研修4日目 2月27日(火)                             社楽の会へ

13:00−15:30

 
総合的な学習の時間−総合的案学習の時間の充実とオピニオンリーダーの役割− 
                  文教大学教授 嶋野道弘
 
はじめに
 今、総合は無関心。逆風は戦いようがあるが、無関心は困る。子どもでも、無関心、無感動は厄介だ。
 みなさんにはオピニオンリーダーとして、日本の教育の質を高めてほしい。そのためにあえて副題をつけた。
 総合は、まず一つは必要性、重要性が実感されていない。それが取り組みに拍車がかからない原因になっている。
 教育課程審議会や中教審では再三議論されて、生きる力、人間力としてなくてはならないと言われてきた。しかし、いったん外へ出ると、あの関心や認識はどこに言ってしまったのか。そこで広い視野から必要性を述べたい。

 
 もう一つがリーダー。総合でもいないわけではないが、力の発揮の方法がわかりにくい。
3つめは、総合的な学習の時間のもち方について話したい。

 
1 総合的な学習の時間の必要性・重要性

 
 深刻な子どもの学び離れ、いじめや生命軽視などに見られる人間性の喪失、依然として質的な転換のできない学力観、求められる学力育成に対応できない学習指導等々。その一方に、学びの楽しさや深さに目覚める子どもたちに、子どもの学びの一助になろうとする人々の台頭、社会性や人間力育成の要請等々がある。こうした現状や課題への対応、これからの教育の在り方を考えるとき、総合的的な学習の時間の重要性や必要性は一層高まる。
今、ようやく総合的な教育への関心や取組が高まりつつある。総合的な学習は発展途上にあるのだ。そうした時、推進の様子をはずして、これまでの取組を無にするのは、子どもと日本の未来に蓋をするようなものだ。
 この資料を見てほしい。
 「各国の子どもの自信の起源」
 各国の子どもの自信度が人の形で表され、プレゼンとしてわかりやすい。
 子どもが自己紹介を始めると、アメリカの子どもは自信満々に自分の国のよさを語り始める。イギリス、タイ、フランス、韓国とだんだん自信がなくなっていく。最後に日本。もじもじして、話せない。議論になっても恥ずかしそうにする。
 わたしは、こうした舞台で堂々と話せる子を育てたい。これが生きる力であり、全人的な豊かな生きる力をはぐくんでいかなくてはいけない。そういう生きる力を求める学習指導要領が実施されながら、単純に漢字ドリル、計算ドリルといった暗記物に追われている現状がある。そうしたことばかりだと、頭でっかちになる。バランスのよい、子どもにしたい。
 1980年でこれだから、今の日本の子どもはもっと縮んでいる。
 ただ、学力状況調査では、やっと伸びつつある。こんな見方ができる。その背景に、総合の重要性を見ていきたい。

 神奈川県の藤沢市の教育文化センターが貴重な資料をとっている。5年ごとの中学3年生にアンケートをとっている。1965年から、5年毎に継続してやっている。
 http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/kyobun-c/page100054.shtml 
 ここから何を読み取るか、PISA型の読解力が必要だ。こうした図表にしたものを読み取る力がPISA型だ。
 年々下がっていることがわかる。これが、学び離れ。しかし、まず、全体的なことはわかるが、部分的な傾向。どこに着目すべきか。皆さんならどこをマークしますか。
 2000年。1965年から一貫して意欲は低下している。それでも、好きな子が上回っていた。しかし、2000年になると、逆転減少。もっと勉強したいという子が、もう勉強したくない子より少なくなった。
 実際の教室をイメージしてみよう。勉強したくない子が多くなったら、勉強したい子がスポイルされる。全く学びの文化がない学級になっていく。転げ落ちる。
 この2000年は危機的な時期だ。集団の中で、学びへの肯定的な子がを否定的な子が上回ってしまった。何とかしなければいけない。知識よりも、意欲の低下した子を意欲づける方がもっと難しい。どうすればいいか?ここでも総合的な学習の役割が大きいと思う。

