の教育改革の動向
 日本は国際的に見れば、PISA調査結果にそこまでショックを受けるのかと外国からは見られている。実際には高く評価されているので、安心してもらいたい。
 教育基本法の改正があり、戦後60年の教育のバックボーンの見直しをして、今後50年間、100年間、教育に何が大事かと思って指導要領の改訂を待っていた。昨年度も昨年度中にと思ったが、いじめ自殺の流れ、高校の世界史未履修の問題が起き、対応している中でも教育基本法の審議が続けられた。改訂の話し合いが十分できずに、今年度に入った。今年度中に改訂し、現場で新しい実践をしていただきたいと思っている。
 教育基本法は昭和22年3月31日にできた。今回の改正の基本的な考え方は、個人的には、個と公のバランスを図りたいということだと思う。戦後、日本は個を尊重してきた。これから大事にすべき理念は、その際、「公」という言葉を大事にし、「個」も大事にしながら、新たな「公共」という考え方を入れていきたいというのが本当のところである。マスコミは、「愛国心」にばかり目を向けていたが、あくまでも個と公のバランスが中心である。個の尊厳を大事にし、社会、国家に自ら主体的に参加する理念、一人を大事にしながら、支え合うことを大事にしたいのが改正の趣旨だ。さらに、生涯学習、私立学校、家庭教育、幼児教育も新たに加わった。
 生涯学習の概念は、昭和22年にはなかった。当時は義務教育が主眼だった。その後、世界的にも生涯学習の概念が出てきた。今では、生涯学習の中で学校教育を位置づけようということになった。
 家庭教育は、22年当時は行政が踏み込んではいけないタブーの世界だった。しかし、家庭が大きく変わって、そのことは学校の先生が一番感じているのではないか。教育の原点は家庭にある。責任は親である。人生最初の教師は親。それを確認したくて教育基本法に入れた。
 幼児教育。現時点では、98%は幼稚園・保育所に通っている。脳科学では幼児期が大事という研究結果も出たので、このたび幼児期を入れた。
 宗教もタブーだったが、心の教育が問題にされた。宗教が位置づけられていないのが国際的には異質だった。高校の選択の倫理社会では扱うが、義務教育卒業までに、少しは宗教について考えることも大事なのではという考えだ。
 マスコミからは愛国心を盛り込むための改訂という誤解を受けたが、50年、100年先の方向を見据えている。新しい局面に日本の教育が入っていく。これが、学校の先生方に伝わるように法律を変えて、実践にどうつなげるのかを考えていきたい。
 そして、教育再生関連3法案。昨日、再生会議から報告書が出た。第一次報告が1月に出た。再生会議から4つやってほしいというのが出た。
 教育再生会議とはそもそも何か?安部総理の元で閣議決定された諮問機関である。この報告を受けて、文科省は内閣の一員なので、文科省として教育の改革につなげていく。簡単にいえば宿題をもらったということで、これを中教審に相談して、指導要領の改訂に入れるか議論していただく。
 新聞報道では週5日制が終わったかのようにいわれているが、5日制を維持していくスタンスは変わっていない。
 今審議されている法案について、特に大きな関わりのあるところだけ説明したい。全体で4つの法律を3つの法案にまとめている。
 
