今日は学校組織マネジメントについて話したい。専門はカリキュラム。
今日は次の4点について話す。
1 なぜ今学校組織マネジメントか?
2 学校組織マネジメントの方法の可能性と限界
PDCA の可能性と限界
3 学校組織マネジメントと言うときに企業マネジメントの応用や適用ではない。
学校は複雑な組織。一般組織の適用と違う。組織体としての学校の特徴を押さえる。
4 学校組織のマネジメントをどう進めていくのか。
こういうとオーソドックスに聞こえるが、私の考えることを率直に言いたい。私は正しいと思っているが、成功すると限らない。受け止めて、取捨選択してください。
ちょっと話を聞いただけで学校組織マネジメントができるわけではない。
1 なぜ今学校組織マネジメントなのか?
これは日本語と英語が混じっている。統一すると、「学校組織経営」。「学校経営」という概念は以前からあった。「学校管理」もあった。なぜ、こんな英語と日本語を組み合わせた言葉を使っているのか?
「カリキュラム経営学」という専攻もある。なぜカリキュラムマネジメントというのか?
Q 「カリキュラム」と「教育課程」はどう違う?
カリキュラム研究はずっと長い歴史を持っている。
教育課程は、学習指導要領との関係。戦前は教科課程と呼んでいた。リーガルマインドだ。
英語でいうカリキュラムと、教育課程は、コンセプトはかなり違う。研究された背景、歴史が違う。
アメリカの学校制度は、州によってばらばら。もちろんカリキュラムも違う。日本は全国統一した学習指導要領がベースにある。だから、アメリカはナショナルスタンダードという考えが出てきた。1980年代からナショナルスタンダードのカリキュラムを作ろうとしている。イギリスもそうだ。日本は前からやっている。
学校組織マネジメントという言葉が生まれたのはなぜか?
「学校経営の管理」という考え方とどうちがうか。
学校組織マネジメントと言う言葉を使うようになったのは、せいぜい10年から15年。「学校管理」はどんなイメージ?
「施設、人的、教育課程の管理」。そう、その拠り所は法、規則。これが前提にある。
法に定めた基準を遵守しているかが管理。
しかし、最近は、法に従っておけばいいとは済まなくなった。たとえば学校評価。法に従っているかどうかではない。有効に機能しているかどうか、成果を評価する。
学校の教育の評価をしようとするから、外部、専門家に評価を頼む。学校の成果、効果をと言い出したのはせいぜい10年から15年のことだ。
法はみな同じでないと行けない。しかし、学校評価は、みんな同じかどうかより、むしろ、特色・創意を問題にしている。
法規は国(公)、成果・効果を大事にするのは民、グローバルにいえば、「官から民へ」と言う流れの中にある。
国・公・官から民へ移すには、規制緩和が必要。しかし、今揺り戻しが来ている。そこでは、スタンダードは国が決めるが、効果測定はしますよという流れ。
このような官から民という時代の流れに伴う教育の変化に応じて、学校組織マネジメントという考え方になった。
テキストP17
学校と民間企業のマネジメントは違う。学校は制約が多く、難度が高い。
これは後で述べる。
2 学校組織マネジメントの方法の可能性と限界
P19
学校マネジメントのプロセス
各学校の教育目標 ↓ 学校の内部・外部環境分析 ↓ 学校のマネジメントの構想づくり 具体的な活動計画づくり PLAN ↓ 活動の実施 DO ↓ 活動の評価 CHECK ACTION |
これは、方法論というようりも日常経験則。経験主義であり、一般原則である。どこにでも通用するものは、どこにも通用しない。薬に例えれば分かる。
PDCAもこれだけでマネジメントできると思うのは危険。これを踏まえて、それぞれで工夫する必要がある。確かに今の学校は効果が測られる。そのためにはPDCAを行う。ただ、それだけでは済まない。
このテキストはニュートラル。使いやすく、使いにくい。
3 学校とはどんな組織か?