 
 横浜の戸部小学校の福祉の授業。35,000個のアルミ缶を集め、車いすと交換した。
相当集めなくてはいけない。いろんなところに働きかけなければならない。地域の教育燃えなければ行けないだろう。その子の作文がある。
  ーーーーーーーーーーーー 以下引用 ーーーーーーーーーーーーーーーー
私は今、思いっきり泣いて思いっきり笑いたいです。車いすを贈ることができたからです。今の私は、とても晴れ晴れとした感じがします。わたしは、アルミ缶収集活動で、とても大切なことを教わりました。
・ 小さなどんなものにも、気持ちが入っていること。使う人の心も自然にはいること。
・ 小さいものでも積み重ねると大きなものになること。
・ 責任を持って生きて行かなくてはいけないこと。
・ 人と人とは絆で結ばれていること。
・ そして、人の絆は温かいこと。
・ そしてわたしは、人から教えてもらうことだけが勉強ではないことが分かりました。
 自分の心と向き合って、自分の中で探り出して見つけ出すこと。人のしぐさ、心の変化を感じて、自分に活かしたり自分が直したりすること。人だけではなくて、物や生き物から自分なりに感じること。わたしは、そんなふうにして、自分で新しい勉強方法と生きるために大切なことをこの活動で学びました。今、私は、車椅子が贈れたから達成感という気持ちになれたのではなく、自分が成長できて、私の心が変われたと言うことが嬉しくてたまらないのだと思います。(横浜市戸部小学校)
  ーーーーーーーーーーーー 引用終わり ーーーーーーーーーーーーーーー
 
 これが、子どもが価値ある学びだといっている学びだ。こういうところに価値を認めている。
 前半2行は、うれしいことに感極まっている。学びを通して泣けることはすごいこと。もっと重要な問題提起をしてくれている。この子は、自分が成長できてうれしくてたまらない。満足感、充実感、達成感で学習意欲は高まる。この子は、自己変革を実感している。成長を実感している。
 教育は知識も大切だが、より望ましい育ちを実感している。自己変革を実感できるような学びをさせなければならない。総合を具体におろせば、こういう子の姿を期待できる。
 もう一つ、大学生の立場から見てみた。講義について大学生の意見。
 
 今までの知識を自分の地肉とするのではなく、注入しては吐き出すというやり方で勉強してきたかと言う現実に直面することがたくさんあった。

 
 今までの学びが役に立たなかったことを実感している。総合は普通の勉強とは違うし大変だったが、自分の血肉になる学習だ。
 
 よくある学力論争が、二者択一論、形骸化が問題になる。実は、次の両方が大切。

 
 「主知的な教育」と「感情的な教育」
 
 空洞化しない知、覚えさせる指導、忘れない指導である。
 知識は言語で表現される。言葉は知っているが中身を知らないことが多い。空洞化させない知が大事。テストが終わっても忘れない知。その先生に教わったことが今でも役になっている。忘れさせない先生が良い先生だ。
 
 「探究型の教育」と「習得型の教育」
 
 中教審でもいっている。知的探求に支えられて、学べば学ぶほどわからなくなる。森さんが音楽番組で、
 「自分にとって学びことは、開放性といっている。」
 学べば学ぶほどわからなくなる。教育界ではこのことをオープンエンドという。
 ある先生に質問された。「私が授業をすると、終わらなくなってしまいます。」それは、先生がよい授業をするからと答えた。
 生活科の学びは、生活に返せばよい。教室の中で完結することはない。こうした、探求型の教育と、習得型の教育がある。
 スポーツは、繰り返し練習する。しかし、探究型を入れると、繰り返すだけではない。考えた練習をするようになる。
 どの子にとっても大切な基礎・基本と、この子にとって大切な基礎・基本がる。両者を
組み合わせる必要がある。

 
 3番目が「分科の教育」と「総合の教育」がある。
 例えば命の教育。今ほど重要なことはない。今までもきちんとやってきた。教育課程の中でも、理科の中で、生命尊重をやってきた。理科でも社会科でも家庭科でも、保健でもきちんとやってきた。
 そして、それぞれの教科等で学んだことが、子どもの中で総合化していく。これが、分科教育の仮説。
 しかし難しくなった。少子化・核家族化で、弟や妹の誕生に出会ったり、祖父母の死に直面することは少なくなった。動物とのふれあいなど、十分ではない。
 そこで、本来総合的なものを、分化しないで、総合のまま学ぶことが重要になる。

