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(2)[MMM No.181] 連載「数え方、はじめの一歩」 その6―「数え方」で知る世界の言語と文化―
連載 「数え方、はじめの一歩」 その6 ―「数え方」で知る世界の言語と文化―
中央大学 准教授 飯田 朝子
現代日本語には約500種類もの数え方(助数詞)があります。とはいえ、500種類すべてを使いこなすことは至難の業。日本語を母語とする一般的な生活を送る大人で、約100から120種類の数え方を使っていると推測されます。こんなに多彩な数え方があるのは日本語だけだろうと思ってしまいますが、実は中国語にも500種類もの数え方(専門的には「量詞(りょうし)」と呼ばれるもの)があります。それもそのはず、日本語の数え方の多くは6世紀以降に中国から日本に入ってきたものだからです。(中略)
ほかにも、韓国語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語、マレー語や地域ごとの方言にも日本語と似た性質の数え方があります。これらの言語地域を白地図の上で塗りつぶしていくと、助数詞のある言語の話されている地域が、東南アジアに集中していることに気がつきます。そして、興味深いことに、その分布は稲作文化のエリアと概ね重なっているのです。偶然なのか必然なのか、稲作地域で
話される言語で数え方が発達しやすいというのは、なぜなのでしょう?
明確な答えは出ていませんが、文化によって数の捉え方に違いがあることは否定できません。狩猟文化地域では、捕獲した獲物の数に応じて仲間と分かち合う必要があり、獲物の数は単数なのか複数なのかが重要でした。狩猟民族の使う言語では、名詞の単数形と複数形が発達する傾向が出ます。英語では “one dog, two dogs”のように、直接dogに数を付けて複数を表しますが、日本語では「1犬、2犬」のようには言いません。
一方、稲作文化ではコメを1粒ずつ数で勘定して仲間と分ける必要はなく、容器や袋に入れた分量で測りました。そうすると単数や複数を区別する概念は希薄になり、その代わり数える物の分量や性質を示す単位や数え方(助数詞)が発達します。(後略)
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おもしろい!狩猟民族は名刺の単数形と複数形が発達し、稲作文化では助数詞が発達する。なるほどと思う。数え方は文化なのだ。
(3)常識ぽてち【やや日刊】♪2008-06-27(第1190号)
■目黒と目白
東京には目黒という地名があり、これは目黒区という区名にもなっているので知っているかたも多いでしょう。他にも目白という地名も東京にはあります。目黒があって目白があるなら、目赤や目青なんてのもあるのか、というとこれがあるのです。それどころか目黄というのもあります。ただしこれらすべてが地名になっているわけではありません。
これらは徳川家光時代の五色不動に由来するといわれています。五色不動とは、東京の目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動の五種の不動尊の総称です。
目黒不動 - 瀧泉寺(東京都目黒区下目黒)
目白不動 - 金乗院(東京都豊島区高田)
目赤不動 - 南谷寺(東京都文京区本駒込)
目青不動 - 教学院(東京都世田谷区太子堂)
目黄不動 - 永久寺(東京都台東区三ノ輪)
この五色の「色」は陰陽五行説に基づいています。青、赤、白、黒、黄はそれぞれ東、南、西、北、中央を表しています。しかし五色不動が江戸を中心に東西南北に配置させているかというとそうでもないようです。ただし江戸を取り囲むようにぐるりと配置されていることだけは確かです。(後略)
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知らなかった。おもしろい!