「学校教育法等の一部を改正する法律」
(1)教育基本法の改正があり、指導要領の改訂につなげるために、目標規定を見直す。「公」の部分を書き加える。
 ○ 規範意識、公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度
 ○ 生命及び自然を尊重する精神、環境の保全に寄与する態度
 ○ 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度、
   他国を尊重し国際社会の平和と発展に寄与する態度
これに加えて、義務教育の目標を規定した。9年間の義務教育でどのようなことを考えていくのかを明らかにしようとした。9年間で実現を図ることを新たに入れた。小学校は基礎、中学校は完結と整理し直している。
 http://www.stop-ner.jp/houan166/gakkyo002.pdf 
(2)新しい職を設置できる。日本の学校はナベブタ式。それを、組織体制として、効果的に発揮できるように、副校長、主幹教諭、指導教諭という職を置くことができる。現在の主任性より、責任が明確になる。
 指導教諭は、授業研究や指導、評価の中心となる。組織力を高める。具体的には、校長が教委と相談して発令する。管理職を目指さずに、教員をやり続けようとする人を生かすための方策でもある。
(3)学校評価・情報提供
学校評価は、すでに90%以上がやっている。しかし多くは公表していない。保護者から見て、学校評価を認識している人も5割に満たない。きちっと公表するのが課題である。設置者に説明するためにも情報提供すべきだが、実際には評価の結果が設置者に報告されていない。今回は、制度として情報の提供をしてほしいと制度化する。教員には、また仕事が増えるのかと思われがちだが、まず説明するのが大事。学校で何に力を入れるのかがわかれば、保護者も協力しようと思うところを協力できる。地域の人、企業にも多様な方がいる。その力を借りて学校の教育活動を豊かにする。そのきっかけとしての情報提供である。施行期日は年内に動き出す。(2)は来年4月から動き出す。
「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」
 教育委員会の活性化、体制の充実、国の責任の果たし方が問題になっている。
 
「教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法」
(1)教員免許更新制
 今後は教員免許状は10年間の有効期間となり、免許更新講習を受けることになる。前の2年間で大学で30時間受けてもらう。
 現職には更新制はないが、10年間ごとの講習は受けていただく。以前話題になった指導力不足の教員の排除は、免許制度にはなじまないと考えている。そうではなく、先生方の知識や技能のリニューアルを主眼としている。新しいものにしてもらう機会である。ICTや教育心理など、新しいものがどんどん出てきている。そういったものに積極的に取り組んでいただきたい。そうした費用はこれからの課題である。自分のことだから個人負担という考え方もあるが、法律で定めるものなので、負担の軽減が図られるように取り組んでいきたい。これにより免許状が失効することはない。
(2)教育公務員特例法
 指導力不足教員の人事管理の厳格化を定めている。H17年には500名あまりが講習を受けた。これを制度として位置づけようとした。
 校長が教委に通知し、判定委員会に諮ってもらい、そこで認定されると原則1年間の研修を受ける。そこで問題があれば分限免職か、事務職への転職を考えている。子どもたちにとって、指導ができない先生に教わるのは問題。おやめいただくいうのが今回の改正だ。管理職や指導教諭、指導主事は更新講習を免除する。
 以上が再生会議第一次報告を受けて、緊急に法律を改正している内容である。
 
 ここまでで最近の改革の動向を伝えた。昨日教育再生会議の第二次報告が出た。はじめに「学力向上」という柱が出た。新聞には「ゆとり見直し」とあるが、ゆとり教育という言葉が一人歩きするのは残念だ。文科省はこの言葉を一度も使っていない。かつての詰め込み教育、受験戦争時代の発想から、自ら学び自ら考えるという発想への転換が行われたのが昭和52年の指導要領だ。そこで「ゆとりと充実」という言葉を使った。充実のための手段としてのゆとりだった。教える内容を減らして、自ら学び考える力、判断し表現する時間に使おうというのがねらい。ゆとりを教育の充実につなげた。これは今回も変わらない。ゆとり教育見直し という言葉が先行しているが、学力観についてふれたい。
 学校教育法の第30条2項に、小学校に新たな規定をもうけている。

 生涯にわたり学習する基盤が培われるよう、基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ、主体的に学習に取り組む態度を養うことに、特に意を用いなければならない。
 
 ここで、学力観を法律上位置づけた。これで学力とは何ぞやという議論がなくなる。
 
 再生会議第二次報告の提言の1「授業時数10%増の具体策」は、週5日制を前提としている。総合的な学習の地域学習を取り組む際に土曜日にやらざるを得ない場合、希望制の補修を土曜日に活用するのもよい。授業時間全体で増加を図るのが検討課題。
 提言2「心と体の調和の取れた人間形成」は徳育を教科としている。道徳は教員には難しい。道徳の免許があるわけではない。教員対象の自己評価による調査結果も、「自然を愛する」はよいが、「社会とのかかわり」は指導するのが難しいとあった。心のノートをつくって、考えるきっかけ、行動するきっかけとしたが、難しいテーマだ。高い学力と高い規範と安部総理は言うが、道徳を教科にして何が変わるのか。評価をしないし、免許も出す必要もない。さらに教科書が難しい。価値観が伴うので検定が難しい。
 