 
 総合的なものを学ぶときには、何がポイントかを3つ考えた。
 命は「存在」ということ。理性的な視点、情緒的な視点、抑制的な視点で存在を見る。はつらつとして、みずみずしく、など、数値ではとらえられないが、確実に心で感じるもの。それが存在だ。
 「抑制」は教えなくてはいけない。種をまくと、すぐには芽が出ない。ある時芽が出た。子どもは存在を感じた。直接生き物を育てたりして、直接感じるもの。それも存在。
 もう一つが「誇り」と「感謝」
 プライドを持った子どもは自分を粗末にしない。他者の生命も大切にする。そして感謝。いただきます。ごくごく自然にいただきますが出てくる。自分とのかかわりがあり、命をいただきますを学んでいる。
 そして、「コミュニケーション」。動物の世話をすることは、動物とコミュニケーションをしたということ。

 
 総合で、命探しをして、人が一生懸命つくったものにも命があることがわかった。
(対象をとらえる)
 人形に芽を入れるということは、人形に命を与えること。そういう命観。だから、人が一生懸命つくったものは大切にしなければいけないし、自分がつくる時は、一生懸命心を込めてつくらないといけないなと思いました。
 (自己をとらえる)
 
 知識として命の大切さを知っている。それが自分の生き方につながる。つながってこそ、命の教育をやった意味がある。
 学力を広くとらえるときに、二つの育成モードがある。
   学力の育成モード

    

主客の関係性

知の専門性と総合性

  知と生活の結びつき

Aモード
科学者
専門家      
 

主客分離
客観的にとらえる
部れがない。
測定しやすい

 

学問を背景
伝統的、学術的、専門的
個別の内容領域と学習様式

体系化した知識、
抽象化した世界
知的探求の楽しさ
生活に閉じる。

 

Bモード
 一般     

 

主客一体      
自分にとって持つ意味
個性的、人格k的


 

実際の生活を背景
生活に根差す
知の総合化     


 

知恵、体験知
身体のふるまい
有用性の実感
生活に開く       

 
こうしてみると二者択一はナンセンス。
 
 ピサ調査にはいろいろな指標がある。
@ 基礎指標;生徒の知識・技能・能力に関する調査
A 状況指標;知識・技能などと社会経済的・教育的要因などとの関係に関する調査
        教育者にはこれが大切。
B 変化指標;数回にわたる調査によって得られる変化に関する調査
 
 優れた結果の国に共通して見えるものがある。
1 学校に対しての参加・帰属意識が高い。(自慢・誇り)
   日本国内でも、魅力のある、特色ある学校は学力が高い。
2 将来に対して抱負を抱いたり、自信をもたっ利している(夢、憧れ、希望)
3 学習しなければならないことは何か考え計画できる(学習の管理)
4 学習の規律がよく取れている(規律)
5 先生は一人一人の生徒の学習に対して関心を持っている(教師の支援の実感)
   新任が増える。技術は劣るが、関心を持っていることはベテランに対抗できる。
6 学校が自ら何ができるかと言う観点から主体的にかかわっている。(責任と権限)
 この中には、教科学習より、総合学習でできるものがある。1,2,6など。
4は日本は高いが、2は低い。世界中から不思議がられている。 

 
 総合は改革の目玉だ。しかし、総合を阻むものがある。その一つが「二者択一」。 
 「支援」というと、教えてはいけない、教えなくてはいけないの議論が盛んになった。本来は、どう教えるのかがテーマなのに。
 「形骸化」。それは教師が勉強していないから。
 
画一化という形骸化
 表面上だけ見て、形だけまねる。研究校へ行って、背景や理念まで学んでこない。研究会へ出ても、授業だけで帰ってしまう。計画、実践、評価のマネジメントがないから形骸化した。
 生活は教科書をつくったから形骸化したという意見があるが、そうではない。総合に教科書がない。総合はマネジメントだ。例えば、おなじ単元を毎年やってもいい。初任者が大量に来るので、マニュアル化は大切なことだ。しかし、形骸化してはいけない。
 マニュアル化したら、アドリブが大切。今日も筋書きをつくったが、アドリブでしゃべっている。子どもに受けるのはアドリブに取り入れる。子どもに受けたら、新しいマニュアルに加える。
 