(4)JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■
心が元気になる話 知られざる日本の功績(2) ハングル新聞を創刊せよ hideおじさん
諺文と呼ばれるハングル文字は、1446年、李氏朝鮮の世宗が作成したといわれている。(訓民正音)
現在「諺文」という言葉は蔑称とされ、ハングル文字と通常呼ぶが、このハングルという呼ばれ方は、1913年頃に初めて登場し、1927年には「ハングル=大いなる文字」という言葉が定着したようだ。
15世紀に登場したハングルであるが、その後単発的に詩歌・文学作品で使用されてはいたが、「文字」としての体系は整っておらず、国民一般には普及しなかった。
この「ハングル文字」にいち早く目を付けたのが、日本人なら誰でも知っている「福沢諭吉」である。福沢は「教育の普及が近代化の第一歩である」という信念から、朝鮮においても啓蒙を担う文字の重要性を説いていた。そこで、日本の仮名と似ているハングルに注目し、一般国民にも文字を読むことが可能になるハングルの利用を強く勧めることになった。福沢はこうも言っている
「朝鮮の独立と朝鮮人の啓蒙には、朝鮮語による新聞の発行が不可欠である」
彼のこの言葉に大いに理解を示したのは、誰あろう安重根に暗殺された伊藤博文だった。
福沢諭吉の門下生に一人の男がいた。その名を「井上角五郎」という。実業家・政治家という面だけが表に出ているが、「井上がいなかったらハングルは無かった」とまでいわれた人物である。
彼は、朝鮮王朝政府時代、優秀な朝鮮人官吏とともに1883年に一定の体系と継続性を持った朝鮮初の近代新聞「朝鮮旬報」、そしてその続刊ともいえる「朝鮮週報」に大きく係ったということは、日朝文化史の上からも非常に興味深い。
朝鮮初の近代新聞「朝鮮旬報」は全文漢字でありハングルは使われなかった。何故なら当時の大韓帝国では、ハングル使用には非常に抵抗があり、認められなかったという経緯があった。
その後クーデターなどのトラブルに巻き込まれ、志半ばにして井上は一度朝鮮を離れることになる。しかし、彼が蒔いてきた種は確実に育っており、朝鮮人官吏、学者らが、文法的にハングルをまとめていたのだった。そして後年、井上にまた訪朝のチャンスが訪れ、日本で作成したハングル「活字」を携えて海を渡った。
1886年、漢字とハングルを使用した「朝鮮周報」が発刊されることとなった。部数は3000部と少なく、結局新聞自体は庶民に浸透しなかったが、彼が目指した「教育の普及が近代化の一歩である」という意思は、その後、朝鮮語字典、そして朝鮮総督府による義務教育の普及へと繋がっていくのである。(後略)
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またまたおもしろい!
(5)日刊『中・高校教師用ニュースマガジン』(中高MM)☆第2025号☆
■「数学まるかじり」(13)
◆【0で割るとはどういうこと?】
前回に引き続き,計算の不思議シリーズ(?)第2弾です。
0という数については,以前少しこの連載でも触れましたが,この数の発見は数学史に大きな影響を与えた出来事であると同時に,様々な厄介ごとが生まれる結果ともなりました。
0の性質はいろいろありますが,その中の1つに,「なにと掛け算をしても答えは0」というものがあります。
0は何倍したって0だし,どんな数を0倍しても0である,という,小学生でも知っている性質です。しかし,この分かりやすくて簡単な性質のお陰で,私たちは大いに苦しむことになってしまうのです。
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問題です。
「0÷3」の答えはいくらでしょう?
もちろん,0に決まっています。お菓子が全く何もないのだから,それを3人で分けても,何もない状態のまま,なんていう説明が出来ますね。
では,「3÷0」はいくらでしょうか?