2 学習指導要領改訂の基本的方向性
 指導要領の改訂は、H17年から議論がスタートした。
 レジメを見てほしい。
○ 確かな学力を育む
  ・基礎的・基本的な知識の確実な定着と自ら学び自ら考える力の育成
〜「習得型の教育」と「探究型の教育」の統合〜
○ 豊かな心を育む
・道徳教育の充実と体験活動の推進
○ 健やかな体を育む
 こうした前半はぶれることはない。変えるときは法律の改正が必要だ。「習得型」と「探究型」のバランスをとってはぐくんでいきたい。知識・理解は実践につながらない。体験を充実させたい。中学校ならディベートもいろいろな考え方に触れることができる。道徳でもディベートを重要視したい。それとともに体験活動を重視したい。実際に身につく。自然体験活動も大事だが、中学校では職業体験活動も重要だろう。1週間もやれば、親や教師ではない第三者の大人とかかわることになる。それも重要な体験であろう。
 次の指導要領を一言で言うなら、言葉と体験を重視」ということになろう。
 言葉については、言語力育成協力者会議を設けて、そこも梶田先生に座長を受けてもらっている。   http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/index.htm 
 PISA調査は、文章だけでなく、いろんな資料から課題や現状を読み取る。理科なら実験、社会科ならフィールドワークをしてレポートをまとめるなど、教科の連携を図って、全体として言葉の力が学力の基盤とするのが大きな流れになる。体験も、実感から体得する面を大事にしたい。そのために、書かせる指導も重要視したい。
 
 5ページには、基本的・基礎的な知識·技能の着実な定着として例示している。
国語:やさしい古文や漢文の音読や暗唱を重視、漢字指導の充実
社会:都道府県や世界の主な国々の一と名称などの確実な指導といった空間軸、
歴史なら大きな時代区分といった時間軸
算数:計算能力などの確実な習得
理科:科学の基本的な見方や概念を柱とした教育内容の充実
 思考力や表現力の育成では次の例示をしている。
国語:対話、記録、要約、説明、感想などの言語活動、読書活動を充実
算数:言葉や数、式、図、表、グラフなどの相互の関連を理解し、それらを用いて説明   ・表現する指導の充実
理科:観察・実験や自然体験を充実
 6月23日までに法律が通れば、指導要領を集中的に議論したい。
 
 資料はないが、大きな課題がある。
1 公共の精神、社会に形成参画する態度
 社会科や道徳につなげるか、宗教をどう指導するか、情報教育の課題、言葉の重視
2 国語力、読解力の育成
  論理的な思考力、情緒・感性を支える言葉の役割、他者とのコミュニケーションなど適切な言語運用を目指すことは二つ目の課題。
3 理数教育の充実
 授業時数にもつながる課題として議論してもらっている。
4 小学校の英語
 小学校5、6年で英語活動の重視を打ち出したが、その条件整備をしている。小学校の段階でどのように展開するのか議論をしてもらっている。すみやかに結論を導く段階に来ている。
5 体験活動の重視
 自然体験、職業体験、奉仕体験
6 小中の連携
 どのようなカリキュラムを構成するのか、高校とはどこまでやるのか議論をしている。
7 評価のあり方
 中教審で審議を重ねていただきたい。
 もう少し具体的に話したいと思ったが、その段階でもないので、現在の流れを説明した。最後に、授業力の向上に勤めている先生方。授業研究、授業評価は国際的に誇れる文化である。行政はそれを支えたい。現場の先生方が悩まないように行政は努力したい。
 