がっこうはやっかいな組織だ。よい学校がいつまでも続くとは限らない。研究指定が終わってから崩れる学校もあれば、研究発表はしないが地道に成果を挙げている学校もある。
学校の難しさ
@ 目的、目標の設定の困難さ、複雑さ
教育基本法改正ですら目標設定でさんざん議論した。
学校教育の目的・目標(抽象)
↓
各学校の目標(具体)
具体的な行動目標に落とせるように
この抽象から具体にするのが難しい。判定可能な目標・目的にしなければならない。
「元気な子」では、どんな子が元気なのかの分析が必要。計画を導き、評価に耐えれるような目標がなければ行動に移れない。
しかし、落とし穴がある。評価できるものしか目標にしなくなる。
学力テストも難しい。子どもが違う。教育は伸びたかどうかが問題なのに、結果の数字しか問題にしない。
形として企業の論理はわかるが、実際の適用は難しい。
A 組織編成の複雑さ・制約
管理職に人事権がない。アメリカではあるものが、日本ではない。スタッフを選べないのは、組織としては大きな制約。
学校教育の評価も、1年生で入った子が6年生を卒業するころに初めて評価できること。これを無視して、企業の理論は受け入れにくい。
能力給は企業ではある。それを学校に入れると、うまくいくかはわからない。これまで、相互扶助でやってきたものが崩れる恐れもある。
こうした学校の特徴をふまえてマネジメントを考えなければいけない。マネジメントの基本は、「金と人」
B 効果測定の困難さ
子どもの学力は、教師も大きな要因の一つ。しかし、それだけでない。家庭教育、家庭の経済力もある。しかも、それらが絡み合う。
学校のマネジメントの成功の要因はわかりにくい。教師も医者も専門職。医者は病気やけがが治ったかどうか。しかし、教師の技術は見えにくい。
大学で変な学生がいた。それはだれのせいか?小学校?中学校?小学校の担任は?そんなことは言えない。
医者ははっきりわかる。医療裁判にかけられるぐらいはっきりしている。だから技術が高い。教師はそうか?実は、日本の教師の技術は高い。ただ、それは価値にかかわり、技術が適用されるからから効果が見えにくい。
@〜Bを踏まえて、多様性、個別性は不可避。個別的・具体的なもの。
4 学校組織のマネジメントをどう進めるか。
@ しごととしくみの組織論として押さえる
「しごと」と「しくみ」は学校づくり論で言われたことば。持田栄一東大教授は、1960年代から言っていた。
教師の組織は、学年部会、教科部会、校務分掌部会など複雑。企業のように単線的ではない。
小学校は学級担任性、中学校は教科担任性。これも仕事と仕組みにかかわった違い。小中はシステムが違う。組織が違う。そこに子どもが戸惑い不適応を起こす。仕事が変われば仕組みが変わる。仕組みが変われば、仕事が変わる。
企業は、仕事は仕事。しくみはしくみ。
学校は、仕事の中身を考えて、仕組みを転換しなければならない。
A 目的・目標の共有化
学校組織の大きな特色。それは教師の世界はフラットなことだ。企業と比べれば、非常にはっきりしている。それぞれの立場での目標があればよい。日本の企業内組合は、年功序列・終身雇用が日本を支えていたと考えている。そこから言うと、目標、目的の共有化を軽視していなかったかもしれない。
しかし、学校の教師は、目的・目標の共有化が大切。同僚性、仲間意識が支えている。
教師は教師が育てる。それが同僚性。学校としての教師全体が、一定の価値の共有化を図っていくのがマネジメントの一つ。
B 多様な STEP HLDER 利害関係者への注目
たとえば保護者。その学校にかかわって、利害を受けている人に評価してもらおうという考え方。
以前は、法に従っていればよかった。
今は、教師以外の人たちの意見、かかわりが注目されている。
企業は、お客さま。
学校は、保護者であり、子どもであり、地域であり、OBが、学校組織マネジメントの評価者になる。
学校・保護者・地域が連携するのは正しい。しかし、すぐにできるわけではない。地域には、いろいろな人がいる。保護者も同様。もし地域連携をいうのなら、地域をコミュニティとして再生する必要がある。学校と地域が価値の共有化ができれば成功する。それができていないと、連携は簡単に考えてはいけない。そう思っていた方がよい。
この点では、日本のコミュニティはまだまだ。明治時代はあったが。
これらを踏まえて、
5 学校組織マネジメントリーダーの役割
学校はいろいろな価値観を持つ人が多いほど動かない。
どうするか。
みんなが一つの方を向いては理想。できなければ、同じ方向を向いている人をリーダーとして育てる。
Q 1960年代の変化とは?
A 1960年代が一つの変わり目
戦後教育の見直しが始まる。1968年の指導要領改訂は大きなポイント。
もう一つの変わり目が2000年代。状況は当時と似ている。
当時も、学校づくり論がいわれた。それは、教育行政を研究している人が中心だった。
持田栄一教授の学校づくり論、『教育管理』という本もある。
しくみとしごとをセットで考えないといけにと言ったのがエッセンス。学校の仕組みは仕事の中身を離れて考えたら難しい。一人で机を全部つくるのか、流れ作業でパートを受け持つのかで仕組みが変わる。
☆★☆ コメント ☆★☆
いつものことだが、長尾先生の講演はおもしろい。時間があっという間に過ぎてしまう。ただ集中していないと、時々出てくるポイントを聞き逃してしまうので要注意だ。
今日の講義の論旨は明解であったが、「学校組織マネジメント」の講義としては、狭い範囲だ。今後テキストを読み込む上での留意事項として押さえておくべきであろう。