「そんなもの,0に決まってるじゃないか!」と,簡単に片付けようとしたそこのあなた!そう簡単な話ではないのです。
実はこの答え,0ではないのです。
考えてみてください。3つのお菓子があって,それを「0人で分ける」というのはいったいどういうことなのか。
あるいは,3つのお菓子を,「0個ずつに分ける」というのはどういうことなのか。0を含んだ割り算の中には,0が持つ底知れぬ恐ろしさが隠れ潜んでいるのです。
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「3÷0」の答え,0でなければいったいいくらなんだ? と気になられるでしょうが,このような説明をしてみましょう。
例えば6÷3の答えは,次の式の( )の中の数と同じです。
3×( )=6 ( )の中に入る数は2ですから,6÷3の答えは2です。
27÷3の答えは,3×( )=27 の( )の中に入る数と同じです。つまり,答えは9です。
A÷Bという割り算の答えが知りたければ,B×( )=Aという式を作り,( )の中に何が入るか考えればよいことになりますね。
0÷3の答えは,3×( )=0という式を考えれば,0だとすぐ分かります。
では,問題の「3÷0」の場合はどうなるでしょうか。
この答えは,「0×( )=3」という式を考えれば分かるはずなのですが・・・
・・・そうです。気付いていただけたでしょうか?そんな数などない!ということに。
0に何をかけたって,答えは0になるはずです。3になることは絶対にありません。
つまり,「0×( )=3」に当てはまる数など,この世にはありません。ということで,3÷0の答えは,「ない」というのが正解になります。
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0の入った割り算では,
1. 割られる数が0なら,答えは0
2. 割る数が0なら,答えはない
という,奇妙な現象が起こることになるわけですが,では,この場合はどうなるのでしょう?
「0÷0」
「もう付き合ってられるか!」
なんて読者の方が離れていく姿が目に浮かびますが,もう少しお付き合いください。(笑)今度はちゃんと答えがありますから。
さて,これも先ほどのように,式を使って考えてみることにしましょう。
0÷0の答えは,次の式の( )に入る数と同じになります。
0×( )=0
さあ,答えは何でしょうか?
「・・・何でもいいのでは???」
と思ったあなた。大正解。答えは「どんな数でもよい」となります。
つまり,0÷0=6
0÷0=100
0÷0=−7
などなど,全て正解ということになるわけです。
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以上,
A÷0(ただし,Aは0以外)・・・答えなし
0÷0・・・何でも良い
ということを説明してきましたが,どうもすっきりしないなァ,と思ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
理屈の上では分かるんだけれども,感覚的にピンとこないというか。
そこで,小学生でも分かるような(多分・・・)説明をご用意しました。
【3÷0に答えがない理由】
3個のケーキを0個ずつに分けるということは,3個のケーキを目にも見えないくらい小さなサイズにみじん切りにするということだ。だから,いくつに分割できたかなんて,多すぎて数えられない。
【0÷0の答えが何でもよい理由】
目に見えないくらい小さな,ホコリのようなケーキのかけらがある。0を0で割るということは,このかけらを更に目に見えないくらいのサイズに分けるということだ。どうせ既に目に見えない位小さいのだから,この後これを2つに分けようが,3つに分けようが,100個に分けようが,見えないことに変わりはない。どうでしょうか? ちょっとこじつけに近い説明ですかね?(後略)
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これもさらにおもしろい!