 
「教育」-その歩む道
   梶田叡一氏(兵庫教育大学長・中央教育審議会教育課程部会長)
 復習をしたい。バランスの取れた学力を目指していることは変わらない。4観点がからみあった形で育っていくような総合的な力を各教科で培っていきたい。
 新聞に報じられた再生会議第二次報告を手元に配ってある。各新聞に大きく出たが、新聞は目についたことだけをクローズアップする。だから「週5日制がなくなる」などの間違ったイメージが出てくる。詳しい方をみると、現実にかみ合ったものになってきたことがわかる。初等中等教育については9割以上はやってきたかすでにやることになっているものばかりだ。
 道徳は、「国は徳育を従来の教科とは異なる新たな教科と位置づけ、充実させる。」とある。しかし、これまでも教科みたいなもの。新しいことを言っているわけではない。中教審としては、徳育は道徳だけではやれないと思っている。教科書が争点になるだろう。
 こういったことを決めるのは、中教審だ。再生会議には総理大臣が出席して、その指示で子育ての話も復活した。しかし、二次報告に書いてあることを全部やるわけではない。あくまでも、中教審の答申に基づいて決める。
 第一次報告が以前に出た。そこでいろんなことをいっていたが、学校教育法等の改正については、それとは違う答申を出した。私が座長をやっている会議でやって、1カ月で30数時間やってまとめた。たとえば、第一次報告では3つの争点があった。都道府県の教育長を事前承認制にする。国が常時都道府県教委に指示ができる。私立学校は知事部局がやっているが、私立学校も教育委員会が指示をするなど。
 しかし、今の3つの法案には、この3つのポイントが入っていない。中教審は公開でやっているが、その中で議論をして、これらはやめよということにした。教育長が入っている。校長会からも入っている。組合、経団連も事前承認制にだれも賛成しなかった。
会が終わると、新聞記者がどうしますかと来た。だれも支持しないものは答申に入れないと答えた。
 国が都道府県教委を指導することは、昔はそうだった。今は、ある意味では同格だ。緊急の場合は、国が都道府県に指示ができる。これは地教行法に入れた。それを超えたものは入っていない。
 私立学校は、建学の理念があってスタートが違う。同じようにやろうとするのは乱暴だ。未履修問題があったが、必要なら、知事部局が教委に助言を求めることがある。たいていは、知事部局に教育委員会から出向している。第一次報告では、目玉はこれまでの中教審の答申通りになった。中教審は伊吹総理への答申だ。これを総理大臣がどう考えるかが問題だ。文部科学省も政府の一部なので、首相は伊吹大臣に指示できるからだ。
 しかし、最後は中教審通りと総理大臣が判断した。4つの法律の改定案は中教審通りだ。たとえば、10年の免許更新、再生会議は不適格教員排除が目的だった。しかし中教審は別と考えた。
 第二次報告は、よく読むと大きな問題はないと思っている。これも貴重な提言として踏まえ、今年度中には告示にいきたい。そのために答申を12月には出したい。
 答申は、最低1年遅れた。普通より2年遅れた。そのために移行措置は3年できない。2年か。あと1年半はわたしが部会長だ、生きていれば(笑)。今のイメージと、布村さんのイメージは食い違っていない。
 ただ、これでは具体は見えないでしょう。まだ学校教育法が決まっていないから仕方がない。指導要領は施行規則なので、親の法律が決まらなければ子どもの方を表に出せない。また、表に出すと、国会審議の邪魔になる。
 内々の話し合いは、今も週に1回ぐらい、6〜7人で、やっている。後、3週間ぐらいで公開する。
 皆さんが知りたいのは教科の時間だ。これは、16の専門部会でやっている。そして企画が全部を束ねている。しかし、教科ごとが開けていないので、親部会の一部のものが非公式にやっている状況だ。
 枠組のおさらいをすると、2003年12月26日に一部改正した。ここでは指導要領にない内容をやってよいとした。それと同時に、時間数についても、指導要領のものは最低限という通知が出た。それまでは標準時数だったが、学校の実情に応じて授業時数を増やしてよいと出ている。
 市町村や県によっては、夏休みを減らしたり、土曜にやっているところもある。公立でも出てきた。時間数は、私立も公立も関係ない。私立が大手を降ってやっているのは通知が変わったからだ。したがって、二次報告に書いてある土曜日のものは、「週5日制を基本とし」とある。特に新しいものではない。
 2001年に教科書に指導要領にないものを5%いれなければなくなった。自ずから発展的なものが入ってなければならない。指導要領にあるものは最低限で、自主教材も可だ。
長野県の学校によく行く。授業研究で課題になるのは、子どもが関心のある素材をどうやって見つけ教材をつくるか。同じ学校でも、隣のクラスとは違う教材を先生が見つけてくるのが長野の伝統。しかし、あまり教科書から離れると文句が出た。これからは何も関係がない。指導要領を超えて、どんどん教材化をしてぶち込む。それで結果として、指導要領が想定してる学力をつけて、それを超えるのが本当だ。内容も時間数も最低基準と考えていただきたい。
 学校の工夫で、個別の先生の工夫で、活動のあり方を工夫しようというのが大枠だ。 これからもこの方向で推進していく。教育課程部会で手を打っている。
もう一つ、教科の問題として、何をどうするか。個別の教科で内容を精選しすぎた面がある。本当に精選だったか。各教科で見直しが進んでいる。削られたものが復活するだろう。ただし、今やるものを間引かなければならない。それが大変だ。もう一度、各教科の体系性を考えなければならない。新しいものを入れ、削る作業をしている。
 2月からの審議の5本柱は次のもの。
1 理数系の学力の向上
 時間数、内容もできれば増やしたい。
 
