(5) 学歴社会の弊害
我が国は学歴が重んじられた「学歴社会」であるという認識がいまだに根強くあります。これは、個人に対する評価において「いつどこで学んだか」が重視され、それが個人の能力や個性のみならず個人の価値にまで影響を及ぼしているという考え方によると思われます。そして、こうした考え方が、「良い学校を卒業し良い会社に就職する」という終身雇用制を前提とした学歴信仰となって学校及び家庭を中心に依然として強く残っており、学校において「良い高校、良い大学に入学しよう」とする受験競争を生み、知識の詰め込み教育を助長し、「学ぶこと」の楽しさや喜びが奪われています。こうして、青少年期に習得した学校歴のみが評価され、「何をどれだけ学んだか」という学習内容と学習成果を的確に評価することが妨げられています。
一方、企業では形式的な学歴はもはや必要ではないと考えているところも多くなってきました。実際に社員の採用に際して学校名を問わないとする企業が増えつつあり、大学等の就職協定が廃止され社員採用の通年化が進むにつれて、企業では「必要な人材を必要な時に必要な人数だけ採用」する柔軟な採用システムを取り入れ始めています。さらに、キャリアアップを目指した転職等による人材の流動化が加速するなかでは、青年期の学歴はもはや不問となり本人の能力と経験による人物評価がなされ始めています。特に経済の国際化に伴って進出してきた外国企業等を中心に、学歴不問を当然視する企業も出始めています。こうした意味では、就職に関して学歴に偏重した傾向は徐々になくなる方向にあると言えます。
しかし、「日本は学歴社会である」と考える人々がまだいることも事実であり、なくなりつつある「学歴社会」という考え方が家庭や学校において様々な弊害をもたらしている現状は極めて憂慮すべき事態です。
私たちは、こうした学歴社会の弊害をなくすためには、実生活と分離し青少年期に集中した学校とその成績が一生を左右するような学歴偏重の考え方を改め、生涯にわたって「何をどれだけ学んだか」を適切に評価する社会、すなわち「生涯学習社会」を作っていく必要があると考えます。