韓国(ソウル)リポートU                            第185回
                                                       2003.2.27
                                                        土 井 
 2003年2月16日(日)〜18日(火)に訪れた韓国・ソウルの報告をします。昨年度に続き2年連続の訪問ですが、前回感じたことの確認・修正、新たな発見があればと思って行きました。たった2日間のソウルに限定した行程ですので、当然誤解や曲解もあるかもしれませんが、思ったことを率直に書き記しておきたいと思います。間違いがあれば、指摘していただければ幸いです。
 ちなみに前回の記録は次のアドレスです。 http://www.tcp-ip.or.jp/~syaraku/kankoku/index.htm 

2月16日(日)
 やや予定より遅れて仁川空港へ。相変わらずでかい。外国人用チェックに並んでいるのは日本人ばかり。昨年は空港の出入口を自動小銃を持った軍人が警備していたが、今年は自動小銃は持っていない。やはり、昨年は例のテロがあり、小泉首相の来日も重なり、異常な状況であったようだ。 空港からホテルへ向かう景色は、以前にもまして高層マンションが漢江沿いに壁のように並んでいる。さすがに、韓国の人口の1/3が集まっている巨大な街だ。
 バス中で案内してくれる閔さんは1957年生まれの9人きょうだいの末っ子。小さい頃はかなり貧しかったらしい。実に多弁だ。口調も激しい。
 往路で、新羅ホテルの免税店による。新羅ホテルは名門中の名門。風格が漂う。
 明洞のロイヤルホテルでチェックインし、南大門へ。
 前回感じた、上野のアメ横をもっとせまくにぎやかにしたような印象は変わらない。昨年はのんびり見ることができたが、今年は閔さんに強引に特定の店へ連行されている。
 革ジャンは、11万円のものを6万、さらに4万、3万と値段が下がる。いい加減なもんだ。結局翌日には2万まで下がった。
 
 南大門の次は、ナンタを観に行く。300人ちょっと入れそうな小振りの会場は満員。すごい人気を物語る。
 ナンタの劇場はソウルに南北2つあり、北はすでにチケット売り切れ。南はかろうじて買うことができた。4チームあり、1日2公演、すなわち、一つのチームが毎日1回公演をする計算になる。チームごとに少しずつアレンジが違うのか?4回楽しめるのも計算してのことだろう。
内容はセリフがほとんどない、韓国の伝統的なリズム(サムルノリ)を生かしたパントマイムのようなもので、日本人でも十分楽しめる。入場料3千円(S席4千円)はお得だ。ソウル観光の際にはぜひおすすめしたい。

 夕食は明洞の全州中央会館。昨年もここで石焼きビビンバを食べた思い出の店だ。おいしく、安かった。その後は、分かれて街にくり出した。

2月17日
 朝、明洞大聖堂へ散歩に行く。ここは韓国カトリックの総本山だ。歴史的な煉瓦造りの建物を入ると、中に礼拝に来ている人が数人いた。厳かな雰囲気だ。
 韓国はキリスト教とが最も多い。その要因として、日本による占領統治時代に神道を強制したことは無縁ではないであろう。「国がなくなる」ということは、宗教までも変えてしまうほどの影響があるのだ。

 まず北朝鮮を見ることができるオードゥ山統一展望台(http://www.jmd.co.kr)へ行く。
 昨年は好天で眺めも良かったのだが、今年は霧が出ていてよく見えない。それでも本物の持つ迫力は伝わってくる。北朝鮮の核疑惑の真っ最中なので、見る側にも緊張感が漂う。
 北朝鮮は、イラク以上に世界から孤立し、しかも改善される道筋もまったく見えない。危機的な食糧危機を打開するためには、今や核のカードをちらつかせる以外手はないことは、素人の自分でも思いつく。孤立しすぎているが故の奥の手だ。しかし、人類にとって、平和にとって、これほど怖いことはない。何より日本にとって・・・・
 ところが、韓国の人と何人か話をしたが、その危機感は全く感じられない。他人事のような感じだ。また、ある人は「ソウルには核を使わないだろう」と断言する。同じ民族に対して核を使うことはその後の関係修復が不可能になることをその根拠にあげた。
 ということは、使う相手はアメリカか、その支援国・日本ということになる。これは日本にとって、深刻な脅威である。何と言っても、過去の加害国であるから・・・・
 また、複数の人はイラク戦による物価の値上がりを心配していた。北朝鮮の問題を棚に置いて・・・。
 閔さんは、軍隊は「大学以上に価値のある教育機関」と言っていた。これは韓国の多くの人の考えだろう。前回の訪問でも聞いたが、兵役前は子ども、兵役後がおとな。恋愛も、兵役前は遊び、兵役後が結婚が前提。ぐだぐだしていた若者が、軍隊から帰ってくると例外無しにしゃきっとなって帰ってくるそうである。脱走は死刑という軍律の厳しさも、精神を鍛える要素の一つだろう。一人っ子は兵役を免除されるが、多くの親は頼んで子どもを軍隊に入れてもらうそうだ。また軍はキャリアアップに不可欠な要素らしい。
 軍隊を賛美するわけではないが、日本の若者も何らかの訓練が必要だと思ってしまう。
 兵役の期間は、親の死でも日帰りしか許されない。また、葬儀の日でも、軍服以外の服を着ることは許されない。厳しい世界である。
 展望台からの帰り道、漢江沿岸の有刺鉄線やそこにつけられた鈴、見張り台など、厳しい現実が確かにある。スパイを見つけて通報すると1千万円の賞金がでることも、日本では考えられない。
 
