3月は卒業式のシ−ズンである。議員という職業柄これらの行事に招かれる機会は多い。毎年、幼稚園から小学校・中学校、高等学校そして日程が合えば大学の卒業式に参加する。
私が生まれ育った山村の小学校や中学校の卒業式には、涙がつきものだった。当時は、同級生の殆どが卒業と同時にふるさとを後にして遠くへ就職していった。この日を限りに、今生の別れになるかもしれないという思いが涙をさそった。当時はみんな貧しかったけれども、みんな仲良しだった。
近年、卒業式での涙を見かけることは少なくなっていたが、今年私が経験した浜松経理専門学校高等部商業実務課程の卒業式は違った。式歌「螢の光」と「仰げば尊し」を歌い継ぐうちに、男子生徒も女子生徒も、多くの生徒が涙を流し、また何人かは真っ赤な顔で白いハンカチを握りしめ必死に涙をこらえている様がはっきりと見てとれた。
実務のプロとして地域社会の中で頑張る卒業生を輩出し、評価と実績を積みあげてきたこの学校だけに、卒業生の多くは実社会に旅立っていく。私の中学校の卒業式の時の思い出が一瞬重なりあった。
この学校の卒業式はいつも他の公務と重なった。そのため祝辞だけ述べた後は、すぐに式場を離れることが多かったので、卒業式の最後まで参列させていただいたのは今回が初めてだった。校長先生の式辞、在校生の送辞,卒業生の答辞と型通りに粛々と式が進められていく。 ところが閉式の辞が終わっても、生徒の誰も席を立つものがいない。卒業式典は終わったが、卒業式は続いていることがすぐに理解できた。
程なくして理事長、校長を始め先生方が、式壇を背にして生徒と対面する形で一列に並ぶと、やがて正面後ろの扉が開き、白い大きな箱が運び出されてきた。中には卒業生と同じ数の花束が入っていた。
卒業生は一人一人立ち上がって前方に進みでる。そして整列した理事長以下の先生方全員とそれぞれ言葉を交わし、肩をたたきあい、ある生徒は先生と抱き合い、握手をし、そして花束をも手渡されると、後方で参列している在校生と保護者の間を、礼儀正しく挨拶をして式場を去っていく。
ここにもたくさんの涙があり、笑顔があった。すがすがしい卒業生たち、すばらしい卒業式、こんなにも純粋な心を持った若者たちが、まだまだ沢山いたということに私は感激した。
アメリカでは卒業式のことを、「始まる。始める。」という意味の「コメンスメント」COMMENCEMENTというそうだ。
これまで日本の社会を支えてきた「終身雇用」「年功序列賃金」という雇用体系が終わりを告げようとしている社会に向かって、新しい人生を「始めよう」としているこの若者たちの成功を心の底から祈らずにはいられない気持ちになったものだ。 |
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ある卒業式