 『ディズニーランドの経済学』(2001年 朝日文庫) 著 粟田房穂・高成田亨という本がある。ディズニーランドはマニュアルの宝庫だ。迷子の子には、「@前へ回る、A目線を合わせる、B名前を聞く、Cどうしたのと聞く」これには意図がある。

 
 意図的な形骸化。総合でないとわかっていても総合と呼ぶ。忙しいから、などと意図的な形骸化だ。しかし、職業体験は特活だし、修学旅行は行事だ。これらを総合で実施している例が多い。
 しかし、やり方によっては、総合と絡めることは可能である。

 
2 総合的な学習の時間の充実とリーダーの役割
 埼玉県は、教育弘済会の50周年記念論文募集で3校に1校が応募した。その審査員をやった。校長、教頭等のリーダーシップがあるところが、よい総合ができている。リーダーは直接教えるわけではない。関心と関与の表明、それが教師のやる気を押し上げる。
 総合の地域指定の学校に関わっている。そうしたところの校長はまめだ。ちょっとした機会に関心を伝えている。
 職員とリーダーの関係も同じ。直接的関与とは、ビジョンを伝えること。展望、未来像を打ち出すいこと。
 間接的関与とは、取り組みの意味付け、価値付け、相違工夫の受容だ。
 
 西堀榮三という人がいる。第一次南極越冬隊長だ。西堀さんの哲学は、そりゃええなという。後は、工夫して実現させてやろうと考える。こういうことがリーダーの役割だ。

 
 オピニオンのリーダー。哲学が必要。私はこう思う。教育は美学。教育は確かな精神にい基づいた形。教育の精神とは、教育理念・原理、信念、夢や希望。
 教育の形とは、教育課程であり、授業であり、教師である。
 精神のない形は醜悪だが、精神の伴った形は美しい。
 
観と論
 観 ;精神を持つこと 
 論 ;どういう観に立っているか 
 
授業の精神と形
 ○ 授業とは、教師が意図を持って子どもに働きかけ学習の狙いを実現させていく営みである。
 これが分かっていれば、支援と言う言葉ができても、教えないことだという論が出るはずがない。
 
○ 授業の工夫改善の要諦
 教師の子どもの働きかけ方について議論し、創意工夫する。
 リーダーはこうした考えをしっかり持つこと。自分の授業論、授業観を持つ

 
わかる授業・楽しい学習
○ 教師が子どもに働きかけたことに対して、子どもが共感したり、納得したり、驚いたりする。
○ それとともに、教師が、子どもの言動に共感したり、納得したり、驚いたりする。
 総合の授業ができる人は他の授業も上手。総合は指導力が問われる。直接的関与、間接的関与が大切。先生は求めている。
 
これからの総合の要点
 人間力=生きる力
 人間力は内閣府が打ち出し、生きる力は文科省が出した言葉。
 生きる力と言うが、大切なことは具体をつかむこと。具体は子どもの姿、学びの足跡、作品。そこに人間力と言う言葉を重ねる。冒頭の作文は、教育が責任を持たなくてはいけないこと。自己を大切にし、他者を大切にする。
 
人間力
○自立した一人の人間として生きていくための総合的な力
・ 自助;他人に依存せず、自分の力で自分の向上・発展を遂げる力
・ 共助;助け合って、互いに向上・発展を遂げる力
 
人間力の育成
 現実の社会で大人がどのように生き、そこでは何が必要とされるのかを見せることによって、学ぶことの意義を子どもたちに伝え、何のために学ぶのかと言う目的意識を明確にする。
 
 実社会とのかかわりの中で、生きる力(前人的な力)をより具体的化し、発展させるという観点から「人間力」という考えを用いて見直しを図る。
 こういう視点で見ると、調べて、模造紙に張って、発表するだけでは力が弱い。

 
総合的な学習の時間の教育原理
@ 子ども主体の原理
・ 肯定的な子ども観
・ 教師の適切な介入
・ 学習経験の積み上げ
 「自ら課題を見つけ、」低学年は先生が課題をつくり、意欲付けをしてもよい。
 