 これも前に感じたことだが、韓国の民衆は南北統一への意欲が少ないように思えてならない。特に若い人は、統一したことによる経済的なデメリットを心配している。

 木が少ない。建物は煉瓦。はしも金属。周囲の山は岩山で、巨木は育ちそうにない。北朝鮮は特に顕著だ。伝統的なオンドルの燃料はかつては薪であったろうし、北朝鮮は今でも練炭と並んで使われていることだろう。燃料不足は深刻だ。

 次にソウルタワーへ行く。ここも曇でよく見えない。東京タワーと同じで、一度は行かなければ・・・というところだ。

 この日の昼食は、昨年も行ったサムゲタン。土俗村(左写真)だ。若鶏の内蔵をくりぬき、そこに餅米や漢方薬を詰めて煮てある。たいへん栄養価が高く、おいしいスタミナ料理だ。
 閔さんがこのような有名店に連れてきてくれたことで、閔さんのことをより信頼するようになった。それくらい、有名な店である。

 景福宮へ行く。ここでも閔さんの勉強量に驚く。貧しい家で生まれて育った閔さんにとって、勉強だけが世に出る方法だったのだろう。まだ日本に一度も行ったことがないと言いながら、日本のことはよく知っていた。景福宮の説明も実に細かくていねいだった。
 韓国人にとって、モンゴル語と日本語は覚えやすいそうだ。英語や中国語と対比してのことだろうが、発音が似ているらしい。しかし、日本人の自分にとって、韓国語は難しい。努力の問題か? 次に、大統領官邸へ。警備はものものしい。2月25日が新大統領の就任式なので、金大中大統領の最後のまとめの次期だ。
 
 そして、盤浦実弾射撃場(http://www.shootingkorea.com)に行く。
 そこは江南地区のビルの地下にあった。銃は10種類。弾は10発。値段は銃により3千円、4千円、5千円。45口径のマグナム(S&W PC945)だけが5千円だ。
 自分は、唯一人、マグナムを打った。あの衝撃は説明のしようもない。が、10発のほとんどがげんこつ大の円内に命中した。小さいのもやってみれば良かったな。

 そして次が新羅蒸汗幕。あの麻布にくるまって入るサウナ、キュウリパックや垢すり、オイルマッサージなどのコースだ。9千円。
 垢すりは何度やっても気持ちがいい。そこで水分を取るのを我慢して明洞へ。
 その後の食事は、有名な水餃子店へ。何と、そこにはビールがない!すぐに昨日の店へ戻って乾杯。まだまだ夜は続いた。

 そういえば、ソウルではフィットネスクラブが目についた。右写真は、1階から5階まですべてガラス張りのクラブだ。外からは丸見えだが、宣伝効果は抜群だ。


2月18日
 戦争記念館へ向かう。地下鉄には慣れてきた。ソウルの地下鉄はすべての駅に番号が振られているためわかりやすい。車幅も広く、快適だ。ただ、車両に乗った瞬間、漢方薬のような特有のにおいがする。
 
戦争記念館(http://warmemo.co.kr/)はすごい!想像以上に大きい。敷地は35,000坪。展示室は1,600坪。じっくり見たら1日がかりだろう。ちなみにココのホームページもすごい。やたら重いけど、動画と音楽で概要を紹介している。
ここで感じたことをまとめたい。
○ 入口には戦没者の名前が刻まれていた。朝鮮戦争(韓国戦争)で命を落とした、国連軍の戦士の名も国旗と共に刻まれている。オーストラリアの戦争記念館でも思ったことが、おそらく戦没者を大切にしない国はないのであろう。しかし、日本は・・・・・
○ 独島(日本では竹島)、東海(日本では日本海)の問題が大きく取り上げられていた。アピールがしっかりされている。この問題に関して、日本ではどれだけの関心があるのだろう。
○ 館内や屋外の武器の展示がすごい。歴史上の武器や、小銃から戦車、B-52まで、膨大な量のさまざまな本物が展示されている。こうしたものを見れば、平和の維持にはたいへんな努力とお金が必要なことがいやでも理解できる。ここは、教育施設であり、慰霊の施設なのだ。
○ 秀吉や戦前の日本軍、朝鮮戦争における北鮮軍をはじめ、さぞかし敵国が悪く描かれているかと思っていたが、そうではなかった。むしろ、そのあたりを抑えて、客観的に戦争を描いていた。このあたりは大人の展示だ。
○ ベトナム戦争など、朝鮮戦争以後の展示もある。ベトコンのゲリラの地下組織の展示はたいへん興味深いものだった。
○ 艦船の中は実物大の展示がしてある。また、軍隊生活のジオラマも多い。展示の工夫はよくされている。
○ 平和ホールでは結婚式や宴会ができる。この感覚も日本にはない。
 もう一度、時間をとってゆっくりと見たい施設である。大人300円。

