これからの授業,何が問題になるか?          第149回へ

はじめにMMを紹介します。

 メールマガジン ■授業づくりネットワーク21□ 第74号 より
HP http://www2.synapse.ne.jp/mm21/index.htm  
連載 授業づくり最前線−「なぜ先端技術が必要か」−上條晴夫

■そも「先端技術」とは何か?
 4月29日、東京・神田パンセで「第1回授業づくり先端技術開発会議」を開催したところ部屋が定員いっぱいになった。
 参加の小学校の先生からの感想に次の返信を書いた。「昨日はとても楽しい1日でした、という感想を読んで、ほっとしました。『先端技術』というのは『未来技術(10年後に実現するような技術)』ではなく、いま正に世の中に生まれ出ようとする教育技術たちのことを指しています。ですので、そのための会議が現場の先生に面白がってもらえないとダメだろうなと考えていたからです」。

■なぜ「授業づくり」の先端技術が必要か?
 先端技術と言っても何でもありではない。従来の「コンテンツを教える授業」以外の「考える力(問題解決能力)を育てる授業」に関わるような先端技術である。そうした「考える力を育てる授業」についての先端技術がいま緊急に必要になってきている。
 理由は粗く言っておよそ次の三つである。

 その一。21世紀は「情報化社会」になる。これまでのような学校が与えた知識を一度身につければあとはOKというノンビリした時代ではなくなる。現実に人口動態の変化が起こっている。「雇用の重心が肉体労働やサービス労働から知識労働へと急速に移行して
いる」という。たとえばいま日本の人口一人当たりの生産的富を内訳別データで見ると「天然資源によって生み出されたもの(20%)」「知識や技能で生み出されたもの(80%)」となっている(『資本主義の未来』ブリタニカ出版)という。

 その二。ところで現在の教育制度は必ずしも以上のような人口動態の変化に対応していない。相変わらずコンテンツ注入型が主流で問題解決型の学習はほとんど知られていない。たとえば、「初等教育から大学・大学院に至るまでの現在の教育制度は、公的財産に強く依存している。工業化時代には高い教育を受けたエリート富裕層が大衆を雇用するといった傾向があり、現行の教育制度はそうした教育ニーズを満たすために構築された。かつては大多数の人々が初等・中等教育しか受けなかった。経済力と知性を備えたエリート(しかも男性)だけが大学に進んだわけだが、そこでは教員一人当たりの学生数は少なく、一人ひとりの学生に対して十分な教育が施された。大衆は学校で知識を伝達されるだけだったが、資本家や経営者の予備軍は大学で判断力を鍛えられた。『ただ教えられる』だけでなく『自ら学ぶ』ことを身につけたのだ。こうした旧態依然とした教育制度がいまだに残っている」(『知識資本主義』日本経済新聞社)という。

これまでであれば一部のエリートに対して「背中から学べ!」と言っていればよかった「考える力」の教育がごくフツーの「大衆」の教育にも必要になってきているということである。

 その三。子どもたちも何となく気がついている。現在の学校に真面目に通ってもどうも「生きる力」は身に付きそうにない。小学校で起こっている「学級崩壊」、中学・高校に増えてる「不登校」、大学生の「低学力」はいずれもこうした学習者サイドからの学校に
対する非支持表明の声である可能性が高い。(*ただしそれを「はい、そうですか」と認めるかどうかはまた別の話である)
 
■先端技術が必要な理由を要約すると
 いま授業づくりの先端技術が必要な理由は三つある。
 1・考える力を使う仕事が急増している。
 2・考える力を育てる制度や授業が整っていない。
 3・子どもたちもその点に気づいている。

 読売新聞(2001・4・30)「編集手帳」欄の「ゆとり教育」批判は「知識の詰め込みより考える力を目指しながら効を奏していない」ことへの批判であるという文章を読んでなるほどと思った。
 「手帳」氏は「思考力も知識と無縁ではないだけに話は難しい」と書いている。確かにその通りである。しかし分数や歴史年号の暗記は大学生でも遅くないが、考える力の教育には時間がかかる。
 考える力を育てる先端技術の開発と普及が必要である。

【ここからが本題】
読売新聞が継続して行っている「ゆとり教育」批判=「新教育課程の否定」は,バックに産業界,理数系大学がおり,非常に手強い。文部科学省の中にも同調者がいるのは確かで,今後の揺れ戻しが十分考えられる。
 上條氏が言う「考える力を育てる制度や授業が整っていない」は,読売新聞の「知識の詰め込みより考える力を目指しながら効を奏していない」と同意である。
 これほど,「生きる力」を育てる研究が全国各地で行われてきたにもかかわらず,考える力がついていないと言われるのはなぜか?
 簡単である。前回,全国の研究発表校のテーマを拾ったが,「思考力の育成」をテーマに挙げた学校は皆無だった。興味・関心を高めるために工夫している学校は多い。問題解決の形を教えている学校も多い。情報収集し表現する力は,かなり伸びているのではないか。それなのに,「考える力」の育成は,表だってあまり論じられてこなかったのである。
(望みはある。入試問題の改革が進んでいるから・・・・) 

ライフスキル財団は,人生力として次の三つを重視する。
○社会性/情緒力(EQスキル)
   ○判断力(思考スキル)
○表現・聴取力(コミュニケーションスキル)
 この2点目は,まさに思考する力を分析し,トレーニングしようとしているのではないか。この発想が,これから必要なのである。

 これから,社会科として何を研究していけばいいのか?
 
 「評価法と対応した授業方法の確立」であろう。工夫された高校入試問題がスラスラできるような授業を,日常的にどう組み立てていくかということである。
 たとえば,「確かな学力を育てる授業の確立」なかでも「確かな思考力を育てる授業の確立」である。関連思考・比較思考・条件思考・因果思考・発展思考など,それぞれに合った教材を計画的に配列し,さらに自分で駆使して問題解決できる場面をつくってやるなど。
 これに,これまで研究してきた導入の工夫や,資料活用力・表現力を高める工夫を織り交ぜていく,さらに授業で高まったモチベーションを社会貢献できる場へとつなげていく,
そんな流れが考えられるのではないか。