2 国語を中心とした言語力の育成
 今日は言語力育成協力者会議資料を配布した。
 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/036/index.htm#shiryo 
PISA型学力は国語だけではできない。総合だ。あれは、どの教科でも必要不可欠。今回の学力調査は、PISA型を念頭に入れて問題を作成した。結果が出るが、その結果について学力調査専門家会議で入念に検討する会をやる。
 国語という教科を超えて必要になる「言葉の力」になるだろう。(時間数などの)込み入った話は6月の終わりからやる。16ある専門家部会で、言葉の力を踏まえて考えてほしいということになっている。言語力育成会議の中間まとめになる。
 ここでは、国語はどうなる、など書いてある。指導要領の文言に入れようということになっている。
 国語だけに絞ると、読む、書くを大事にする。聞く、話すも大事だが、まず読む、書く。もう一つ、文学教材も必要だが、論理的な教材、古典も入れていく。
 
伝統文化に関わる内容や教材の取り入れ
 これは教育基本法にも入っている。単なる愛国心ではなく、抽象的な日本国を愛するのではない。日本列島にある共同体のあり方を愛する。これは、政府案にも民主党案にも入っている。
 わたしはこだわりを持って参加してきた。3年前にでた、中教審答申をもとにしているから同じようなものになった。日本の伝統文化を大事にするのは、日本だけの文化を大事にするということではない。そうではなく、日本を愛することを土台にしながら、人類社会を愛するというものだ。60年前には、敗戦により逆転減少が起こった。
 また、政府を愛するわけではない。岐阜県を愛するときは、知事を愛するわけではない。同じことで、坂本竜馬みたいなものか。時の政府みたいなものではなく、国そのものを愛するということ。
 民主党の方は表現がストレートすぎたが趣旨は同じ。ちなみに、政府案の説明には、タウンミーティングでもやった。民主党主催の方でも私が説明した。教育は、広い国民的合意が必要。選挙の道具にしてはいけない。これは自民党でも、公明党でも言った。
 愛国心については、新聞の書き方が間違っていた。採決の時は激突した。内容ではなく、どうやったらかっこいいかでもめた。
 諸外国のものも、日本のものも入れようというのがねらいだ。音楽なら、ベートーベンも、宮城道雄も、バイオリンも三味線も、7音も5音もやっていこう。そのためには、教師の再教育が必要だ。
 この4月から、兵庫などの公立高校で、週1時間伝統文化の授業をやっている。しかし、教える側の伝統文化の層が薄い。先生方も、デューイは読んでいるが本居宣長を呼んでいない。そうだから、薄ぺらなものになる。
 中江藤樹が言っている。「姑息な愛」(『翁問答・上巻』)バランスの取れた日本の教育思想があるのに、敗戦でデューイが入ってだめになった。江戸時代には、みんな読み書きができていた。同じ時期の諸外国では字の読み書きができるのは1割程度で金持ちのみ。日本では、貧しい子は無料で寺子屋に行けた。それなのに、外国の教育思想を崇拝するのはおかしい。『和魂に学ぶ』東京書籍から出たので読んでほしい。
 