(6)『絶望の中の希望〜現場からの医療改革レポート』 上 昌広
第7回 日本の医師不足〜第二回 一県一医大構想と医師誘発需要
昨日(6月17日)、舛添要一厚生労働大臣が、閣議後の記者会見で医学部の定員削減を決めた97年の閣議決定を見直し、医師の養成数を増やす方針に転換する考えを明らかにしました。「いまは医療崩壊の状態で、(97年の)閣議決定を見直す方向で調整すべきだということで、福田首相の了解をいただいた」と語ったようです。このニュースは、医療界にとって画期的なものであり、舛添厚労大臣の粘り強い努力に敬意を払います。
我が国では医師不足問題が連日のようにマスメディアで報道されています。未曾有の高齢化を迎える我が国において、多くの国民は必要な医療を受けることができないことに対する漠然とした不安を感じておられると思います。なぜ、医師不足問題の解決が、こんなに困難なのでしょうか? 今回は、医師不足問題の議論の歴史的変遷をご紹介します。
■ 日本の医師数は世界最低水準にある
日本の医師不足問題を議論するためには、その正確な状況を把握する必要があります。厚労省の医療動態調査によれば、2005年現在、我が国には29万人の医師免許取得者がいて、人口1000人あたり2.0人となります。人口10万程度の地方都市には、200人程度の医者がいるとイメージしていただけるといいでしょう。ちなみに、これは大学卒業直後の若者から、高齢者まで全てをふくむ数字です。
適切な医師数を議論する上で、同じような発展段階にある外国との比較は有用です。OECDの調査によれば、我が国はもっとも医師数が少ないグループに属します。ちなみに、日本より少ない国は、メキシコ (1.7)、韓国 (1.6)、トルコ(1.5)だけで、先進国首脳会議に参加する国に限定すれば、イタリア4.2、フランス3.4、ドイツ3.4、オーストラリア2.7、米国2.4、イギリス2.3、カナダ2.1となり、日本は最低です(括弧内の数字は人口1000人あたりの医師数)。米国やイギリスなどのアングロサクソン系の国々で、コメディカルが発達しているのは、医師数と併せて考えれば理解しやすくなります。ちなみに、日本はコメディカルも医師も両方とも不足していると言うことができます。
■ 医師の過重労働
医師の絶対数不足は、医師の過剰残業で代償されてきました。医師が少なければ、長時間働かざるを得ないのは自明です。
2003年に厚労省が作成した「医師需給に関する検討会報告書」では、医師の労働時間は週平均で63.3時間、院外での勤務時間7.3時間を含めると、週平均の労働時間は70.6時間です。このデータに基づけば、1ヶ月あたりの時間外労働時間の平均は131時間になり、労働基準法の規定を大きく逸脱します。また、月の時間外労働時間が45時間を超えた場合、過労死の原因になりやすいため、極めて危険な状態とも言えます。実際に、これまでに多くの医師が過労死で亡くなっており、過労死認定を求め裁判で争われています(http://www5f.biglobe.ne.jp/~nakahara/)。このような裁判では、医師の過剰労働問題は医師の労働条件改善という側面以外に、患者が安全な医療を受けるためには、医師の残業を制限しなければならないという観点からも議論が行われています。
ちなみに、医師過剰労働問題に対する厚労省の見解は、「休憩時間や自己研修は、通常は勤務時間とはみなされない時間であり、これらを含んだ時間を全て勤務時間と考えることは適切でない(2005年 医師需給に関する検討会報告書)」として、医師の労働時間を週48時間と解釈しました。この解釈は、医療現場の実感と著しく乖離したものであり、またデータの解釈が恣意的であったため、医療者に厚労省に対する不満が溜まりました。(中略)
■ 医師過剰と言われた時代があった:一県一医大構想
では、2003年以前は、国民・医療界は医師数をどのように考えていたのでしょうか。前回の配信でも書かせていただきましたが、明治維新以降一貫して、医師不足は我が国の課題でした。しかしながら、過去に一度だけ、医師過剰の可能性が議論された時期がありました。それは、1970年代中盤から2000年くらいまでの25年間です。
少子高齢化が進み、医師不足による医療崩壊が喧伝されている現在から振り返れば、馬鹿げているかと思うかもしれませんが、当時は多くの医療関係者が将来的には医師は余るのでないかと真剣に心配しました。当時の風潮を考える上で参考になる事実を紹介させていただきます。
まず、1970年代の大量の医学部新設が挙げられます。戦後の人口増や無医村の解消を目的として、政府は1970年から1979年までの間に34の医学部を新設しました。この時期に設立された医学部は、前身の医師養成機関をもたないことが特徴で、人材を全面的に他大学に依存せざるを得ませんでした。医学部設立は順調に進み、1974年までに8つの国立大学医学部、14の私立大学医学部、2つの大学校(防衛医大、産業医大)が新設されました。(以下略 まだまだ続きます)
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日本の医師不足がここまで深刻だとは知らなかった。