戦没者の名前を刻んだプレート 屋外展示の一部 正面全景

 地下鉄で、仁寺洞へ。
 どうも大きな事件があったらしい。テレビに黄色いテロップがさかんに流れている。自分は、「アメリカの空爆が始まったのか?」と思ってしまった。事件の画面が出ないので、いったい何が起こったのか見当はつかないが、日本からの電話で、地下鉄の火事らしいことが分かった。
 大邸市の大惨事の様子が分かったのは、日本に帰ってからのことである。ちょうど、その時間には戦争記念館へ向かう地下鉄に乗っており、一歩間違えばと思うとぞっとした。
 (確かに、帰りの空港のチャックは厳しかった)
仁寺洞では土産を買うつもりであったが、韓国定食の店へ入ったことが予定を大きく狂わせた。大量のおいしい食事が、一品ずつ、次から次に出てくる。とても食べきれない。料金の2千円は、今回で最も高価な食事だった。ちなみにビールは1本100円。最高だ!

 ホテルの待ち合わせ時間に遅れて他のお客さんに迷惑をかけながら出発。ロッテホテルでは2人の人が見つからず見切り発車。このあたりも日本では経験がない。おもわず、「電話で遅れるという連絡をしておいてよかった!」と痛感した。
 結局、再度ホテルに戻って二人のお客さんも無事拾うことができた。仁川空港から名古屋空港に向けて帰路についた。

 ここで、気づいたことをアトランダムに述べてみたい。
○ トイレの紙を流さない
 ホテルは別として、一般の店のトイレでは、お尻をふいた紙をゴミ箱にすててあることに気づいた。水洗トイレに流さないのだ。なぜ?
○ 車が多い
 前回にも痛感したが、ソウルの車の多さは異常である。その主原因は車を買う際に、車庫証明がいらないことだ。したがって、路地のあちこちに無造作に駐車している。
 日本では車庫証明が必要だが、まだ自動車が普及する前からその政策を実行に移した政治家は、実に先見の明があったということがわかる。それが「政治」なのだろう。
○ 女性ドライバーは1%
 ドライバーの99%は男性だそうだ。確かに、女性ドライバーは数人しか見なかった。女性で免許証を持っていると、羨望のまなざしをされるそうだ。古い話だが、北の湖が結婚する時、「新婦は自動車の免許を持っている現代的な女性です」と紹介されていたのを思い出してしまった。
○ 韓国の少子化は深刻
 軍が終わり、大学へ行ってそれから就職、経済的に軌道に乗ってから結婚と考えると、男性は30歳を過ぎてからの結婚になる。晩婚により、当然子どもの数が少なくなる。
○ カジノと板門店
 カジノと板門店には共通点がある。日本人とアメリカ人、中国人しか入れないことだ。地元の人はもちろん、それ以外の国の人も入ることができない。日本人は特別待遇なのだ。当然、店に入る時にはパスポートの提示を求められる。
○ 液晶ビジョン
 ビルの屋上に液晶ビジョンの広告が多い。日本よりははるかに多いだろう。韓国の液晶技術はたいしたものである。 
○ 江南地区の道路は、まるで名古屋の街を走っている錯覚に陥る。都市計画で名古屋を参考にしたと聞いたことがあるが、実感できる。
○ 『ヒカルの碁』のコミックスを買う。日本のものより一回り大きい。

 K氏は、革ジャン・メガネの購入、射撃と、今回来る前に立てた目標をすべて達成した。やはり、旅には目標があるとハリが出る。今回の日程はかなりハードであったが、楽しくたいへん充実したものであった。
 そろそろまとめであるが、前回びんびん感じた韓日の違いが、今回はよく分からなかった。その原因は、1 自分の集中力不足、2 慣れ であろう。ただ、慣れると言うことは、イコール順応したと言うことであり、悪いことではない。

 みなさんには、初めてその国に訪れた時の印象を大切にしてほしいと思う。ぜひとも、日本との違いを50発見するゲームを試みてほしい。初めての時しかできないゲームだから・・・・