4 道徳教育を中心とした心の教育
 教科書を作って教えれば心が身につくというのは素人考えだ。もちろんそれも大事な部分もある。副読本や教科書を準備してやる必要はある。しかし、それができるようになるのはいろんな工夫がいる。今、体験活動と道徳をどう結び付けるかを議論している。
自然体験、職業体験、こうした活動を子どもたちが持ち帰って、「こういうことがあったよ。」、「大事だということがわかった。」など、人間として大事なことが実感としてわかって来ると、口先だけでなくなる。教科書だけでわかるというのは、口先だけ。上っ面だけ。付属小学校はじめとする有名小学校の子どもは話させると実にいい話をする。しかし、それが生活の中に生きているかは別。
 関西では、人権学習をやっている学校はすばらしい話し合いをする。しかし、抑えられているのでよけいにトイレなどに差別的な落書きが出てくる。
 本当に体が動くかどうか。心の教科書は、小役人的なことをやっていてはだめ。
 
5 小学校への英語教育の導入
 英語教育はたぶん最終的にはやることになる。紆余曲折があった。秋にははっきりする。3年前には、3年生から3時間、1年前には5年生から1時間、最近また違ってきた。 伊吹大臣は英語がきらいだから難しい。何らかの形で考えなくてはいけない。
 それ以上のことは、もう少し待ってほしい。総合は2時間残る。中学の選択はなくなる。 週5日制を前提にしている。これ以上の話し合いは非公式の会でやっているが、落着しない。こうしたことを考えて、学力観をもう一度考えてほしい。
 
学力について 
 私は、学力は海面に浮かんだ氷山みたいなものだと思っている。見えないところにいろんな学力がある。これが見える部分と一体となっていなければならない。
 関心・意欲・態度が、知識・理解と絡んでなければならない。体験とか、実感とかそこにもなければいけない。
 今日は、4つの層で、この問題を考えたい。
  
