岐阜市立長良東小学校 社会科授業参観報告      社楽181回へ
                                                 H14.12.4  文責  土 井

以下の記録は、土井が参観しながら記録したものです。そのため、言葉足らずのもの、誤解があるかもしれませんが、学校や授業者には全く責任はありません。ご了承ください。

雨の降る中、9時20分頃学校に到着。教育実習生より玄関で迎えられ、職員室へ。どの先生もあいさつが笑顔で気持ちがいい。雰囲気がとても温かい。
校長室で、友田校長先生としばらく懇談をしたあと、6年3組教室へ。まだ授業前の休み時間というのに、すでに授業が始まっているかのようだ。あの築地学級みたいだ。
それぞれ5,6人で固まって、その中の1人が掲示資料を使ってしきりに説明している。

 教室環境は社会科の資料でびっしりだ。先生が取材であった人の写真も拡大して貼ってある。伊能忠敬記念館の写真もある。水俣病の患者の人と先生が写っているものもあった。このあたりはいかにも社会科だ。
 教室には教育実習生が4名いた。
 ビデオを使って説明している子もいる。実に明瞭に説明している。

 ビデオの時間で10:10にやっと授業の開始である。
 日直の子が「今日は○○を勉強しますのでみんなしっかりと発表してください。」「はい」のあとに「はじめます」の礼。河井信幸先生だ。
 ここで、第11回研究発表会の研究紀要より、河井先生の研究テーマを確認しておきたい。

研究テーマ「社会的事象の意味を意欲的に追究し自らの生き方を考える学習
                     −人物の願いや努力を視点として−」

願う子どもの姿
○ 資料と資料を関連づけ、根拠とした考えづくりができる子
○ 自らの力でより多くの情報を集め整理したり表現したりすることができる子
○ 仲間と課題を追究していく中で、考えを確かなものにし深めたり広めたりすることができる子
○ 願いをもち社会的事象にかかわって生きる人物の営みに感動やあこがれをもち、自らの生き方を考えることができる子
○ 学習後も発展的に調べたり表現することで、かかわりをもって生活できる子

 「どうぞ」でいきなりほぼ全員が挙手。指名された子が「○○の資料で発表します」というと、「はい」の声と共に、その周囲にみんなが集まってきた。
 「どうして沖縄戦では、日本の軍人より沖縄の一般の人が多く亡くなったか」がテーマである。今日は、全体交流の時間だ。
 説明を終えると拍手のあとに、一斉に手が上がる。「似てる」「違う」など口々に声を出す。発表者の移動につれて、人が動く。
 「つけたし」「かかわって」などまた手が上がる。
 3人目の子の「国家総動員法の資料で説明します」説明を終えると、多くの子が次々の補足をする。教師はその中からキーワードを拾い出し、板書する。
 「仕事というと?」教師が一つ発問すると、児童が口々に答える。内容の多さに、知的レベルの高さがわかる。口々に叫ぶようだが、教師が一言出すとすぐに聞く体勢に移るのが見事だ。
 ビデオカメラの存在は、ほとんど眼中にない。
 説明する児童は、身振り手振りで「説明」している。「沖縄の人を盾にした」という意見。「国のために命を捨てろという教育を受けた」という意見。それぞれが自分の意見を持っている。1人が説明する時間も長いが、当然原稿もメモもなく、理解したこととを自分の言葉で話している。こうあって欲しいという児童像が目の前にある。
 話し合いが「戦争の目的が変わってきた」という方向に進展してきた。「国民を豊かにしたい!」という目的が、「よけいに国民を苦しめた」「国を守るだけで精一杯になった」という方向になっていった。
板書の文字がきれいだ。河井先生は教師としての基礎・基本を全て兼ね備えている人だ。
黒板右横に「チャレンジ 新しい自分
        発表名人、聞き名人、反応名人
         みんなで作る楽しい学習、わかる学習 」と貼ってある。
教師のこの思いが、授業にあふれている。
指名も意図的で、あまり意見を言わない子をうまく誘導して言わせている。その子もやや声は小さいが、しっかりと説明できた。
 始まって30分過ぎに遺書のビデオを見せる。資料に入り込み、人の心情から離れた議論だったため、当時の生きていた人の気持ちに思いを向けるためだろう。そのタイミングはばっちりだ。
その後、すぐに今日話し合ってわかったことを書く時間になる。もう少しお涙ちょうだい的に児童を揺さぶることも可能だったが、さっと切り替えるところも教師の自信を感じる。
 学級目標は「たいようの子 −なくてはならない一人一人−」その横には、学級の願いとして「チャレンジ−新しい自分− 
     ねばり強い心、あたたかな心
      はぐるま大回転!!」とある。
 7分後、一人を指名。みんなその子の方を向く。
 「課題について、私は1つわかっていて、交流をして4つわかりました。」この言い方も振り返りになる。今日の交流学習の成果を自覚している。
 教師の「おわりましょう」の言葉で日直が立つ。「今日は、課題について、全体交流で一つはしゃべれましたか。」「はい」「僕は考えとか一つもっていて、しゃべれなかったけどがんばったので良かったです。」「はい」
 「これで社会の勉強を終わりましょう」「おわりましょう」
 最後のあいさつも、振り返りになっている。これは前回の参観で他のクラスでもやっていた。
 このあと、ほとんどの子が席について「わかったこと」の続きを書き始めた。文を書くことが苦痛でないことは確かだ。

 長良東小の社会科の先生は2名いる。2名ともハンサムでかっこいい。もう一人の先生(川田英樹先生)のことを河井先生は、「私より10倍すごい」と言ってみえた。言われた本人は謙遜していたが、確かに雰囲気を持っている。すごい先生がそろったものだ。ぜひ、川田先生の授業も見てみたい。
 今日の授業は、学級経営そのものだ。教師と児童は信頼しきっている。児童どうしもあたたかい。
 振り返りの場面は授業の最後だけだったが、「○○について、私は1つわかっていて、交流をして4つわかりました。」という言葉が自然に出ると言うことにより、メタ認知の発想ができていることがわかる。前回見た2クラスでも同様で、これはおそらく、学校全体で取り組まれていることだろう。ポートフォリオのような資料がなくても、自分を客観的に見る方法はある。「考えの数」もそれに値する。
 今日の児童は、「意味づけ」もできていた。
 調べた情報にプラスして、自分の価値判断を交えて説明している。調べた情報はおそらくどの子も大差はないと思われる。「つけたし!」「かかわって!」と言いながら手を挙げている子の意見の多くは、その子なりの意味づけであり、挙手の持続は意味づけの多様性を表している。