A 課題中心の原理
・ ○○観を広げ、深める
   総合は内容があるわけではない。テーマがあるとよい。学習を終えると、「いのち観」など、ができるとよい。
 
B 体験・問題解決重視の原理 
・ 偶発的な出来事に学ぶ。
・ 現場の状況を再現する。
   車いす体験をする。体育館へ行く。「どれくらいの坂なら上れるのかな」と実験をする。30度の坂がいかに急かわかる。現場に出ると、危険なところがわかる。

 
総合的な学習の授業概念
 総合的な学習は、子ども自身が持っている知や経験を総合化し、一人一人が持っている知や経験を出し合い、時には社会の厳しい現実にはね返させそうになり、時には社会の温かくやさしい現実に支えられ、教師の適切な指導の元に、自らの目的を、自ら実現していくという学習である。各教科に切り分けられた文化の学習と総合的な学習が相互補完して生きる力を育てることができる。
 
正解が一つでない喜び
 みんなの町づくりー交通渋滞をなくそうということに取り組んだクラスがある。
○交通量調査
 朝の5分間の交通量は150台。そのうち120台が一人乗り。
○ 交通量が多いのは一人乗りが多いからだ。とりあえず結論を出す。 
○ 150台で何人が乗っているのだろう。ここで、算数が使われていく。
○ もし4人乗れば、43台ですむ。
    180÷4=45
○ 45台は150台の3割だ。7割減らすことができる。
○ 相乗りを進めよう
○ そんな計算通り行かないという意見が出る。
○ それでも、自分たちの考えを示して相乗りを進めることは大切だ。自分たちもできるだけ車に乗らないようにしよう。
 よりよく問題を解決する、自立的生活者の育ち。
 ここでは、算数がいたるところに出てくる。
 
算数の問題
 問題1 
自動車が150台は知っています。そのうち1人だけ乗って、いるのは120台です。全部で何人以上の人が乗っているのでしょう。
 
 こういう問題になる。これと比べてどうか?総合でやれば、この問題も必要観に迫られる。算数だけではこうはいかない。
 
 読売新聞 の編集手帳を読んだ。アメリカでは2人以上の車専用レーンがある。また、ハイブリッドカー専用レーンがある。子どもの発想に近い。

 
 単元及び授業づくりの要件
@ 生の事実に触れる
A 調査活動を組み入れる
B 基礎的な言語活動を意図的に組み入れる(描写、要約、紹介、説明、記録、報告、対話、討論
C 基礎的な算数活動を組み入れる(計算、計測、統計)
D 成果物を作成する(学習ファイル、論文、作品)
 
 こんな要件をつくっていくことによって、単元づくりを進めることができる。私からの提案だ。
 
 学びどころ・学ばせどころ
現象 子どもがよく反応した
 ・顔が輝く、手が挙がる、つぶやきが増える
意味
 ・概念が砕かれる、再構成さえる
 ・新しい知識や情報に刺激される
 ・自力解決の可能性が見えてきた。
  (自己有能観、効力観)
 ・自己変革の予感
 
総合でも評価が必要か
 学習を充実させるには評価は欠かせない。評価がなければ指導はない。
 「川の学習」の学び方を例にしよう。
  初めは、調査方法で6種類あるうち、5つ以上やれば十分満足。2から4種類がおおむね満足。それ以下が努力を要する。このような基準であった。きれいである。しかし、目的に合っていないかもしれないことに気づいた。
 そこで変えた。
○ 目的に会った学び方ができているか。
○ いくつかの学び方を組み合わせて学ぶことができる。
○ 新しい学び方を工夫することができる。
 
ものの考え方を育てるには
@ 全体を概観する
A 分析的に見る
B 価値的な判断をする
   以下略
 
思考力
 直感的思考力、論理的思考力、科学的思考力、拡散的思考力、収斂的思考力、演繹的思考力、機能的思考力、想像力、創造力がある。
 
学習活動のセンスと技術
 センスと技術は密接に関連する
○ センス;関心と感動による練磨によって身につくもの
○ 技術 ;「理解と知恵と習熟」によって身につくもの
 
教育の美学
 教育は未来です、教育はロマンです、教育はときめきです、それを欠いた時、力と輝くを失います。