理解する、記憶する → 知識・技能
 追究・探究→思考力、問題解決力
関心 → 意欲
体験 → 実感
          
        
 一番下が体験、これで実感ができる。その上である種の関心が生ずる。これが次の意欲になってほしい。
 追究・探求という活動がある。これが思考力とか問題解決力とかになっていかなければならない。
 それが見える形になって、理解するとか記憶するとかという活動になり、知識や技能という見える形になる。
 大事なのは、上から下、下から上をつくること。体験だけではだめ。上まで上がらない。戦後教育はだからはい回った。
 上だけでもいけない。詰め込みでは、何の役にも立たない。覚えているだけで、活用のすべを知らないからだ。これは上から下へ降りていないからだ。
 戦後主義教育は下の部分だけで終わってしまった。生活科も当初はそうだった。今の反復練習も、これで終わってはだめ。下まで行かなければならない。
 ポイントは言葉だ。
 体験には「あっ!」という言葉にならない瞬間がある。花、赤い花、赤いバラの花と言葉になっていく。言葉にならない前の「あっ!」が純粋系。
森 有正、欧米の学校制度を導入した初代文部大臣の森有礼の孫。デカルトとか、パスカルの研究をやって、最後の仕上げに東大の助教授をやって、彼らがどこでどういう思索をしたか、同じような体験をしようとパリへ行く。1年の予定で行って結局帰ってこなかった。後に岩波やちくま書房からエッセイ集を出した。歳をとってから、帰ってくる直前に亡くなった。この人が体験と言葉をこだわって書いている。パリの観光ブックにもなる。
 彼は、西田幾多郎が「純粋経験」といったのを、「感覚の処女性」と表現した。「体験の経験化」を支えるのが言葉である。感激は言葉にしておかないと薄れてしまう。ロゴス化ともいう。
 私も、この15年間、1日の行動を記録している。だれに会った、何がおいしかった。これが、体験の経験化である。音楽も何がよかったかを書きとめておく。後から見て思い出す。
 体験から上がっていくのは言葉だ。最近は「やばい」を感動したという意味に使う。こうした感嘆語。これでは、体験に付箋をつけただけ。これに、何がやばくて、どう思ったの、と言葉にしていく。
 『古今集』を編纂した紀貫之は、「感動を言葉として結晶させたのが歌」と言った。 藤原俊成は「本当に感動するには、よい歌をいっぱい知らないといけない。知識が必要。」と言った。桜を見たときに、いろいろな歌が思い浮かばなければ本当の感動ではない。西行法師のような見方がある。本居宣長のような見方もある。それぞれが違う感動をしていることを知っていれば、自分はどれに近いのか、どう違うのか、より深い感動ができる。新しい自分の境地が広がる、というものだ。
 言葉がわからなければ感動ができない。三島由紀夫はいつも国語辞典を持っていた。ボキャブラリーが豊富だと感動が広がる。言葉を知っているだけでは、自分の実感まで降りてこなければむなしい。
 総合的な学習は下から上。社会科や理科は上から下の場合が多い。低学年は下から上が多いが、高学年は上から下が多い。
 教育改革はいろいろ言われているが、やっとおとなしくなってきた。新聞は気を引かなければいけないのでショッキングな見出しをつけるが、落ち着いてきたといってよい。
 何をどうするか、体験から関心を持たせて、追究へ持っていく。最初にある事実を提示して、こだわりも持たせて、体験と関連づけて新しい意欲を持たせる。往復作用があってもよい。単元の組み立てをやりながら、総合的な力をつけるのが教育だ。
 本筋を忘れてはいけない。縁あって目の前に座った子どもに、10年後、20年後に役に立つ力をつけなければならない。
 
 
6月3日
課題講演 「これからの教科指導の重点を探る」
    加藤 明(京都ノートルダム女子大学教授、中央教育審議会専門委員)
 
 現在、中教審教育課程部会にいる。カリキュラムになるが、これは学校教育の柱。卒用証書にも必ず書いてある。「教育課程を終了したので」と。
 学習指導要領の目次が教育課程そのもので、総則に書かれている。生きる力とか、基礎・基本の徹底、個性を生かすなどと書かれている。その次に子どもの姿を実現するために4本書かれている。それが教科、道徳、特別活動、総合的な学習という4本の柱であり、学校教育の守備範囲でもある。これを横断的に見た構造としよう。
 縦断的に見ると、目標があって、指導があって、評価がある。教育課程は、横から見れば学校の時間割のようなもので、縦から見ると目標·指導·評価になる。
 教育課程という見通しがあるから柔軟に対応できる。時々評価しながら軌道の修正を図る。系統的、積極的、意図的に単元を配列して、学期になり、1年の教育課程になる。何を目指して、何をどの順番に並べるか。最小の単位が単元になる。
 レジメのウに、「自前の単元計画を立てる力量を」ある。教科書は、全国で通用するようになっているので、逆にいえばどこにも通用しない。だから自前で計画を立てる力量がいる。
 その前に、教材研究の力をつけなければならない。それに基づいて、単元計画を立てる力、3つめに、単元の目標を実現する授業力をつけなければならない。これを順番に話す。

教材研究の力
 箱が3つある。ひとつが「教科内容研究」教科としてのの意義や価値、前とのつながり、次はどこへ行くかを知ることだ。一を教えるためには十知らなければと言う。教科書の行間を読み取るということだ。
 例えば、なぜ5年生で割合を教えなければならないのか。その先どうなるのか、そのための研究をしなければならない。割合は難しい。4年生は何をやっていたのか?比べる量と元になる量はいつも整数倍だった。私からガリバーを見た。5年生になると、ガリバーから私を見ることになる。整数倍にならない。見方を変えることが難しい。これが6年生になると比になる。こういったことが教科内容。
 もう片方に子どもの実態をつかまなければいけない。レディネス、あるいは興味・関心。少数はわかっているか?割り算はできるか?これを把握するのは、ガリバーから入るのがいいのか、サッカーのペナルティキックの例がいいのか。これらを単元観や教材観、子どものことを児童観に書いてきた。この実体のある子どもたちにどう指導するか、それが指導観だ。この全体が教材研究である。この3つの段落はやってきた。
 これを置いて、単元全体の計画を立ててきた。研究授業では、1時間だけを考えがち。
その日が満足で、次からはゆったりと過ごす。これはよくあることだ。本時中心主義という。これでは子どもは育たない。私は「1時間目を見せるのはやめよう。」といっている。そこで終わってしまうから。普段と違うのではいけない。全体の中での今日の1時間として見てほしい。
 単元指導計画に組み込むべき指導要素は何か。
 ブルームの考え方を元に、いろんな先生方で考えて私の考えを加えたものたものを紹介する。
1 レディネスのチェックとその養成のためのプログラム
2 目標を評価からとらえ直して導き出した評価規準とその確かめ
 昨日も観点の話があった。単元終了時点で、何がわかればを考えられ、そのためにどんな指導を組み、どこで確かめるのか。目標があって、それに向かって効果的に系統的な指導をしていく。最終的に学力が保証できたかどうかだ。そのために単元計画が必要。
評価は、成果を確かめるための評価。だめなら教えなおさなければならない。これは、9番に関係がある。形成的テストと補充学習または発展学習。これを始めにつくっておく。
3 効果的なゆさぶりによる動機づけと、単元終了後の広がりや深まりを奨励するための呼びかけ
揺さぶりを通して、子どもの心のうちに目標を持たせる。導入の段階で揺さぶり、高まった関心・意欲がもっと高まらなくてはいけない。終了後に、もっとやってみたいと思わなければならない。そのために、呼びかけを用意しなくてはいけない。
 「ごんぎつね」は終わったけど、図書館にはほかにも本があるよ、など。自らの学ぶ力はここにある。
 「面白そう」から始まって、さらに深めていく子を育てたい。その関心が将来の職業選択にまでつながる子もいる。
 関心・意欲を高めようとしたら、見えないところにある部分、3観点の成果が上がらないと、関心・意欲・態度は高まってこない。思考力をつけるためには、わかる、できるがいる。最後は統合した力をつけなくてはいけない。
 私は歴史は好き。いろいろなところへ行くと名所旧跡へ行く。おもしろいから。学校で教えてもらったから。よい教育はそういうことだ。
4 失敗や遠回りをよしとする主体的な追求活動の場
 やはり、考えさせなくてはならない。30分考えさせると間伸びした感じがするが、その間で教師が何をするかが大事だ。たっぷり時間をとることが教育には必要。
 しかし、毎時間考える時間をそうは取れない。だから、単元の中でここだけはというものを考えておく。
5 目標実現のくさびとなる効果的な体験活動の設定
 そこで体験もいる。面積なら、1平方センチメートルを敷き詰める体験は必ずやらなくてはいけない。公式からではなく、体験でくさびを打ち込む。体積なら1立方センチメートルを積んでいく。これはやらなくてはいけない。
6 的確な発問と練り上げによる高まりあい
7 効果的な板書によるまとめと共有化 
 先週鹿児島の発表会、名古屋、福岡教育大附属へ行った。2校の遠いところはよかった。前の日に板書を書いて検討していた。どの先生も文字がきれい。丸字はいない。指導をなめていない。終了後、板書を写真に撮っていた。
8 ドリルによる習熟と定着
これぐらいをしないと子どもの力はつかない。
9 形成的テストと補充学習または発展学習
そして最後にテストをする。
 最後、計画は計画。臨機応変にやっていく力が必要。こういうちからは研究授業をかって出てやらないと、なかなか力がつかない。
教科指導の重点。 そういうことの一つの集大成を出した。『実践教育評価事典』(文溪堂)を読んでほしい。